第2話
パーティが始まり、華やかな音楽がゆるやかに響く中、国王陛下が壇上へと歩み出る。会場に集まった貴族たちは一斉に静まり、深い敬意とともにその言葉を待ち受けた。
「このたびの黒龍討伐、まことに見事であった。第四騎士団の勇敢なる働きに、国王として深く感謝の意を表す」
重々しく、それでいて滔々とした良く通る国王陛下の声が高い天井にこだまする。礼装に身を包んだ騎士団員たちは一様に頭を垂れ、セシルもまた一歩前に出て跪いた。その姿は、どこまでも凛としていて、場内に集まる多くの令嬢たちが小さく溜息を漏らした。
やがて国王陛下の言葉が締めくくられ、奏者たちが軽やかなメロディーを奏で始める。会場が少しずつざわめきはじめ、歓談の時間を楽しむために動き出した。そして。
その瞬間を待っていたかのように、数人のご令嬢たちが申し合わせたようにこちらへと歩みを進めてくる。艶やかな流行りの形や色のドレスの裾を優雅に揺らして淑女らしい微笑みを浮かべ、しかしその目付きはまるで獲物を狙う肉食獣のようだ。彼女たちは獲物つまりセシルの元へとじりじりと距離を詰めてくる。招待されているご令嬢たちは、誰もが若く美しく、自分たちの美しさを引き立てるような華やかなドレスに身を包んでいた。私は思わずグラスを持ち替え、溜息を飲み込む。
――ああ、始まった。
口を開かなくてもわかる。彼女たちの目的はセシル・ベルトラン、その人だった。今宵の祝賀会の主役の1人であり、騎士としての実力も容姿も抜群の男。その外見だけでも若い娘が憧れを抱くのも無理はない。彼の周囲にご令嬢方が蜂……もとい蝶のように群がる光景も想像に難くなかった。
「セシル様、ごきげんよう」
その中の1人、鮮やかなアイスブルーのドレスをまとったご令嬢が、大ぶりの薔薇が開くような笑顔で声を掛けた。
――あらそのドレス、セシルの瞳と同じ色だわね。
私はさり気なく旦那さまから距離を取る。若い人は若い人同士……と思ったわけでもないが、物理的に距離を取ることで明らかに敵意のこもった視線を向けられなくて済むのなら、その方が気が楽だ。
シャンパンを飲みながら、さながらどこかの小劇場で上演される芝居のような光景を眺める。
「ご無沙汰しております、ナディア様」
セシルもまた、礼儀正しく応じる。けれど、その表情に笑みはない。
「この度のご活躍、耳にしておりますわ」
「……ありがとうございます」
ナディアと呼ばれたご令嬢は、まるで彼との親密さを周囲に仄めかすかのように自然な様子で距離を詰めていく。その視線には自信が満ち溢れていて、自分が美しいことも、それによって周囲の視線を引くことも、きっと全部を理解して計算しているのだろう。
「黒龍には、セシル様がとどめをさされたのでしょう? その時の詳しいお話を、是非伺いたいですわ」
「聞いていて気持ちのいいものではないですよ」
「まあ。そんなことはありませんわ。憧れの方のご活躍をご本人から伺える機会なんて――あら、いやだ私ったら」
ナディア嬢は、ついうっかり口にしてしまった、とでも言いたげな様子で恥ずかし気に扇で顔を隠す。
――いやいや、そんなわけないでしょ。
どう考えてもわざとだ。自分がセシルに好意を寄せていることを隠す気もないらしい。まあ、子爵家である私の実家よりも上の家柄。彼に釣り合う年齢の美しい少女。彼女がその気になれば、何の力もない我が家などどうとでも出来るのだろうし、だからこそ、書類上の妻が近くにいたところで気にする必要はないのだろう。
「私はいつも通りに戦っただけです。すでに弱っていた黒龍の動きは複雑なものではありませんでした。私が最後の一撃を打ち込めたのも、皆の協力があってこそです。私一人の功績ではありません」
セシルはナディア嬢から視線を逸らすことなく、静かにそう言った。その声には奢りはなく、しかし過度に謙虚なものでもない。ただ事実を述べているだけ、という言葉の平坦さがあった。
「まあ……」
ナディア嬢は、まるで心臓を撃ち抜かれたかのように小さく呟いて頬を染める。
「セシル様はこんなにも誇らしい戦果さえ、そのようになんでもないことのように語られるのですね。皆が称賛して当然の功績ですのに、それを仲間への敬意に変えてお話しになるなんて……そういうところも――とても、魅力的ですわ」
「……恐縮です」
ナディア嬢の目は真っ直ぐにセシルを捉えたまま、微笑みを深める。その仕草には、もはや隠す気などない恋心が含まれていた。一応、彼の妻である私も視界に入っているだろうに、彼女はこちらを一切気にする様子がない。
「私、以前から思っておりましたの。どんなに武勲を立てた方よりも、彫刻のように美しい方よりも、心に驕りを抱かない方こそが真に尊いのではないかしら、と。セシル様は、まさに……」
「私は」
セシルはなおも彼を賞賛しようとするナディア嬢をとめる。
「ただ、己のなすべきことを果たしたまでです」
その言葉と態度に、周囲のご令嬢方からまた堪えきれなかったかのような熱い溜息が漏れる。
他は目に入らない、とばかりのうっとりとした顔でセシルを見つめる複数のご令嬢。若く、優秀で、見目美しく、そして謙虚でストイック。騎士の姿として、ここまで完璧なものもない。
――若いって良いわねぇ……
細かな泡の立ち上っているグラスを少し揺らして、私はそこに口をつける。泡が静かに弾けて、芳醇な香りが鼻に抜けていく。
――あら美味し。
さすがは王城で開催される祝賀会、用意されている料理もお酒も全部が上等なものだ。その後もセシルの周囲からご令嬢方が離れる様子はなく、あちらこちらからダンスに誘われているようでもあった。
――まあ、頑張って。
私には関係のないこと、と心の中で彼女たちに小さくエールを送りながら、カナッペに手を伸ばす。そこに「おやおやミア嬢ではないですか! 久しく社交界には顔を出されていなかったようですが」爽やかな声がかかった。
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