第18話 その夜
夜。村の広場の隅に、小さな焚き火が灯っていた。
周囲には古い木箱を並べただけの簡素な“椅子”が置かれ、その上で皆が湯気の立つ器を手にしていた。中身は、セリカが薬草を加えて煮た、あったかい根菜のスープ。
「今日も一日、けっこう動いたなー」
マーニャが背伸びをして、ぐいっとスープを飲み干す。
「魔法の訓練……まさか、みんなあんなにできるなんて思ってませんでした」
ナナが器を両手で包み込みながら、ぽつりと呟く。
「はい。びっくりしましたね、私たちに才能があったなんて」
セリカも同意するようにうなずく。
「なんだか、ほんの少し……自信が持てました」
その声に、シオンが焚き火越しに微笑む。
「みんな、すごかったよ。見てて頼もしかった」
「シオンだって、風は出ていたしねっ?」
マーニャがニヤリと笑い、ナナが慌てて「そんな言い方しないの!」とたしなめる。
そのやり取りに、笑い声が上がる。
少しだけ、いつもより近くに感じる温度が、焚き火のぬくもりと重なっていた。
ふと、ナナがシオンに尋ねる。
「……シオンは今日、名前のこと……気にしてたんですね?」
シオンは少し考えてから、ゆっくりと頷いた。
「正直、気にしてなかった……つもりだった。でも、マーニャはずっと呼び捨てだったろ? それがなんだか、心地よくてさ。ナナやセリカに“さま”って呼ばれるたびに、無意識に壁を感じてたのかもしれない」
セリカがそっと目を伏せる。
「……すみません。でも、これからは“シオン”って、ちゃんと呼びますから⋯⋯」
ナナも柔らかく笑った。
「うん。あらためて、よろしくね、シオン」
「こっちこそ」
シオンは照れくさそうに、けれど確かな声で返した。
焚き火がぱち、と音を立てて弾けた。
しばし、誰も何も言わなかった。けれど、その沈黙には、静かな安心と、ほんのりとした誇らしさが漂っていた。
もう、王子と奴隷ではない。
よそ者と村人でもない。
それぞれの名前を呼び合える、ひとつの家族。
するとそのとき、横から声が聞こえた。
「へえ……なんかいい感じじゃねえかよ」
焚き火の輪の外から、ゆるい声がした。
振り向くと、昼に魔法を教えてくれた青年・ハクが、手に器を持って歩いてきた。
「お邪魔するぜ。余ったスープ、もらっていいか?」
「もちろんです」
セリカが立ち上がって器を差し出すと、ハクはぺこりと頭を下げて、焚き火の輪に加わった。
「なんかいい雰囲気だよな、あんたたち……なんか、見ててちょっと懐かしくなった」
「懐かしい?」
シオンが首をかしげると、ハクは火の中を見つめたまま、ぽつりと語り出した。
「昔さ……俺、弟たち食わせるために、山でずっと獣追ってた。狩り方も、魔法も、誰にも教えてもらえなかった。だから最初の数年は、飢えるのが当たり前だったよ」
静かに火がはぜる音だけが響く。
「でも……不思議だよな。ひとりでやってたときより、誰かと笑ったり怒ったりしてる今の方が、ちゃんと生きてるって気がする」
ナナが、そっと顔を上げてハクを見つめる。
「……だから、なんつーか。お前らが家族みたいに過ごしてるの、見てていいなって思っただけ」
マーニャが肩をすくめて笑う。
「ふーん、意外といいこと言うじゃん」
ハクが照れくさそうに鼻を鳴らす。
「言って損したかもな」
シオンは笑いながら、静かに頷いた。
「……ありがとう、ハク。そんなふうに思ってもらえて、嬉しい」
その言葉に、焚き火を囲む皆の顔が、自然と緩む。
誰かの“役に立つ”とか、“頼りになる”とか。
そういう言葉じゃなくても、確かに伝わるものがあった。
村は静かだった。夜の風は冷たかったけれど、焚き火の火と、言葉の余韻は、まだ胸の奥に残っていた。
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