第11話 しばしの別れ
朝霧がまだ町の屋根を包んでいる頃、四人は、言葉少なに朝食を取っていた。
昨夜の出来事が、まだ胸の奥で燻っている。
訪問者の正体。そして、あの警告。
『この辺はもうマークされている。痛い目を見たくないなら、逃げたほうがいいぜ』
彼の言葉が、耳から離れなかった。
そんな中、最初に口を開いたのは、セリカだった。
「昨日の夜。一人で考えたのですが、やはりここから離れるべきではないですか」
誰も何も言えなかった。
「もし、昨日の男の言っていることを真実だと仮定するなら……シオンさまは、いずれ王都に連れ戻される可能性が高いです」
「まあ正直、王政が崩れた理由がシオンの追放だってのは納得できるわ……」
「なんで俺……?」
シオンは首をかしげる。
「いや……王都の中でシオンの存在って、やっぱ大きかったんだよ。唯一“優しさ”を感じられたからね」
「そう……なのか」
三人は小さく頷くと、シオンはふと呟く。
「俺、もしかして王都に戻った方が……」
「なに馬鹿なこと言ってんのよ」
「悪王のことです。何をされるか分かりませんし、一度離れた以上、シオンさまが戻ってどうにかなるとも思えません」
「私も……シオンさまには行って欲しくないよ」
全員が否定する。
それは、シオンの身の安全を思うことはもちろん、今、この環境を手放したくないという思いもあってのことだった。
シオンは少し考えると、ゆっくりと口を開く。
「分かった。セリカの言う通り……俺は、明日、町を出ようと思う」
全員が感じていた。
この町が、もう“安全な場所”ではなくなりつつあることを。
「もちろん、全員無理にとは言わない。でも、俺は……俺の一番は、みんなの安全と、町の人たちに迷惑をかけたくないんだ」
ナナが目を伏せたまま、小さく呟いた。
「……一緒に行きます。ずっと、どこまでも」
マーニャが腕を組んで椅子に寄りかかる。
「行くに決まってるでしょ。王政のピンチ? 知るかっての」
セリカは、そっとシオンの背に手を置いた。
「ここが私たちの“はじまり”でした。でも、“終わり”にはしません」
「また戻ってこれば良いってことでしょ」
シオンは、三人の顔を順に見た。 心の奥で何かが、ゆっくりと温かく灯る。
(ああ……俺には、もう“帰る場所”があるんだ)
「今日、出発しましょう。いつ追手が来るかわかりません」
セリカがそう言うと、三人は強く頷いた。
そしてシオンは、一枚の手紙を書き残す。
宛名は、この町で最初にシオンたちを受け入れてくれた宿の女将だった。
「ありがとう、って言葉じゃ足りませんけど……」
☆
シオンが手紙の執筆、セリカが帳簿の整理をしているとき、ナナとマーニャは、保育所に最後の挨拶に行っていた。
「え……みんな、いなくなっちゃうの?」
「少しだけ、お休みするだけ。でも、必ず戻るからね」
泣きそうな顔を無理に笑顔に変えて、ナナは子どもたちを抱きしめた。
帰り道、背中を押してくれたのは、ひとりの少年の声だった。
「……みんながいないと、みんな泣いちゃうけど……でも、きっと、だいじょうぶ」
「……うん」
涙が落ちそうになるのを、彼女は何とかこらえた。
☆
それぞれの役目を終え、全員が合流する。
そして出発の時間が近づく。
セリカとマーニャが先に出て、町の東側で見張りがいないかを確認しに向かう。
その間、ナナはシオンの隣で静かに荷物を抱えていた。
そのときだった。
宿の二階から、セリカの声が飛んだ。
「東門に、人影……黒い服の、三人組。待ち伏せされてます」
空気が一気に張り詰める。
「じゃあ……西側から?」
マーニャが顔をしかめた。
「無理。こっちにも回ってきてる。……囲まれてる」
シオンは深く息を吸い、荷物を背に担いだ。
「……包囲されてます。正面も裏手も、塞がれてるってことですね」
セリカは地図を広げ、指先で町の外周をなぞる。
その表情に焦りはなく、冷静そのものだった。
「東門、西門、南の裏道……それぞれに人数が配置されていると仮定して……北側の古井戸は……」
「そこ、使えるの?」
マーニャが身を乗り出す。
「はい。昔の避難路として繋がっていた記録があります。町の誰も使っていませんが、数年前に一度、保険として点検されています」
「それなら、使わない手はないわね」
マーニャが頷き、腰に下げた小袋から短刀を取り出した。
「まあ一人や二人くらいだったら、あたしがぼっこぼこにしてやるから安心するといいわ」
「マーニャ、頼むから怪我と人殺しだけはやめてくれよ……」
ナナが苦笑しながらも、子どもたちが教えてくれた黒服の人たちの動きを報告する。
「そういえば、子どもたちが言ってました。『変な人、橋の近くに立ってたよ』って。どうやら、西から来た人たちは橋に集中してるみたいです」
「じゃあ、北へ抜ける隙がまだあるってことね」
シオンは三人のやり取りを見つめながら、自分の手のひらを見つめた。
(……俺、何かできてるのか?)
ふと視線に気づいたのか、マーニャが不機嫌そうに口を開いた。
「なにその顔」
「……いや、なんかさ。結局みんなに頼ってばっかで、俺……」
「はいはいストップ!」
マーニャが指を立てて遮った。
「そういうの、今いらないから。あんたがいたから、私たちはここまで来られたの。家族でしょ? 支え合いが当然なの」
「……マーニャの言う通りです」
セリカが静かに笑った。
「誰か一人で全部やる必要はありません……シオンさまは、私たちが一緒にいたいと思える“居場所”をくれた。それ以上はありません」
「うん……私も、シオンさまといられるだけで、毎日があたたかいんです」
ナナの小さな言葉が、灯火のように心にしみた。
「……ありがとう」
シオンは、頭を下げた。
「よし、それじゃ……動くよ」
マーニャの合図で、四人が即座に動く。
その姿に、シオンは胸の奥から込み上げるものを感じていた。
今の自分には、剣も魔法もない。
けれど、こんなにも強く、優しい仲間たちがいる。
「……家族、だよな」
そう呟くと、三人がそれぞれ微笑んだ。
「当たり前でしょ」
「いまさら何言ってるんですか」
「じゃあ……帰ってきたら、みんなでごはん作ろうね」
その約束が、どんな宝物よりも尊かった。
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