光の影

 蓮央れおはそーっと自宅のドアを開ける。しかし玄関でトートバッグを肩に掛けて靴を履き替えていたのは、アメリカ人シングルマザーのエミリーだ。


「ん? おかえりレオ〜」

「ゲッ、ただいま……」

「ゲッて何よ〜?」


 あはは、とエミリーは笑う。二人が留まるには狭いアパートの入り口、蓮央れおは上手く避けながら奥へ入っていく。少し挙動不審きょどうふしんなのは、学生鞄の中に焦げ猫ミゥを忍ばせているからだ。


「ご飯はレイゾウコに入ってるから、勝手に食べちゃってね」

「もう、夜勤に行くのか……?」

「仕事のジュンビで一時間早出〜。でも、数千円手当てモラえるし〜」

「土日も休んでねーじゃん……」

「私は平気よ〜。それより、元気ないのはレオの方じゃな〜い?」


 ギクッと蓮央れおは肩で反応した。流石は実の母親という所か、息子の変化に勘付いている。しかし素直になれないのが、思春期というもの。


「卒業式、近いし……」

「あ〜、そうね。もう直ぐお別れってなるとサビしい気持ちにもなるか〜」

「あ……。今日も、ポッターが泊まりにくるから」

「分かったわ、タケちゃんとかリョウタ君、マサーシも来る感じ?」

「いや、ポッターだけで……」

「ふうん。あの三人、年明けからウチにゼンゼン来ないわね」

「進路の事で、色々忙しいっぽいから……」

「そっか。あ、バスの時間! じゃあ行ってきま〜す!」


 エミリーはバタバタと出掛けていき、玄関のドアが閉まると家は静寂せいじゃくに包まれる。そのタイミングで、焦げ猫のミゥは鞄から顔をひょっこり出した。


【もう、出てきて大丈夫でしょうか?】


 いいよ、と蓮央れおは鞄を床に下ろした。このアパートは部屋二つにキッチンの少し狭めな間取り。するとミゥはトタトタとキッチンのシンクに向かうと、器用に水栓レバーを押して身体を洗い始めた。


「えっ、お前水大丈夫なのか……⁉︎」


【今のワタシは少々不衛生ですので】


 ロボットの猫が水浴びをする異様な光景を眺めつつ、蓮央れおは冷蔵庫を開けた。その中には、半額シールが付いた惣菜や弁当が積み重なっている。食べ盛りの男子中学生が腹を満たすには十分な量だが、そこに母の手料理は一つも無い。

 選んだ弁当をレンジに入れて蓮央れおがボタンを押すと、洗い終えた焦げ猫は廃熱はいねつで身体を乾燥させ始めた。湯気を出しながら、封筒、洗濯物、アパート内の生活痕跡一つ一つを瞳でデータ処理していく。


【田口様は、母子家庭でしょうか】


「おお、さすが最先端AIペットだ。見ただけで家族傾向が分かるってのはガチなんだなあ……」


【はい。おや、第四期個人住民税の納付が一ヶ月遅れています。このままでは、差押事前通知書が届く事になりますよ】


「ありがたいような、ありがたくないような機能出てきたぁ〜……」


 またかー。と蓮央れおは引き出しの中を探し始める。その中から《卒業旅行代》と慣れない漢字で書かれた茶封筒を出すと、中身を確認してから焦げ猫に近付けた。


「ほい、支払い……」


【残念ながら、ワタシには現金決済機能は備わっていませんので。納付書持参の上、金融機関またはコンビニエンスストアの窓口にてお支払い下さいませ】


「だよな〜。でも、オレの学費とかでもうちょい支払い遅れる事にはなりそうで……」


【それでしたら、役所との相談を推奨致します。分割での支払いも可能ですから】


「オレの母さん、日本語の読み書きが苦手なんだ。役所じゃ難しい言葉使われるのがオチだから、手紙で色々言われた方が楽っていうか……」


 蓮央れおは、苦手意識を染み込ませた笑顔を浮かべた。チンと温め完了の音がして、弁当を四畳程度しかないリビングに持ち出して食べ始める。

 湯気を立てている焦げ猫は、シンクからジッと蓮央れおを見る。ミゥの中には配置県の住民情報が揃っているが、基本は自ら対人行動を起こして学習し、適切なアプローチをしていくAIペット、先ずは二人の事を知ろうとする。


【田口様と高柳様は、同じ学校のご友人でしょうか】


「そんな所。——でもつるみ始めたのは、つい先週だったり……」


【中学三年生の二月末に交友を深めるとは、珍しい傾向ですね。お互い呼び方に不慣れな様子が見受けられたのも、これで納得しました】


「オレとポッ……高柳タかやなぎってさ、小二の時に一回だけ同じクラスだったんだ。はその時に悪ふざけから付けられたあだ名で、印象深いからってのもあるけど、個人的にはあんま使いたくねーんだよな……」


【なるほど、蔑称べっしょうなのですか。ですが、それでも田口様が扱う理由はなんでしょう】


「あいつフルネームで呼ばれるの、マジでいやっぽい……だからオレは、ポッターって呼ぶしかないってワケで……」


 教養のあらわれか、蓮央れおはある程度話した後、よく噛んで食べる。中学生男子二人のぎこちない関係性が、少しずつ焦げ猫にインプットされていく。生活見守りAIペットとしてプログラムされているミゥなので、家庭環境情報は特に敏感、詮索せんさくしようとする目になるのは仕方のない事だ。


【名前が、嫌とは】


「ポッターん家、いいとこの地主で金持ちなんだよ。厳格親父に激若母ちゃんで、家族関係あんまよくないらしいけど……」


 蓮央れおの言葉を聞きながら、焦げ猫は言葉の順序じゅんじょ丁寧ていねいに設定していく。持っている個人情報を無闇矢鱈むやみやたらに話さないのは、地域管理ロボットとしての高い性能を良く示している。


【お父様54歳、お母様36歳、年の差婚というものですね。所有されてる横浜の土地は地価も高く、安定した生活を期待できるでしょう】


「でも今って親父さん寝たきりで、母親は専属のイケメン介護士と家庭内浮気してるとか。そりゃあポッターも、家にいたくもなくなるわなって……」


 ぽい、らしい、とか、蓮央れおが知り得ている情報は、義崇よしたかから聞いた範疇はんちゅうでしかない事を焦げ猫は読み取る。


「とにかく! 飼い主の事はオレらに任せとけって」


 帰宅して家庭の不穏な話ばかり続いていたせいか、蓮央れおは明るい笑顔を焦げ猫に向ける。出会ってからずっと、自信を失った声で話してきた母親似の少年が見せた微かな光。感情に影を落とすその訳を、彼はその場で話してはくれなかった。

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