第7話 折れた愛剣と、森の小さな贈り物
次兄クロードの魔法スランプ解決から季節は少し巡り、俺、ルーク・フォン・アークライトは六歳になっていた。
元・四十五歳の何でも屋、田中一郎としての記憶と経験を持つ俺は、この異世界でも侯爵家の三男坊として、日々こっそりと人助けに励んでいる。
最近、俺が少し心配しているのは、長兄であるヴィクトル(十一歳)のことだ。
アークライト侯爵家の跡継ぎとして、ヴィクトル兄様は剣術の訓練に人一倍熱心に取り組んでいる。
その真面目な兄様が、数日前、父アルフォンスとの厳しい稽古の最中に、愛用していた木剣を不自然な形で折ってしまったのだ。
それはただの木剣ではなく、ヴィクトル兄様が初めて自分の手で手入れをし、長年使い込んできた、いわば相棒のような存在だった。
「ちっ…!なぜだ…!」
稽古場で、折れた木剣を手に立ち尽くすヴィクトル兄様の顔は、悔しさと困惑に歪んでいた。
父アルフォンスも、「ふむ…打ちどころが悪かったか。だが、それにしては妙な折れ方だな」と首を捻っている。
新しい木剣はすぐに用意されたが、ヴィクトル兄様の調子は明らかに狂ってしまった。
手に馴染まない新しい剣では、得意の速攻も影を潜め、近々予定されている領内の若者たちを集めた剣術の試合に向けて、焦りの色が濃くなっていた。
折れた愛剣は、領内の鍛冶屋に見てもらったものの、「これは特殊な硬化処理が施された木材のようですね。残念ながら、私どもの技術では元通りに修復するのは難しいかと…」と、さじを投げられてしまったらしい。
兄様の落ち込みようは、見ていて痛々しいほどだった。
(木剣の修理か…材質が特殊となると厄介だな。でも、何とかならねぇもんか…)
俺の「何でも屋」魂が、またしてもムズムズと動き出す。
俺はまず、折れた木剣をこっそり観察することにした。
ヴィクトル兄様の部屋に忍び込み(もちろん、兄様がいない時を見計らってだ)、机の上に置かれていた折れた木剣を手に取る。
断面を見ると、確かに普通の木材とは違う、黒く引き締まった木目が現れていた。
そして、微かに甘いような、それでいて少し薬草っぽいような独特の香りがする。
(この匂い…どこかで…ああ、そうか!)
前世で、ある家具職人から聞いた話を思い出した。
特定の樹木から採れる樹液には、木材を硬化させ、耐久性を増す効果があるということ。
そして、その樹液が染み込んだ木は、独特の香りを放つということも。
(もしかしたら、あの剣も、その特殊な樹液で処理されていたのかもしれない。そして、その樹液と親和性の高い、同じ種類の木材でなければ、うまく接合できないんじゃ…)
俺は、父や執事のセバスチャン、そして出入りの職人たちの会話に、それとなく耳を澄ませて情報を集めた。
どうやら、ヴィクトル兄様の折れた木剣に使われていたのは、「月影樹(げつえいじゅ)」と呼ばれる、この地方の森の奥深くに稀に生えるという特殊な木で、その樹液は強力な接着・硬化作用を持つらしい。
しかし、月影樹は数が少なく、見つけるのが非常に困難なのだという。
「月影樹か…名前からして、夜に見つけやすいとか、そんな単純な話じゃねぇだろうな…」
それでも、何とかして兄様の力になりたい。
俺は数日間、屋敷の書庫で植物図鑑を漁ったり(もちろん、絵本を見ているフリをしながら)、庭師のじいやに森の植物について「子供の質問」を装って尋ねたりした。
そして、一つの仮説にたどり着いた。
月影樹の樹液は、ある特定の種類の甲虫が好んで集まるという記述を見つけたのだ。
その甲虫は、夜行性で、微かな光を放つという。
(これだ!この甲虫を探せば、月影樹も見つかるかもしれない!)
次の日の夕暮れ時。
俺は「ちょっとお庭で虫さんを探してくる!」とマリーに言い残し、懐に小さな虫かごを忍ばせ、屋敷の裏手にある森の入り口へと向かった。
もちろん、日が落ちてからは危ないので、森の本当に浅い部分だけだ。
それでも、六歳の子供にとっては大冒険だ。
(いた!あれか…?)
薄暗い森の中で、木の幹に小さな、淡い光を放つ虫が数匹止まっているのを見つけた。
前世で見たホタルよりもずっと小さな光だが、確かに光っている。
俺は、その虫たちが集まっている木の根元を、持ってきた小さなシャベル(これも庭師の道具を拝借)で慎重に掘り返してみた。
すると、黒っぽくて硬い木の根の一部と、そこから染み出しているのか、ゼリー状に固まった、あの独特の香りがする樹液の塊を見つけたのだ!
(やった!月影樹の根っこと樹液だ!これだけあれば、木剣の補修くらいなら…!)
俺は、それらを汚れないように葉っぱで包み、急いで屋敷へと戻った。
そして、翌朝。
ヴィクトル兄様が鍛錬に向かう前、兄の部屋の前に、俺は昨夜見つけた月影樹の木片と樹液の塊を、綺麗な葉に包んで「偶然落ちていた綺麗な木の枝と、変なベタベタ」として置いておいた。
もちろん、誰からの贈り物かは分からないように。
その日の午後。
鍛冶屋が慌てた様子でアークライト邸を訪れ、父アルフォンスと何か話し込んでいるのを、俺は遠巻きに見ていた。
そして、夕方。
ヴィクトル兄様が、信じられないものを見るような目で、一本の木剣を手に部屋から出てきた。
それは、紛れもなく、先日折れたはずの兄様の愛剣だった。
折れた部分は見事に接合され、以前と変わらぬ黒光りする木肌を取り戻している。
「父上!これは…!鍛冶屋の親方が…!?」
「うむ。どうやら、修理に必要な貴重な素材が『偶然』見つかったらしい。お前の幸運に感謝するんだな」
父アルフォンスは、そう言いながら、なぜかチラリと俺の方を見た。
俺は、とっさにぷいとそっぽを向き、口笛でも吹きそうな顔で空を眺めた。
(バレて…ないよな…?いや、父上ならあるいは…)
ヴィクトル兄様は、修理された愛剣を何度も確かめるように握りしめ、構え、そして軽く振った。
その顔には、ようやく安堵と喜びの色が戻っていた。
「…これで、戦える…!」
その呟きは、誰に言うともなく、だが確かな決意に満ちていた。
後日行われた領内の剣術の試合で、ヴィクトル兄様は見事な剣技を披露し、優勝を飾ったという。
その手には、あの黒光りする愛剣が握られていた。
俺は、その話を聞いて、心の中でこっそりと祝杯をあげた。
ヴィクトル兄様が、俺の「小さな贈り物」に気づいたかどうかは分からない。
だが、兄様のあの嬉しそうな顔を見られただけで、十分に満足だった。
(さて、次はどんな「お困り事」が舞い込んでくるかな?)
侯爵家の三男坊にして、秘密の「何でも屋」ルーク・フォン・アークライト。
彼の日常は、今日もささやかな達成感と、次なるお節介への期待に満ちているのだった。
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