第四章・素材調達課編

17.左遷? 栄転?

 クロダが製品加工課に配属されてから一か月が経った。


 任される仕事は相変わらず雑用ばかりだったが、課の先輩たちはクロダの働きを口々に褒め、感謝の言葉をかけてくれる。クロダは、そんな穏やかな毎日に小さな幸せを感じていた。


「どうしたんですか? 急にニヤついて」


 入荷した素材を受け取って戻る途中、隣を歩いてたテッドが不思議そうに尋ねてきた。


「いやまあ、最近ようやく仕事に慣れてきてさ。なんだか楽しくなってきたっていうか」


「たしかに! 僕もクロダさんを見てたら、ちょっとずつ自信がついてきました!」


 テッドは、初めて会った頃の頼りなさが嘘のように、きびきびと動いている。表情も明るく、クロダの目にも成長がはっきりと見えた。


(作業スピードだけなら、もう俺より上かも……。でも、お世辞っぽくなるから本人には言わないでおこう)


 二人は他愛ない話をしながら執務室へ戻る。テッドが元気よくドアを開けた。


「ただいま戻りましたー! ……って、アレ?」


 勢いよく飛び込んだテッドが、ピタリと足を止めた。クロダも荷物を脇に置き、彼の視線の先を追う。


 そこには、険しい顔のバルドと……その隣に見知らぬ男が立っていた。


「ほう、あなたが……いや、違いますね。そちらがクロダ、ですね?」


 見知らぬ男はテッドとクロダを順に指さし、穏やかな笑みを浮かべた。


「……おい、クロダ。こっち来い」


 クロダは戸惑いながら、バルドのもとへと向かった。





 普段はにぎやかな執務室が、異様な静けさに包まれていた。誰もが手を止め、息をひそめて成り行きを見守っている。


 バルドは無言のまま肘置きを指で叩き続ける。トン、トン、という音だけが静かな室内に響く。


「も、もしかして……クビ、ですか……?」


 クロダが恐る恐る尋ねたその瞬間、見知らぬ男が静かに口を開いた。


「はい。その通りです。クロダ、あなたは製品加工課をクビになりました」


 ガーン、とクロダの脳が揺れた。目の前が真っ暗になる。


 「クビ」の二文字が、脳内を駆け巡る。


(つ、ついに、この時が……グッバイ、俺の幸せなホワイト生活……)


 クロダはガクンと膝をついた。しかし、こんな時だというのに涙も出てこない。


(こんなことなら、もっと残業を……いや、休日出勤をしておくべきだった……)


 クロダは、今まで自分がいかに自堕落な生活をしてきたかを実感し、その認識の甘さを悔いた。


 ギルドを紹介してくれた男、教育係のジェイク、一緒に接待した応対係……。


 お世話になった人たちの顔が、次々に浮かんでは消えていく。


 クロダは力尽き、真っ白な灰になった。


(どうやら、俺のホワイト生活はここで終わりのようだ……)


 社畜にブラックギルドはぬるすぎる! …………完。





「……んなわけねぇだろうがっ!!」


 バルドの怒声が、クロダを現実へと引き戻した。


「ふふふ。話に聞いていた通り、なかなか面白い男ですね」


 見知らぬ男はくすくすと笑っている。


 クロダはなんと反応したらいいのか分からず、ポカンとしたまま呆けていた。


「……異動だ。素材調達課にな」


(異動! ……ってことは、この人は……)


 クロダが見知らぬ男の顔をうかがうと、彼はゆっくりと頷いた。


「私が素材調達課の課長、セシルです。以後、お見知りおきを」


 右手を差し出したセシルに、クロダは慌てて両手で応えた。


「よ、よろしくお願いします……」


「よかったですね、クロダ。この男が、あなたを課から追い出そうとしているのを知りまして。うちの課で引き取るよう、上に掛け合ったんですよ」


(……や、やっぱり、実質クビなんじゃ……)


 ガーン、とクロダは本日何度目か分からないショックを味わい、立っているのもやっとだった。


「ちげぇだろ! そっちが人手不足って話だから、仕方なく……」


「そう、我らの課を統括する"生産部"の部門長が、クロダを製品加工課から救ってやれないかと、私にね」


「うちの業績が好調だからだろ! 売上が偏るのを嫌った部門長が、人員調整しただけだ!」


「特段、あなたがクロダのことを高く評価してたというわけではなかったと思いますが?」


「そ、そりゃ、クロダはただの雑用係だからな……"ちょっとはできる"って、それだけだ!」


「そう頑固だから、部下がついてこないんだと思いますよ……」


 ふたりの応酬を理解もできず見つめていたクロダは、気づけばセシルに肩を抱かれ、そのまま執務室の出口へと導かれていた。


「く、クロダさぁん……」


 泣きそうな顔で呼び止めようとするテッドを、セシルが一瞥した。


「あなた、テッド君ですね。バルドが言っていましたよ。『クロダの代わりはテッドがいれば十分だ』……ってね」


「ほんとですかっ?!」


「ッ! そんなこと、言って……ねぇ、ってのは語弊があるか……」


 バルドが歯切れ悪くもごもご言っている隙に、セシルはクロダをさっさと扉の外へと連れ出した。


 後方から、扉越しとは思えない声量の怒号が突き抜けてくる。


「二度と来んじゃねえぞ!!」


「おやおや、冷たいですねえ。クロダ、二度と戻って来るな、だそうですよ」


「テメェに言ったんだよっっ!!!」


 クロダは、バルドの凄まじい怒声とセシルの涼しい顔の対比に圧倒されながら、ただ黙ってセシルの隣を歩き続けた。

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