断罪執行団《リベンジャーズ》──世界が彼らを見捨てた日から
DG
プロローグ 正義の名はまだ与えられない
空は晴れていた。完璧なまでに、皮肉なほど。
霞が関の朝は、いつもどおりの混雑に満ちていた。
警察庁の本庁舎。鋼鉄とガラスで組み上げられたその建物の威容は、あたかもこの国の秩序そのものが形を得たかのようで、訪れる者すべてに無言の威圧感を与えていた。
午前九時五十八分。
会見室に設置された時計が、秒針のリズムを狂いなく刻む。
出入り口の前に、数十の報道関係者が陣取っていた。スーツ姿の記者、フリーランスのカメラマン、地味な服装に見えて鋭い眼光を隠しきれないネットメディアの者たち。誰もが固唾を飲み、登壇を待っている。
本来ならば、今回の記者会見はいつもの定例報告と、先月発生した連続傷害事件の進捗報告が主題であるはずだった。
だが今朝、警察庁広報室から発表されたたった一文の案内が、すべてを変えた。
「本日は、警察行政の根幹に関わる重大発表がある」
それだけだった。
詳細もなく、補足もなく、それでもこの一言は、記者たちの本能を揺さぶるには十分だった。
テレビ局は中継車を出し、各社は速報準備のためにサテライトを構え、ネット上では早くも予測合戦が始まっていた。テロ対策か。新たな権限の創設か。それとも……警察機構の改編すらあり得るのではないか――と。
時計が十時を示すと、会見室の空気は緊張に変わる。
壇上の左右から、二名の男が歩み出てきた。
一人は広報課の課長。だが、視線は誰も彼に注がない。
もう一人――彼こそが、本日の主役である。
痩身で高身長、白髪の混じる精悍な横顔。グレーのスーツはよく仕立てられ、彼の背筋の真っ直ぐさと相まって、威厳という言葉を具現化したかのようだった。
彼は警察庁の現役長官であり、元警視監。
かつては強行犯対策課のエースとして名を馳せ、警察機構の“最後の防壁”と称された人物である。
男は一礼をすると、演台に歩み寄り、ゆっくりと息を吸った。
その姿は、慣れたものであった。場数を踏んだ男の、研ぎ澄まされた所作。言葉の一つ一つに重みがあるだろうと、誰もが疑わなかった。
しかし、その最初の一言は、あまりにも常軌を逸していた。
「本日より、我が国の警察は――犯罪者の人権保護を、最優先とする」
沈黙が落ちた。
言葉の意味が、瞬時に脳内で再構築されていく。
そして、遅れて訪れる驚愕の波。
何人かの記者が身を乗り出す。ある者は首を傾げ、またある者は周囲の記者と視線を交わし、あたかも自分の聴覚に異常があったのではと疑った。
だが、壇上の男は動じない。
むしろ、これまでにないほど静謐な声で、言葉を継いだ。
「長年、我々は“加害者を捕らえること”に偏りすぎていた。だが、よく考えていただきたい。被害者は、すでに被害を受けているのだ。その人生は、既に終わっているとも言える」
カメラのレンズが集中し、フラッシュが走る。
「だが加害者には、まだ未来がある。更生の機会、学び直しの機会、社会に復帰し、新たな命を育む可能性がある。その可能性を摘むことは、国家にとっての損失だと我々は結論づけた」
記者席が騒然とし始めた。小声でのやりとりが増え、怒声に似た質問が飛び交う。
「被害者の遺族感情はどうするつもりなのか」
「加害者の人権が被害者の尊厳を上回るのか」
「この方針は政権の意向なのか」
その全てを無視するように、男は右手を掲げ、場を制した。
「おっと、誤解しないでいただきたい。私は“被害者はどうでもいい”などと言っているわけではない。いや、言い換えよう。“死んでいようが生きていようが、どうでもいい”のだ」
重ねて放たれた暴言に、会場は破裂寸前の怒りと驚きに包まれる。
カメラマンの一人がレンズ越しに「ふざけるな」と吐き捨てた。
手にしていたICレコーダーを握りしめる記者の指先は、白くなっていた。
だが、壇上の男はまるで全てを見越していたように、哂った。
「諸君、我々は暴力装置である。ならば、誰のための暴力装置か? 弱者のためではない。強者の秩序を守るためだ。そして――最も強い存在こそ、犯罪者である」
雷鳴のような怒号が会場に鳴り響いた。
だが、それらは男の言葉を押しとどめることはできなかった。
「本日より、我が国の警察庁は、“加害者人権保護局”として生まれ変わる。未来ある犯罪者の涙を拭うために、我々はある。死人に口なし、生きている犯罪者の人生に、祝福を」
カメラは止まらない。
シャッター音が嵐のように重なり、録音機器が絶望と混乱の渦を記録し続けていた。
そして、その様子を――カフェの薄暗い一角から、静かに見つめていた者たちがいた。
---
「本日より、我が国の警察庁は、“加害者人権保護局”として生まれ変わる。未来ある犯罪者の涙を拭うために、我々はある。死人に口なし、生きている犯罪者の人生に、祝福を」
その言葉は、まさに終わりの鐘だった。
取材陣は騒然とし、テレビ局の報道スタッフたちは互いに怒鳴り合いながらカメラの角度を調整し、幾人かの記者はスマートフォンに向かって絶叫し始めた。
「これは虚構か?」「フェイクなのか?」「これは……何だ?」――誰一人として明言できなかった。
だが、それは序章にすぎなかった。
午後一時。今度は、霞ヶ関から歩いて数分の文部科学省にて、臨時記者会見が開かれた。
告知は急であり、内容は一切不明。場所は省庁内の第一講堂、教育改革など大規模な政策発表の場として知られているホールである。
壇上に現れたのは、一人の女性だった。
歳は五十代半ば、肩まで伸びた黒髪をまとめ、紺のスーツを纏っている。知性と威厳を併せ持つその立ち姿は、就任当初より“改革派の象徴”と讃えられた女性初の文部科学大臣にふさわしいものだった。
だが、その口元にはわずかに――笑みが浮かんでいた。
不自然な、とは言わない。ただし、それは“穏やか”とは正反対の色を孕んでいた。
「先ほどの警察庁長官の発表、ご覧になった方も多いことでしょう」
彼女は穏やかに口を開いた。
会場内の記者たちはまだ混乱から抜け出せずにいたが、喉の奥を鳴らして咳払いする者、タイピングの音を鳴らし始める者、ぴくりと表情を動かす者――徐々に場が動き始める。
「本日、私たち文部科学省も、警察庁の姿勢に全面的に賛同し、新たな教育方針を打ち出すことといたしました」
記者席に微かなざわめきが走る。
「いじめにおいて、これまで我々は“いじめられた子どもを守る”という一面的な立場に立ってきました。しかし、それは果たして正しい教育方針だったのでしょうか?」
誰かが小さく、「まさか……」と呟いた。
「よく考えてみてください。いじめを行う子どもたちこそ、保護されるべき存在です。なぜなら、彼らには“可能性”があるからです。未来があるのです」
その言葉が、はっきりと放たれた瞬間、記者席の何人かがペンを落とした。
「私たちは、いじめっ子たちの“いじめる権利”を守るよう、全国の教育機関に強く働きかけてまいります」
「は……?」と誰かの喉が震えるような声が聞こえた。
だが、大臣は止まらない。
その姿は、清廉なる狂気の化身だった。
「いじめられる側――つまり被害児童は、いじめっ子の“自己実現”のために存在する踏み台であり、その存在に対して感謝すべきです。これを私は、“感謝主義的教育”と名付けました」
その場にいたすべての記者が、頭のどこかで「これは冗談だ」と願った。でなければ、この現実に何の整合性も見出せない。
「具体的には、“いじめ促進週間”の設置を提案いたします。被害児童には“感謝日記”の提出を義務づけ、毎週末、いじめの内容とその中で学んだ教訓を記録していただきます。教育現場でこそ、加害者への敬意を育むことが重要なのです」
静かな殺気が、会見室に漂い始める。
だが、それは外に向けられた怒りではなかった。
それは、“常識というものの根幹が音を立てて崩れる”音だった。
「いじめとは、進化の過程です。優れた者が弱き者を乗り越えるための必要過程なのです。みなさん、歴史を振り返ってください。ナポレオンも、織田信長も、偉業の裏には数え切れないほどの“踏み台”があったのです。私たちは、それを教育の現場で再現しようとしているだけです」
「まさか……」と隣の記者が呟いた。
「これは、狂ってる……!」
「ですので、来年度からの全国共通教科書には、『いじめの価値』という新章を導入し、道徳教育の中核に据えます。タイトルは、すでに決めております。“いじめの恩恵――痛みから学ぶ未来”です」
誰かが立ち上がった。別の誰かは顔を手で覆った。
「もちろん、これは始まりにすぎません。我々はこれから、加害者という存在に対する偏見を取り除くため、あらゆる法整備・文化教育を再構築していきます。“いじめっ子の尊厳回復”こそが、次世代の教育なのです」
沈黙の中、どこからか椅子が倒れる音がした。
会場の出口に向かって歩き出す記者の姿が見える。だが誰も、彼を止めなかった。
むしろ、全員が、彼の心の逃げ道をそっと見送っていた。
壇上の女はなおも語り続けた。
その声音には、ほんの一滴の迷いすらなかった。
承知した。
テンポは前回と同様に維持しつつ、**人権活動家の会見**では**風刺と狂気、そして笑い**を意識して構成する。
また、**クライマックスでは西崎・紗香・一真・正之が初めて名前付きで登場**し、特に**正之が爆笑する描写**に重点を置く。
---
午後三時三十分。
霞ヶ関の午後は、異様な熱気と沈黙に包まれていた。
警察庁長官による“加害者人権保護局”宣言、そして文部科学大臣による“いじめる権利”の肯定――
誰もが一度は耳を疑い、次に心を疑い、それでもなお現実としてそれを飲み込まなければならなかった。
だが、もう一つ、誰も予期していなかった会見が、続いていた。
都内某所。静謐な会見場に、男が一人立っていた。
灰色のジャケット、眼鏡、白髪交じりの温厚そうな顔つき。
彼の名前は――中村和彦。
“被害者支援活動三十年”の大ベテラン。
全国の事件・事故に際して遺族に寄り添い、「この国に正義を」と訴え続けてきた男。
その彼が、突如として会見を開くという知らせは、多くの者にとって“正気の証明”のような希望だった。
今こそ誰かが、間違っていると声をあげる。
今こそ、“人間の良心”がこの連鎖を断ち切る。
そう信じて、報道陣は彼の登壇を待った。
そして――
その希望は、見事に踏み砕かれる。
「わたくしは、今日この場で、重大な告白をいたします……」
中村は開口一番、深々と頭を下げた。
その姿は、まさに“贖罪の人”。
その静謐な立ち居振る舞いに、会場はぴたりと息を呑む。
「私は、これまで三十年……間違い続けてきました!」
叫んだ。
突然、大声で。
しかもマイクとの距離が近すぎて、音響が割れた。
記者の一人が驚いて手元の水をこぼした。
「被害者を! 支援していたつもりでいた私は! 実はッ! 真の被害者を見誤っていたのです!」
拳を震わせ、目には涙。
この男、まるで大河ドラマの主演である。
しかも、終盤の無実の罪で投獄されるパートである。
「真に守るべきは――加害者だったッ!」
会場に乾いた空気が流れる。
ではなく、“喉が乾いた”ような絶望だった。
「なぜなら彼らは……社会に裏切られた者たち! 愛されず、理解されず、善悪の境界線を彷徨い続けた、孤独な魂たちなのです!」
「孤独な魂……?」と誰かが反復した。
だがその語感のあまりの“宗教感”に、声は霧消した。
「私は今ここに、三十年間の過ちを詫び、心から謝罪しますッ!」
突然、中村は壇上で土下座した。
あまりにも豪快、あまりにも音がデカい。
会場のスピーカーから“ドン!”と鈍い衝撃音が響いた。
「加害者の皆様、申し訳ございませんでしたァァァァァァァ!!」
顔を床に擦り付け、嗚咽を漏らす。
もはや、ここは記者会見場ではない。
悔い改めの説法現場である。
「あなた方を“加害者”と呼んだこと、私は一生をかけて償います! これからは……“可能性を秘めた社会的逸脱者”と呼ばせていただきます!」
新しい言葉が生まれた瞬間だった。
“可能性を秘めた社会的逸脱者”――五・七・五のリズムで韻まで整っていた。
中村はそのままポケットから小さなバッジを取り出した。
金色の縁取りに、黒い文字でこう書かれていた。
> 「殺人者の未来を守る会」
これには、報道陣すら息を止めた。
記者の一人が、笑ってはいけない空気に抗いながら、膝を抱えた。
耐えきれず、口元を手で隠して下を向く者もいた。
中村は続けた。
彼の暴走に、もはやブレーキは存在しなかった。
「私がこれまで見てきた被害者遺族の涙――あれはッ! あれは、単なる自己満足だったのです!!」
「我々は、あの涙に酔いしれていた! 被害者を哀れむことで、自分の良心に酔っていたんだッ!」
「だが違う! 本当に救うべきは――加害者の涙だ! まだ罪を犯して間もない、彼らの濡れた頬にこそ、ハンカチを差し出すべきだったッ!」
その瞬間。
ある一室で、男が声を上げて爆笑した。
「ダメだ……ムリだってコレ……ハッ……腹……あっはははははッ!!」
笑いをこらえきれず、床に転げ落ちたのは――**皆原正之**だった。
彼は腹を抱えて呻くように笑い、呼吸を整える暇もなく、膝を叩いていた。
「いや……バッジ……バッジて……ッハハハ! ねぇわそれ!!」
その隣で、静かに笑みを浮かべている少女がいた。
三つ編みの黒髪、黒縁眼鏡、白いカップから紅茶を啜っていた。
「……これが、この国の“偽善の根底”よ。皮肉でも何でもない。本音を言わせたら、滑稽になるってだけ」
彼女の名は――影山紗香。
この狂気のパレードの“仕掛け人”であり、全てを見届ける観測者だった。
「死人に口なし、生きている犯罪者に祝福を……か。まさか、本当に言わせるとは」
カップを置き、呟いたのは長身の青年。
黒いジャケットを羽織り、目元の影がどこか冷たい。
言葉は皮肉めいていたが、表情は驚くほど冷静だった。
「この社会は、自分で正気を捨てる準備ができていたんだよ。俺たちはただ――その本音を晒させただけだ」
西崎聡。
《リベンジャーズ》と呼ばれる“非合法の断罪者たち”の、冷徹なるリーダー。
そして、室内の片隅では、一人の少年が静かにノートを閉じた。
感情の読めないその顔は、窓の外――静かに暮れゆく東京の空を見つめていた。
石沢一真。
その眼差しは、笑いも怒りもなく、ただ――記録していた。
「人間ってさ、壊れた言葉を繰り返してる時の方が、“本当の声”に近いんだよな」
正之が涙目でうずくまりながら、未だに笑いを噛み殺していた。
「感謝日記って、感謝日記って……オレもうダメ、腹筋死んだ……!」
その光景を見つめる紗香の目には、かすかに――満足の色が滲んでいた。
「さぁ、次はどの“仮面”を剥がしましょうか?」
彼女の声は、柔らかく、冷たく、そして――確信に満ちていた。
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