第19話

二部のメンバーに改めて挨拶をする。事務の女性は三名。一人は、勤続30年のベテラン後藤さん。後は、真面目な大卒三年目の理系女子の小野田さん。もう一人は派遣二年目の佐藤さん。営業は全員男性で、二十代~四十代までそろい踏みだ。男性陣は覇気がないな……。


 佐藤が、全員の前でこれからの方針を話す。私は、佐藤の隣でみんなの反応を見ていた。みんな、「あっそう」という感じ。ま、私たちの方が異物なんだから無理もない。


「佐藤さんは部長と同じ苗字だから、奈美ちゃんって呼んでもいい?」

「はい!大丈夫です。よろしくお願いします」


 上辺の分析で当てを付けて、話しながら修正していく。警戒を解きながら、上から目線にならずに……。人と仲良くなるのは、普通に好きだった。新しいものを知る感覚がとても好き。ビジネストークばかりが板についていた頃の私よりも、今はもっと自然に人を知ろうと思えている。


 これは、きっと直樹のおかげだ。直樹を好きになったことで気付けたのは、醜い感情だけではない。色眼鏡を外して見る世界も教わった。

 

 会えなくなっても、直樹のことが頭から離れずに私を苦しめていた。それを払拭するように、仕事に没頭する。佐藤との同行も頻繁に入れていた。


 トップセールスを当たり前に継続しているのはこういうことか。佐藤の圧巻の営業力に、息をのむ。その場を切り抜ける臨機応変さ、危ない橋を渡れる度胸、人を引き付ける話術。


「こんなに不安定なまま、何食わぬ顔で発注書だしてたの?気が付かなかった。私は、怖くて禿げそう……」

「ちょっとは、算段がついてるさ笑。とりあえず、数字作らなくちゃいけないんだから。俺は単純に、結果を掴む工程が好きなんだよ。ジグソーパズルを完成させる感じかな。芹香は、俺と同じじゃなくていいんだよ。芹香のやり方でいい」


 営業は、女を口説き落とす感じでワクワクするね。そう言って佐藤は余裕の笑いを見せた。


 難しく考えているのは直樹のことだけじゃなくて、仕事もそうなのかな。面倒な人生……。もう本当に嫌になる、自分に疲れた。


 自分のことはとことん理解できなくても、人のことは分析できるのは何故だろう?空気を読む力ばかり、無駄に付けて生きてきたからだろうか。四カ月も立つと、みんなの得手不得手がわかってきた。この辺で、もう少し同じ方向を目指せるチームにしないとな。


 佐藤がピリピリしているのも伝わってくる。営業メンバーとうまくいってない。同じ四十代の笹沼さんは、方針変更を受け入れずらいだろう。二十代の尾形くんは、人を怖がっている。何で営業職についたのか?もっと生きやすい仕事でも良かったんじゃないかと思ってしまう。三十代の工藤君は、要領も外面も良い。そして、時々ミスを隠す。気が付いてないとでも思っているのか?


 佐藤が営業に集中できるように、何とかしないと。

「全然言った通りにやってくれねー。月末報告の数字も、これで満足してるのかよ!」

「あんたみたく、何でもスイスイできるわけじゃない。もっと、出来るところを伸ばすことも必要でしょ!」

「は?ここは、学校じゃねーんだよ!」


 もう、空中分解?男性をやる気にさせる方法なんて、私にはわからない。とりあえず、私がもっと数字をあげないと。PCを見ながら、顧客をリストアップしていく。


 後二カ月で何とかなるのだろうか?切羽詰まった焦りで、頭の先がピリピリするような緊張感が続いていた。そんな時は、心の中で直樹の名前を呼んで、無意識に左小指のリングを触って落ち着かせていた。


 でも、すぐそこに居るのに遠い存在。


 時々、あの自販機にしか売っていないコーヒーを買いに行く。顔を見るだけでもいい。期待しないようにと心に決めながらもソワソワする。そして、絶望で戻る。一度も偶然はなかった。避けられているのかもしれないけど、そんなことは考える事も恐ろしかった。何度かラインもしたけど、返信がない画面を見るのが辛くて、トークルームごと削除した。


 仕事のことだけじゃない葛藤を隠すように、PCを睨みつける。ふいに肩を揉まれ、びっくりして顔を上げた。


「そんなに、怖い顔しちゃって~」


 後藤さんだった。どこか闇に引きずられていたけれど、現実に戻された感覚。


「ありがとう。きっもちい~」

「ほら、肩の力抜いて。何でも一人で抱え込まなくていいのよ~。できないって言っていいの」


 直樹に言われた言葉……。思い出して涙が頬を伝う。肘をついて手で涙を隠していたけれど、笑った涙のまま顔を上げて周りをみた。


 不倫のことで苦しんでいるなんて知る由もないみんなが、心配そうにこっちを見ている。仕事もプライベートもうまくいかない自分が、情けなくなった。


「ごめんね、頼りなくてー」


 後藤さんに、コツっとされた。


「リーダーが私たちのことを頼りないって思っているんじゃないの?一部でエースだった二人だもの。ねー」


 同意を求めているが、みんなが正しい答えを探しているような顔をしている。


「佐藤はまだしも、私は別に……」


 また、コツっとされた。


「鼻にかけない感じは好きだけど。上に立つ人として、もっと人を使えるようにならないといけないわね」


 少しは休みなさい。あなた、お母さんなんでしょ。そう言って、まだ後藤さんは肩を揉んでくれている。その温かさに、心の傷も一緒に癒されていくようだった。みんなの顔も、なんだか柔らかい。奈美ちゃんは、ちょっとウルウルとしている。


 佐藤が営業から戻ってきた。険しい顔をしているから、今日もあの顧客を落とせなかったんだろう。


「あら、ご主人様のお帰りだわ。お疲れ様」

後藤さんは、空気を和ますのが上手だな。人生経験が私たちよりあっても、上司だからと気を遣うものだと思う。誰にでもできることじゃない。

「えっ、芹香泣いてるの?」


「おつかれご主人様」

そう言って右手を上げ、目をつむりながら気持ち良さを佐藤にアピールした。


 最初こそびっくりとしていたけど、雰囲気を察して佐藤の顔もほころんでくる。佐藤が席に座ったところで、今度は後藤さんが佐藤の肩を揉んでくれた。


「硬すぎる!まったく、この二人は!」

 渾身の力を込めて揉んでいたけど「尾形君。交代!」そう言って、尾形君が袖を捲し上げて佐藤の肩を揉む。「いてー!けど気持ちいいー!」


 初めて、部内が笑いに包まれた。


 私も佐藤も、どこか自分たちでやらなきゃと思いすぎていたのかもしれない。思考ばかりをめぐらせて方法ばかりを模索いていた。後藤さんのおかげで、今はチームを感じている。


「芹香、そういえば野本辞めるらしいぞ。奥さんの会社に戻るみたいだな。まあ、五年くらい居たし。あいつにとっては、良い社会勉強ってとこだろう。結婚しただけで、社長かよ。良いご身分で」


 温かい気持ちが、一瞬で凍り付く。


「そうなんだ」


 周りに悟られないように、笑顔を張り付ける。

 私に何も言わないで居なくなるつもり?腰掛の仕事と女だったってこと?

 でも、重なり合った直樹が嘘だとは思えない。


 ここまで拒絶される意味がわからない。

 一縷の望みを捨てきれない惨めな女だと、苦しい感情に押し潰されていた。

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