第11話

直樹に離婚の一部始終を話した。


「何を勝手に!お互いそんな話をしていないだろう?撤回しろよ。まだ間に合うだろう!」


 なんでそんなこと言うの?戻れってどういうこと?喜んでくれるかと思った。自分も頑張るって逆に気持ちを固めるかと思ったのに……。


「もう私は決めたの。戻るなんて絶対に嫌」


「自分勝手だろう?もっと色々慎重にやらないとダメだってば。俺の子供は、まだ小学校に上がったばかりだし。子供には、まだ両親が揃っていないと……。いずれ離婚はする。でも、いつかはわからない。俺は、今は離婚なんて考えてないよ」


 あんなに嫌がっていたのに、どうして一緒に居られるの?我慢してでも一緒に居るなんて、時間のムダじゃない。どんどん歳をとっていくのに。私たちが一緒になって、少しでも長く幸せを感じて人生を生きなおしたい。


「私は、子供を連れて行くつもり。直樹も連れてこれれば……」


「旦那さんは、全然芹香のことを大事にしてないって思う。でも、生活の保障はあるだろう?別れても貧乏生活になるよ。そんな苦しい思いなんてさせたくないよ。それに、芹香の子供を俺は育てられない。今のままの方が、絶対にいい。お金の心配もなく楽に生きられるって!」


 直樹は何度もやり直すように私を説得してきた。一緒になりたくないの?子供作ろうってリップサービス?初めて体を重ねた瞬間に確かに感じた「直樹は、私が信じる唯一の人」という感覚。あれは、私の独りよがりだったってこと?

 

 どんどん歯車が狂い始める。


 直樹は先の見えない不安が大きいだけで、乗り気じゃないのはきっと今だけ。二人のこれからを具体的にすればきっと一緒に乗り越えていけるはず。だって、私は直樹のことを信じてるから。自分一人ではここまでの決断はできなかった。直樹が開いた扉でしょう?


「二人でお金を貯めよう。こんな食器を見つけたよ。お揃いでどうかな?今度の土曜日買いにいかない?」


 私の積極的な行動とは裏腹に、直樹は、そっけない態度が目立つようになっていった。


「無理だよ。何言ってるの……。俺、家族がいるんだよ。休みの日に出るのなんて、大変だってわからないの?わがままばかり言うなよ」


 これまでは、私よりも直樹の方が「芹香に会いたい」と言って休みの日でも時間を作ってくれていたのに。180°違う態度に、どんどん不安も猜疑心も大きくなる。


 でも、私の離婚の意志が覆ることはない。むしろ、どんどんそこにいる自分自身、そして夫への嫌悪感を強くしていった。


 離婚を切り出してから、私は家でも孤立していた。夫は、こうなる前から両親の方についていたので、これまで以上に3対1でのいじめが繰り返されていたからだ。「頭を下げて、離婚を辞めますって言うなら、居させてやってもいいよ」「今は居候みたいなもんなんだから、これまでと同じように家のローンはお前が払えよ」「息子にゴミ出しさせるなんて、可哀そうだわ。あなたは嫁として何をしているの?本当に出来ない人。男の子も結局産めないんだから」


 それでも、義父母のいじめは私に対してだけ。子供にはこれまで通りに接してくれていたから、まだ良かった。子供が頼れる人は、たくさん居た方が良い。


 これまで、何のためにニコニコ頑張っていたんだろう……。年末やお盆の連休シーズンは、親戚が集まるから仕事に出るよりも早く起き、友達との決まっていた予定もドタキャンするしかない。疲れていても、頭が痛くても薬と栄養ドリンクを飲み、嫁業をしていた。これまでは、そういうものだと思っていたし、疲れる自分を無能とさえ思っていた。


 私は、嫁という「モノ」として扱われていただけなんだ。


 さらに直樹との関係もぎくしゃくしていく。直樹はどんどん子供を“理由”にして、早く帰ることが多くなった。「祥子が、友達と会うって言うから」「祥子が具合悪いから」「祥子に言われて」。そして、最後には「子供がいるんだからわかれよ!」と私の話を聞いてくれなくなっていった。


 どこにも休める場所がない。


 私は、お金を貯めるためとこれからの生活の事を考えて、営業職への転籍を申請した。収入はこれまでの倍になる。その代わりに、ノルマに追われることも、忙しくなることも覚悟の上だった。さらに、これまでのサポート責任者だけはそのままスライド。日常の事務仕事にはサポートが付くが、月末は忙しくて深夜残業になることも多かった。


 直樹に、今日は手伝って欲しいとお願いする時もあったが「ごめん。今日は祥子がいないから子供を迎えに行かなくちゃいけないんだ…。明日できることは、明日にしたら?無理しないでね」と言って、定時で帰るのがほとんど。


 夕飯を作り置きしたり、定時後に一旦帰っては食事を作ってまた戻る。塾や部活の送り迎え、洗濯、もろもろ……。

 

 目まぐるしい忙しさからご飯も喉を通らなくなり、毎日2時間、多くても4時間程度の睡眠しかとれない。寝ているのか寝ていないのかわからないような状態で、体重は1カ月で7キロ落ちた。


 それでも私は離婚に向けて突き進むことを止めなかった。離婚の日は、一年後と決める。それ以上は体がもたない。出来れば200万円は貯金が欲しい。独身の頃のへそくりが50万円ある。個人年金も解約すれば、50万円くらいにはなるだろう。後、100万円。


 子供には心配させたくない。少しでも不安を取り除きたくて、すべて水面下で行動する。


 一年後に、子供が一緒に来なかったらと思うと怖くて仕方がなかった。独断で行動している私。私って、すごくわがままで手の付けられない人なのかな。だから、私は自分の考えで行動しちゃいけないのかな。自分を無くした方が、みんな笑っていられるのかもしれない。


 『変化なんていらないんだよ。これまで通りでいいじゃない。心を殺して、ここまで生きてきたんだからさ』


 私が私を守ろうとして、私に戻れと言ってくる。


 でも、もう戻りたくないの。前の私には絶対になりたくないから。

 だって、私は私が大嫌い!


 自分にもそっぽを向かれて、心も体も休まるところはない。


 もっともっと、自分を追い詰めれば死ねるかな。

 疲れた、苦しい、投げ出したい、消えてしまいたい。


 それでも直樹が好き……。

 あの時感じた幸せが、どうしても残っている。


 苦しい現実が凄まじいスピードで襲い掛かかっていたけれど、物理的な状況は見事に私を後押ししてくれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る