34. 可愛いよ
「今から一年ちょっと前かな。お姉ちゃんが、家から出ていったのは」
隣でしゃがみ込むノアは、感慨深そうに野原を見渡す。だが、その発言には少し齟齬があった。
「いや、私が出ていったわけじゃないけど」
「あれ、そうだっけ?」
「あんたが出ていかせたんでしょうが!」
「落ち着いてよ、冗談でしょ」
立ち上がる私を制止するように、呆れた目をこちらに向ける。彼女の口振りは何年過ごしても慣れることは無く、恐らく一生慣れないんだろうなと思う。
「なんで私がお姉ちゃんを出ていかせて、長女の権利を得たのか。気になる点は、そこだよね」
視線を戻したノアに、コクリと頷く。
「……うん、そうだね。正直に、話した方がいいよね」
すう、と一呼吸置く。そうすると、大事そうに言葉を選び始める。
「私ね、どうでも良かったの。お父さんの仕事を継ぐだとか、土地を管理するとか。私はただ、お姉ちゃんとの家族としての縁を切るためだけに、長女の権利を獲得しようとしたの」
「……は?」
なんのために、そのような真似を。浮かんだ疑問を口に出すことすら許されず、彼女の話は連なる。
「私が一番重要視していたのは、それ。お姉ちゃんと離れたいからではなく、姉妹としての縁を事実上切りたいから行った事。大事なのは、戸籍上お姉ちゃんと私が他人であることなんだ。だから私は、お姉ちゃんを追い出してあの家の長女になった。もちろん私的には、妹扱いなんてもうやめてほしいけど、それは諦めたよ」
はあ、とため息を吐くノア。そんな彼女を横目に、私は小さく口を開く。
「なんで、そんなことしたの?」
その疑問を、吐かずにはいられなかった。困惑気味の私を傍らに、ノアは見るからに不機嫌そうな表情を見せる。
「それ、今聞く?」
後ででも聞かせてくれなさそうだけど。
「じゃ、じゃあ先に、なんでお父さんと顔合わせずらいのか聞いていい?」
それはまあ、ノアから出てきた事実を照らし合わせれば分かると思うけど。一応、彼女の口から聞いておきたい。
「そうだね。私がお父さんに、顔合わせずらくなった理由。それはね」
ゴクリと唾を飲む。重大な出来事に、直面すると思ったからだ。
だがそれは、思わぬ拍子抜けな出来事だった。
「シンプルに、お父さんに何も言わず出ていったんだよね」
「……はい?」
「いやだから、そのまんまの意味。私ね、別に領地とかどうでもいいし、極論お父さんもどうでもいいの。だから学園手続きの書類だけやってもらった後、そのまま王都に出てきちゃった。あ、大事にはしないでねって連絡は残しておいたよ?」
なんてことだ、まさか私の妹がここまで薄情だったとは。転生してきた私の方が父に情があるのではないか。
「それはいつ頃?」
「半年前くらいかな? あ、家とかは心配しないでね。友達の家行ってたから」
「友達って……まさか、男……!?」
「な訳ないでしょ……お姉ちゃんはバカにしてるの?」
「純粋な心配です、お姉ちゃんですから」
「またそうやって、姉の顔して。もう私、お姉ちゃんの妹じゃないんだからね?」
グサリと、心に矢が一本。確かに、戸籍上は既に姉妹ではないのか。目の前の現実を確かめながらも、彼女を懲らしめられるかもしれないある事に気が付く。その穴を、意地悪ながら突いてみる。
「じゃあなんで、ずっとお姉ちゃんって呼んでるの?」
もしかすると、それは禁句だったのかもしれない。というか、私にもダメージが入るかもしれない。だって私、ノアにはずっとお姉ちゃんって呼ばれたいもん。
「……ふーん」
ノアは目を細めると、獲物を見つけたかのような瞳でこちらを見る。
「じゃあお姉ちゃんは、名前で呼ばれたいの?」
「い、いや、そういう訳では無く、なんで姉じゃないのにお姉ちゃんと呼んでいるのかを聞いている訳でね」
「ふーん、そっか」
あ、この子話聞いてない。悪い子ですよこの子は!
ノアは両手を地に着けると、顔だけをこちらに近づけてくる。露わになる体と衣服の隙間はあまりにも魅惑的で、私に見れるわけなかった。思わず、目を瞑る。
そうして、彼女の息が頬に伝わるくらいの距離まで縮められると。
「ユリ、可愛いよ」
と、いつもの調子とは違う低めの声で、そう言ってきた。
「ッッ!?!?」
反射的に頬を両手で隠し、彼女の顔と距離を取る。なんでか、なんでか分からないけどそうした。そうする必要があった。
「ふふ、何その顔」
「だ、だって。というか、それダメ。お姉ちゃんと呼びなさいお姉ちゃんと」
「ふーん……」
そのあくどい顔もやめて。お姉ちゃん、悪い人に弱いタイプの人間だから。
「まあ、分かったよ。とりあえず私もお父さんと話すことあるし、その後にノアの話もしよう」
「うん。ありがとう、ユリ」
「だからそれやめて!」
「やめてって言われてもなあ……」
うーん、と人差し指を唇に付けると、ハッと何かを思いついたかのような笑みを見せる。それはさっきと同じ、悪い笑みだった。
「そうだね。ユリが私にキスしてくれるなら、やめようかな」
自らの頬に指を差すと、あくどい表情を浮かべる。傍ら私は、脳が混乱をきたしていた。
「ななななな、なにを言っているのかなノアちゃんは?」
「別に、そのままの意味だけど?」
「き、君は、実の姉にキスを求める女の子なのかな?」
「ユリは、そんな私にキスされて喜ぶ女だけどね」
「言うなあそんな事!!!」
やばい、顔が熱い。これじゃあまるで本当の事を言われて恥ずかしがっているように見えるじゃないか。
……いや別に、間違ってはいないんだけど。
「私はユリにキスされるまで、この呼び方でいるから。じゃあ、戻ろうか」
ノアは立ち上がると、私の顔を見て小悪魔のような笑いを零し、家の方へと足を運ぼうとする。
「ちょ、ちょっと待って! それずっと続くの!?」
彼女の背に手を伸ばすと、頭だけを振り向かせる。
「うん、そうだよ。私的には、この二日間の内に済ませてくれると嬉しいかな」
……どうやらその顔を見る限り、冗談では済ましてくれなさそうだ。ぐぬぬと、悔しいながらに声を出してしまいそう。
もちろん私は、ノアにお姉ちゃんと呼ばれたい。だから、このままではいられない。それは即ち、ある事実を意味する。
……それは。
「私が、ノアにキスしないといけない……」
――元々とんでもない物になると思っていた二日間が、更に波乱な物になると確信した。
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