隣に居るじゃんね!
風が吹く。春が終わり、梅雨が来て……紫陽花が咲く山道をあるく。
伊織には勿体ないほどの美しい花々の一本を手折ってある場所に向かった。
寺の端に広がった青々とした紫陽花が拡がった場所がある。そのどこかに伊織の姉である雪の墓がある。小さく、もう見えなくなってしまった墓。
伊織は見えない墓めがけて紫陽花の海に摘み取った一本の紫陽花の花を投げる。
「良かったな。姉さん…姉さんの好きな花に囲まれてる」
ポツポツと、雫が地面に落ちて雨が強くなっていく。
「なぁ、俺は姉ちゃんみたいに、生きれたかな?俺なりに頑張って見たけど…上手くいってる気がしないや。俺は空っぽだもん。だから、俺なりのケジメをつけるよ」
強くなる雨が伊織の体を濡らす。
「姉ちゃん、俺は
姉の墓に背を向ける。本当にこれで心残りが無くなった。
なのに、先程の立花の謝罪に少しだけ、胸の奥が乱れている。
寺から少し歩いて、誰にも見つからない自分にとっての秘密の場所で江戸の町を見下ろした。
『ごめんなさい』
(はぁ、今更、謝られてもな…。とうの昔に殺した感情が蘇ってくる。ふっ、最近の俺は変だな。心の動きが…自分で感じとれてしまう。あぁ、本当に煩わしい)
苦笑に近くどこか穏やかな顔を上げて出ない涙の代わりに雨に濡れる。濡れた地面に躊躇いなく座り、胡座をかく。
(全部、あのバカ女のせいだ。捨てたくてたまらないものをアイツは拾い上げようとした)
『私、センセ〜のことが知りたい』
(その言葉だけで、俺は十分だったんだろうな)
それを言った奴は寝ているが。
「もう少し、話しておけば良かった…」
「リッカに言い忘れでもあったの?」
傘を傾けられ、振り向くと寝ているはずのアリスが居た。一番会いたくなくて、話したい人間が居た。
「起きたのか?」
「ちょっと前にね。ここ、私が落ちてきたところの近くじゃんね」
「手の怪我は?」
「綺麗に治ってるよ〜ん」
刺された方の手をヒラヒラさせて言う。
「そうか」
「六花と話できた?」
「話かは分からないが、謝られたな」
「そっかー!じゃあ上手くいったんだね!よかったじゃんね?」
「何がだ。どいつもこいつもコソコソして」
「やっぱバレてたじゃんね?」
「俺を舐めてるのか?」
「みんな心配してるじゃんね。ねぇ、センセ〜」
「なんだ?」
「『カワキ』ってなに?」
「…」
黙ってしまった。ごまかせる気なんてしなかった。見なくても、真っ直ぐに見られている事がよくわかる。
「センセ〜、私、結構待ったと思うんだ〜。だから教えて欲しいな〜」
「楽しいものじゃない」
「知ってる」
震える手を隠すように自分の顔を覆う。片膝を抱えて、口元に手をやる。
「いつかに、言ったな。俺はがらんどうだと。俺には何も無い。正直生きてるのだって、どうでもいい。成り行きで生きて、死んだ姉から、引き取ってもらった、氷室家から、正しく人として、武士として生きろと言われたからそうしているだけだ。茶屋の事だって、六花の母に頼まれたから様子を見ているだけ」
「あと一つ、あるんでしょ?」
俺はアリスの胸ぐらを掴んでその場に押し倒す。頬を掠めるように打刀を刺した。俺を伝って、数滴の雨粒がアリスの頬に落ちる。
「怖いか?」
「うん。すっごく」
「そうは見えないな」
「うそ。驚いてだけで特に怖くないかな?」
「肝が座った女だな。立花に同じことをすればアイツは泣いて怖がるだろう」
「うん」
「俺は、お前を殺せる。どんなに親しい人間でも、俺はきっと殺せてしまう」
「うん」
「松山主水は俺にとって姉の仇だ。六花の母の仇だ…………それ以上に、俺の憧れだ」
アリスの表情が初めて驚きに変わった。
「あの男の美しい太刀筋に憧れた。姉が殺された時、俺はあいつが羨ましいと思ってしまった。あんな風に俺も生きたい、と…そう思ってしまった。あんな風に己の才能を隠すこと無く、感情のままに、欲求のままに…殺して、生きたいと……思ってしまったんだ。大好きな姉さんが死んだ時、親切にしてくれていた六花の母が死んだ時、俺の渇きが………初めて、治まった気がした」
大粒の雨粒がボタボタとアリスの顔に落ちる。
「……っ…そんな奴が……息をしていて言い訳がなだろ……」
心からの言葉だった。ずっと思っていた俺の根幹の言葉だった。
喉から少しだけ、嗚咽が漏れる。
「イオリ…」
「俺は弱いっ…お前も、今すぐ俺を見捨てろ。叫んで、抵抗して、逃げろ。そうでなければ、お前を今殺すぞ」
アリスの細い首を握る。少し力を入れているのに、一切抵抗をしない。
「えへへ〜」
アリスの赤い目は俺を見て、恐怖も無く微笑んだ。無邪気に照れ隠しをするように。
「むり!」
「…」
「…殺されてもいいよ。イオリに」
いつもと変わらない笑顔で俺の頬を包んだ。冷たい手が心地よく感じた。
「だからさ、一人で泣かないでよ。イオリ」
小さな親指が、俺の涙袋を撫でた。
「私、イオリの優しいところ好きだよ。一人でずっと苦しんで来たんだね。辛かったね」
起き上がって華奢な体が俺を抱きしめる。
「お前に何がわかる」
憎まれ口を叩きながらも、俺の腕は自然とアリスの背中に回っていた。
「分かんない。でも、たくさん頑張った事、たくさん我慢したことは分かるよ」
初めて言われた言葉に、はじめて撫でられた背中の感触に、目頭が熱くなった。涙は出ないが、大きく息を吐いた。
「……俺は…っ!俺はっ!」
「生きてよ。イオリは、生きてていいよ。イオリがイオリ自身を許せなくてもいいから。死にたくないなら生きててよ」
「……っ、……っ……っ」
嗚咽が止まらない。アリスに背中を撫でられると、息が詰まる苦しさだったのに、しばらくこの時間が続いて欲しいと思った。
「私、お母様のお人形として育ってたの」
「人形?」
俺たちが隣に座って話すようになった頃には、雨は上がっていた。
アリスは自分の身の上話をはずかしそうに話した。
「そ、お人形。お母様とって、私は動くおもちゃで飼い猫とおなじ。いや、もっと悲しいかな?私はあと二年でお母様から捨てられるの。『何も出来ないお人形でいてね』それがお母様の愛情。イオリの『知らないなら知ればいい』当たり前の事をちゃんと言ってくれる人が、今まで居なかった。だから、イオリやリッカが色んなことを教えてくれて、私、今すっごく楽しい!」
「…そうか」
「今の私を作ってくれたのは、本当にイオリなんだよ。だから、イオリ好きにしていいよ」
「……そうさせてもらう」
「うん!」
「……その返事、ゆめゆめ忘れるなよ。あと、今の言葉、男に気安く言うな。勘違いするぞ」
「?はーい!」
(返事がいいだけで分かってないな…)
「ねぇ、イオリ。私、シュスイがイオリより強いなんて少しも思わない」
「根拠は?」
「私が信じてるから。一人が二人より強いわけないじゃんね?」
「それだけか?」
馬鹿らしい。そんなので実力や経験が埋まるわけが無い。
だが
「うん!」
こいつにそう言われると、無条件にそんな気がしてくる。
アリスはいつも通り不思議な力で菓子を出して俺に渡す。いつもは知らない異国のお菓子なのに、今日はみたらし団子だった。
「ふっふーん!お団子作れるようになったの!しかもっ!イラちゃんとの特訓の成果でお菓子を通じでなら物も壊せたり、自分の体限定だけど傷も治せるようになったの!えっへん!」
「すごいな」
「ウシノコクマイリを聞いて、イラちゃんが思いついたの!ほんと、あの子何やっても広げられるよね。ソンケー」
「それでも、出来るようになったのはお前自身だろ?何より、主水と相打ちしかけた時、アイツの刀が折れたのも、俺がアイツを殺さずに済んだのもお前のおかけだろ?」
「まぁね〜!私天才じゃんね!あ、お団子どう?おいしい?」
「あぁ。すごく美味い」
「………っ」
アリスの顔がみるみる赤くなっていく。
「よ、よかった……じゃん…ね……」
山を降りて町に戻ると、西谷ため息をつかれた。
「そないに泥だらけで何してはったん?」
「「いろいろ」」
「こないに大事な時に、泥遊びしてる暇あったら刀の手入れでもせぇや?」
「すまん」
「……伊織くん、やけに背が真っ直ぐしとるやないの?何かあったん?」
そう言われて、アリスに目を移す。すぐに戻す。
「……何も。」
「嘘つけ。逢瀬でもしとったんか?ぐらいの空気を出しよって…」
「何を言ってるんだ???」
「はぁ、たくっ……こっちが心配してる横で何してはんねん………ええか?心友として、ほんに心配して言っとく。死ぬ事は恩返しでもなんでもあらへんからな?」
「……」
「それ心にきざみぃ!」
「あぁ」
「分かっとるんけぇ?おどれ…」
「分かっている。必ず勝つ」
「ちょいちゃうねん……」
「生きて帰るつもりだ」
西谷は驚いた顔のまま固まった。
「ホンマに何があったん??」
「さぁな。西谷、お前に頼みがある」
「明日は雨やのって血が降りそうな。なんや?」
聞かれないように耳元で頼みを言うと、西谷は嬉しそうに高笑いをした。
「あははっ!なんや〜そんなことや〜ええで!この、西谷文翠にまかしときぃ!」
「多少無理を言っている自覚はある」
「そんな無理、ワシが通したる。だから、集中せい!」
「頼んだ」
伊織はしっかり前を見ていた。
明日はいよいよ決闘の日。
伊織の目は確実に鋭く、次の日を見ていた。
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