GW怪奇譚 腐れ縁の絆

kou

第1話 連休の亀裂

 5月。

 ゴールデンウィークと呼ばれる大型連休の始まり。

 街は、まるで長い眠りから覚めた巨人のように活気を取り戻していた。数日前まで朝晩は肌寒かった空気はどこへやら、柔らかく暖かい陽射しが世界を包み込んでいる。

 空は一点の曇りもなく晴れ渡り、綿菓子のような白い雲だけが悠々と浮かんでいた。

 そんな空の下を、一人の少年が自転車に乗っていた。

 Tシャツに襟元のヨレたチェックのシャツを重ね着し、洗いざらしのジーンズは膝がうっすらと白くなっていた。流行りのスニーカーを履いているものの、靴紐は解けかかったままだ。

 寝癖がついたままの黒髪は、本人の性格を映すかのようにあちこちを向いており、少し長めの前髪が、そのどこか眠たげな、それでいて物憂げな瞳を隠している。

 細身の体躯は、まだ成長途中の少年らしさを残しており、口を開けば面倒くさそうな言葉ばかりが飛び出すのが想像された。

 名前を清武きよたけれんという。

 彼の気分は、梅雨入り前の空のように、どこかどんよりと湿っていた。

 世間は行楽ムード一色。

 家族旅行だの、テーマパークだの、友人たちのSNSは、絵に描いたようなリア充ぶりをこれでもかと見せつけてくる。

 それに引き換え、自分はといえば、特に予定もなく、ただ惰性で自転車のペダルを漕ぎ、見慣れた街を当てもなく彷徨っているだけだ。

(……暇、つーか、だるい……)

 妙に体調が優れない。

 軽い頭痛が続き、身体には薄い鉛でも纏わりついているかのように重い。

 おまけに、昔からの「持病」のようなものが、最近特に悪化している気がする。

 人混みが苦手なのだ。

 いや、苦手というレベルではないかもしれない。

 大勢の人間が集まる場所に行くと、まるで無数の声や感情がノイズの洪水となって脳内に流れ込んでくるような感覚に襲われ、ぐったりと疲弊してしまう。

 視界の端には、時折、黒いインクのシミのようなものがチラチラと蠢く。

 医者には「思春期特有のストレス」だとか「軽い自律神経失調症」だとか言われたが、蓮自身は、もっと別の、得体のしれない何かが原因ではないかと、漠然と感じていた。

 最近では、人混みでなくとも、その「黒い影」が見える頻度が増えていた。

 気のせいだ、疲れているだけだ、と自分に言い聞かせる。

 だが、心のどこかで、何かがおかしい、という警鐘が鳴り響いていた。

「せっかくの休みだってのに、なんでこんな……」

 呟きが、初夏の生暖かい風に溶けて消える。

 角を曲がった、その時だった。

「……げ」

 思わず、声にならない声が出た。

 前方から歩いてくる人影。

 見慣れた、そして、できれば今は一番会いたくない人物。

白いブラウスに紺色のプリーツスカートという、模範的な学生ルックの少女。

 だが、その背筋の伸び方や、少しばかり強い光を宿した瞳は、他の同級生とは明らかに一線を画している。

 肩までの長さで切り揃えられた、艶やかな黒髪。それはまるで夜の闇を溶かし込んだかのように深く、風が吹くたびに絹のようにさらさらと流れた。

 華奢な体つきだが、その立ち姿には一本芯の通ったような揺るぎなさが感じられ、それは彼女が神社の娘として、幼い頃から特別な環境で育ってきたことの証左なのかもしれない。

 白い肌は陶器のように滑らかで、整った顔立ちは人形のように美しいが、その唇は常にきゅっと引き結ばれ、どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出している。

 名前を姫宮ひめみや灯里あかりという。

 蓮にとっては、この完璧すぎる優等生然とした佇まいこそが、昔からどうにも苦手で、そして同時に、どこか目を離せない存在だった。

 家が近所で、小学校からの腐れ縁。クラスも同じで、この距離感は呪いのように蓮に付きまとっていた。

「あら、蓮じゃない。そんなところで油売ってるの?」

 先に口を開いたのは灯里だった。

 その声には、挨拶というよりは詰問に近い響きがある。蓮は舌打ちしたいのを堪え、自転車のブレーキを軽く握った。

「別に。散歩だよ、散歩。そっちは? 神社のお手伝いか?」

「まあね。あんたみたいに、貴重な時間を無為に過ごすわけにはいかないから」

 ふん、と鼻を鳴らす灯里。

 始まった、と蓮は内心でため息をつく。この幼馴染は、どうしてこうも一言多いのか。

「へえ、それはご苦労なこって。GWくらい、ゆっくりすりゃいいのに」

「だから、あんたとは違うって言ってるの。私には私のやるべきことがあるのよ。……で、あんたは本当に何の予定もないわけ? せっかくの連休なのに、だらしない」

 まるで母親のような物言いに、蓮の眉間に皺が寄る。

「あるよ、予定くらい! これからだって、ちょっと調べたいことがあってだな……そう、図書館にでも行こうかと」

 咄嗟に出た、我ながら苦しい言い訳。

 図書館なんて無縁だ。ここ最近、教科書以外で活字に触れた記憶すらない。

 案の定、灯里は訝しげに目を細めた。

「図書館? あんたが? 明日は槍でも降るんじゃないかしら」

「うるさいな! 俺だって、たまには知的な活動もするんだよ! じゃあな、俺は忙しいんで!」

 言うが早いか、蓮はペダルを強く踏み込んだ。

 背後から「あっ、ちょっと!」という声が聞こえた気がしたが、無視した。

(……ったく、朝からツイてない)

 自転車を漕ぎながら、悪態が口をついて出る。

 どうしてあいつは、こうも人の神経を逆撫でするのが上手いのか。

 おまけに、あの妙に澄ました顔。

 神社の娘だからか、どこか浮世離れした雰囲気が、蓮にはどうにも癇に障るのだ。

「あいつといると、ロクなことがない……」

 それは、長年の経験から導き出された、蓮にとっての真理のようなものだった。

 結局、図書館に行く気などさらさら起きず、適当に時間を潰して家に帰ると、母親から「ちょっと物置の整理、手伝ってくれる?」と声をかけられた。

 近々、地域での廃品回収日があるからだ。

 埃っぽい物置の整理を手伝っていた時のことだ。

 奥の方に積まれていた、亡くなった祖父の遺品が入った段ボール箱。

 その中から、古びたアルバムと共に、一枚の古びた写真が滑り落ちた。

 硬質なモノクロームの印画紙。

 そこには、見慣れない古い木造の社が写っていた。

 苔むした石段、鬱蒼と茂る木々。

 そして、社の前に立つ二人の人物。

 一人は、まだ若々しい頃の祖父。

 もう一人は――蓮のよく知る、正直あまり得意ではない幼馴染、姫宮灯里に生き写しの、袴姿の少女だった。

(灯里……? いや、でも雰囲気が……)

 切れ長の目、凛とした佇まい。

 灯里よりもっと硬質で、鋭い印象を受ける。

 祖父と親しげに並んでいる。

 いったい誰なんだろうか。

 疑問符を浮かべながら、蓮は無意識に、写真の中の少女の顔に指先で触れた。

 瞬間――静電気よりも鋭い衝撃が指先から全身を駆け巡った。

「うわっ!?」

 思わず写真を落とす。

 心臓が大きく跳ね、背筋を氷水で撫でられたような悪寒が走った。

 そして、脳裏に叩きつけられるイメージの奔流!

 黒、黒、黒――蠢く影、粘つくような闇、無数の細い腕、あるいは嗤うような口のようなもの――これまで視界の端に見えていた「黒いシミ」が、より鮮明に、より禍々しく、暴力的なまでのリアリティを持って迫ってくる。

 同時に、まるで壊れたラジオのように、雑多な思考や感情が頭の中に流れ込んできた。


『今日の晩御飯、ハンバーグがいいなぁ……』

『あー、昨日買った漫画、どこ置いたっけ……』

『宝くじ、当たらないかな……一億……』

『隣の家の犬、最近よく吠える……うるさい……』


 それは、おそらく近隣の住民たちの、どうでもいい日常の思考。

 だが、その洪水が、蓮の意識をめちゃくちゃにかき混ぜる。

「……っ、う……頭、が……」

 蓮はその場にうずくまり、頭を抱えた。

 激しい頭痛と吐き気。

視界はぐにゃぐにゃと歪み、現実と幻覚の境界が曖昧になる。

 だが、それは制御不能な情報の暴力であり、彼を連休の日常から引き剥がす最初の亀裂だった。

(続く)

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