街の中の三怪女
カピバラ番長
第1宴 闇夜に舞う
「いたぞ!!」
「追えーーー!!!」
ある日の晩。神に届かんとした人の手によって造られた模造が中空より光の円を落とす。
その端で、下で、外で、複数人の警官が一人の悪党を捕えんとして血眼になって駆ける。
悪党が手にするは世界でも指折りの名画の一つだ。
「ふふ、捕まえられるといいわね。…ま。まずは[追いかけられるか]が問題でしょうけど」
長く、艶やかな、闇に溶け込む黒髪をドローンのライトの下で靡かせ、悪党は更に加速した。
向う先は光の灯る夜。
彼女が駆けるヘリポート付き屋上からは堕ちれば即死は免れない程遠くに下界が見える。
「血迷ったか!!ここは超が二つは付く高層ビルの屋上だぞ!!」
警官の一人が息を切らせながら嘲笑を浴びせ後を追う。
それを悪党は薄い微笑みを夜に隠すと、躊躇うことなく飛び降りた。
「悲しいわね。自力じゃ、歩くことしかできないんだもの」
「な…!!」
「先輩!!」
「応答しろ!!女がビルから飛び降り……!!」
無線を手に怒鳴り散らす先輩警官。その激情さえも攫っていったのは…
「とても美味しい御馳走をありがとう。未熟な英雄さんたち」
天上で輝く月に向かって羽を広げ舞い上がる、月光で顔の見えない悪党の姿だった。
「…綺麗だ」
「この馬鹿が!!泥棒を褒めてどうする!!応答しろ!女が空を飛んで逃げた!すぐに追いかけてくれ!!!」
遠隔操作のドローンでは追いつけない速度で漆黒と絢爛の世界へ姿を隠す悪党。
「あぁ!?俺だって分かるかよ!なんだっていいから追っかけてくれ!」
彼女が羽ばたいた後には、一枚の黒い羽根が散っていた。
______________________________________________________________
「雨、ね」
窓ガラスに垂れる雫を指でなぞり、潤いの増した、夜空と映し鏡のような下界を見下ろす。
黒や青、黄に緑。
濃度の差や人気に違いはあれど、私達が空を闊歩していた頃に比べて随分と色鮮やかに栄えたものね。
まるで親元を離れた子を見るようで微笑ましい。
「こっちは全然微笑ましくないけどね、煙嵐(えんらん)おねえちゃん」
「……口に出てたかしら」
「出てたよ~~、煙嵐おねえちゃん?」
愛らしい背丈を更に屈ませ、床に鼻先が押し当たらんばかりに顔を近づけながら抗議の……激怒の視線を送ってくるのは次女のアエロー。ーーもとい、颯(かえで)。
ポニーテールに結んだ若緑の髪が逆立って見えるのはきっと見間違いではないわね。
「……で、おねぇさ。お酒、減らすんじゃなかったの?」
けれどその怒りも三十分も続けば流石に治まったらしく、普段通りに私を呼んでくれる。
…まだ、呆れてはいるみたいだけれど。
「えぇ。舐める程度にしているわ」
「吐くまで飲んでそれはないでしょ。全く」
大きくため息をこぼして再び床を磨く力を強める颯。
別にいいじゃないの。女にだって浴びるくらい吞みたくなる時はあるんだから。
それにいっぱい色んなお酒が売ってるのが悪いのよ。私は悪く無いわ。
「っとにもう。おねぇのせいでこっちまで吐くことになるんだから勘弁してよ」
小言を床にぶつけながら妹は臭いを取るためにか同じところを何度も何度も雑巾で磨き続ける。
……床が抉れそう。
「け、けど、そればかりは私のせいじゃ…」
「たっだいまーー…って、あれ、なに?また上姉ぇ吐いたの?」
「おかえり、隼(しゅん)。そ、また吐いたの。一人で勝手に呑んで、おえぇぇって、飽きもせずにね」
部屋の扉が勢いよく開いたかと思えば、入ってきたのはランニングから帰ってきた三女の隼だった。
オキュペテ(速く飛ぶもの)の名に違わぬ速度で走ってきたことが、整えていたはずの淡い金色のショートヘアの歪な乱れ方で伺える。
「あっはは。ホントバカだなぁ上姉ぇは。最近しないと思ったらすぐこれだもん」
「おバカ。二千年は最近とは言わないでしょ」
「あれ、そうだっけ?……んー?」
苛立ちの籠ったため息にも意を返さず隼は髪を整えながらけろりと笑う。
確かに、私達が主に活動していたのは紀元前やそれよりももっと前。私達が節度を持とうと心に決めた頃には既に時間の感覚がおかしくなっていても不思議じゃない。
それに、紀元後である今は人々の発展が目覚ましい。ただ人の営みを眺めていただけなのに、気が付けば週が終わっていた、なんていうのも珍しくない。隼がそこに影響を受けてしまうのも当然ね。
私自身、未だに慣れていない部分もあるくらいだしね。
「ま、いっか!」
「……良くは無いからね?」
「ふふっ」
流石に二千年前を最近と言ったりはしないけれど、下界に降りてきてからの数か月、まばたき程の時間にしか感じられていないのはきっと隼も同じなのね。
おかげでお気に入りの漫画の新刊を発売日に買い逃すことが多々あったし、本当に良くは無いのよね……。
「…おねぇも、まだお説教は終わって無いよ?」
「あ…。そ、その…ごめんなさい」
また叱られてしまった。
でももう仕方がない。実際、颯はよく適応してるし、彼女が居なければ私達はどこでどんな風に不審者と思われていたか分からないもの。
居住先だけでなく国さえも変えて生活している今の暮らしで、ゴミ出しの日や、国によっては存在する[安売りする曜日]等さえ彼女は簡単に覚えてしまう。
本を買いに行く時も少なからず颯のお世話になってるくらいだし、しっかり者というには流石に甘えすぎてるのは分かってる。
…そしてそれはきっと隼とも共通認識のはず。
だから、ね?
これ以上は負担を掛けちゃいけないのよ、隼。
「…で、さ。隼?」
「ん?どしたの、上姉ぇ」
試行錯誤の末、ようやく納得のいくヘアスタイルに辿り着いた隼に向けていた視線を彼女の足元に落とす。
そこにいるのは当然、床掃除をしている楓で……
「……やっと気づいてくれた???」
「あ」
一滴たりとも濡れていない輝く床と、外に出てもいないのに艶やかに光る若緑。
見上げた彼女の瞳に映るのは、雨以外の水滴にも満たされた末妹の[しまった]という顔。
そして。
「て、てへっ」
無茶に過ぎる笑顔。
「さっさとお風呂に行ってきなさーーい!!!」
「はーーーーい!」
颯が言い切るよりも早く、まばたきの間ももちいずに隼はその場から姿を消す。
うん、流石に速いわね。
「ふふ。沸かしておいて正解だったわ」
「言っとくけど、おねぇも後でお説教の続きだからね」
「…はい」
そして流石は自慢の妹。開け放たれたままだった扉を閉めながら今日一睨まれてしまった。
ーーーー ーーーー ーーーー
「で、今日は何であんなに呑んでたの?」
それぞれの入浴を終え、お説教もしっかり終わってからの夕食の席で静かに切っ先を突き付けてくる颯。
食事中に歓談以外の言の葉はあまり感心できないけど、事情を話すタイミング的には悪くないわね。
「この前御馳走になった絵画、覚えてる?」
「あー、三週間くらい前のだっけ?藺蝶(いちょう)ちゃん達の変身したやつ」
テーブルを挟んで分厚いステーキ肉で作られたビーフスティファドをほおばる隼が答える。
「えぇ、そう。バイヴ・カハの変身した姿の絵画【嘆きの死姫】。盗んだ物にも関わらず、裏オークションに出品して高額で売り払われそうになっていたアレよ」
「元の持ち主に返すために戴いた絵だよね?まさか、祝賀会かなにかのつもりだったの?」
「それ変じゃない?だって、その日の夜にやったし。あ、ごはんちょーだい」
食の速い隼は隣でまだ半分も食べ終えていない颯に薄皿を手渡し、追加のお肉を求め、それを楓は受け取りつつ答える。
「いいけど、お肉はもうないからね」
「えー、また節約ぅ?お金あるんだからいいじゃん」
「だめ。下界にどれだけ滞在するかもわからないんだし、もう無駄使いはできないの」
「ぶー。じゃあ白米とふりかけでいいよ」
当然と言えば当然の、興味のなさそうな二人からの反応。
妹たちにしてみれば、これから私が口にするのはそれほど大したことのない真実……それこそ、今後の家計状況よりも気にならない話だと思っているはず。
……けれど、その考えは的外れ。
「それで、絵画がどうしたの?」
止めていた手を再び動かし、淑やかにビーフスティファドを切り分け口に運ぶ颯。
満ち足りた表情を浮かべている中でこんな事を伝えるのは少し気が引けるけど、仕方ない。
あまり話を長引かせると食事を終えた隼がまた走りに行ってしまうかもしれないし、この事実は出来れば早いうちに共有しておきたいことだから。
「それがね、実はあの絵画、偽物だったのよ」
「「……え?」」
煮込み肉から滴るソースを気にも留めず口を開けたまま動かない颯と、ふりかけを振る隼。二人の視線が一点に集中する。
少し、痛い。
「私としたことがミスしたの。ポダルゲに言われるまで気づかないなんて」
視界が暗くなるのと同時にため息がこぼれてしまう。
全く、これじゃ伝承の通りにただの悪者。それも盗まれた絵に似ただけの偽物を返してたら、とてもじゃないけど私達の目的は達成できない。
「ポダルゲちゃん来てたの!?」
「え、えぇ。近くを通ったからついでに、と言ってね。あの子らしく、すぐにいなくなったわ」
なんて、頭を抱えているところに、意図していない部分を突っ込まれておかしな声が出る。
確かに、従妹のポダルゲは滅多に会えない子だけれどそんな場合じゃないってことに気付いてほしかった。
「い、今はそんなことどうでもいいって!アレが偽物ってことは、つまり!」
自由な隼とは違い、楓は直ぐに絵画が偽物だったことに食いついてくれる。
そして、楓の言葉で彼女もやっと気が付いてくれたらしい。
「……つまり本物は、別の誰かが既に盗んでた、って事?」
隼の一言で食卓に流れていた和やかな雰囲気が一変する。
そう。本当に愚鈍なことに、偽物を掴まされただけでなく、横取りされたかもしれない。
「分からないけどね。しかも、本物とほぼ変わらない模造品まで残して」
「…ならきっと、そいつはやり手。盗むだけじゃなくて、物まで作って置いていくんだもの。並みの手合いじゃないわ」
颯は運びかけていた肉をフォークと共に置き、思案する。
恐らく、目星をつけているのだろう。
この業界を飛び回るようになってから余計なしがらみが増えている。その中の誰かが、私達を貶めるために手の込んだ工作をしたのかもしれない、と。
もしくはもっと別。
私達を捕まえようとしているのかも、と。
対して、ふりかけが微かに残った薄皿をテーブルに置いた隼は、変わらず私を見つめて。
「じゃ、じゃあ、今日一人で呑んでたのはもしかして…ヤケ酒?」
「……えぇ、そうなるわね」
空気を変えたはずの本人が空気も読まずに妙なところで鋭い勘を働かせた。
ーーーー ーーーー ーーーー
「さて、いつ伺おうかしら?」
芳醇な香りの残る食器達を清めた後、瑞々しい白葡萄の甘味で口内を満たしながらミーティングは始まった。
香りで鼻腔を潤すことはない。あの後、颯に赤も白も取り上げられてしまったから。
食後の一口くらいで吐きはしないのに……
「…来週はどう?今更かもしれないけど、極力早い方がいいでしょ?」
「私はいいけど、どこにあるのかもわかんないよ?」
向かい側のソファに座る颯の提案に、床に敷いたマットの上でストレッチをしている隼が答える。
至極当然な考えだけど、隼の考えは今回の場合恐らく当てはまらない。
「いえ、どこにあるのかは大体見当がついてるの。さっき調べたのだけど、未だにニュースに取り上げられてないのよ。勿論、SNSとかネットの記事にもね」
現代における最大の情報収集ツールの一つ・スマートフォンとパーソナルコンピュータ。それによれば【嘆きの死姫】が盗難にあったという情報はない。
これで少なくとも、私たちが盗む直前に別の盗人が持って行った可能性は消えた。
この国でも有数の資産家が所有していた絵画だもの。お金を渡して秘密裏に警察を動かすとか、プライドのために広めないようにするとか、情報統制の可能性だって確かにあるし考えられる先はかなり多い。
けれど、あの絵画そのものの価値を考えれば何の情報もないのはおかしい。例え歴史的価値があるかどうかを差し引いても、壁に耳が嫌って程生えた現代で噂の一つにもなっていないのはやっぱりおかしいわ。
「それならどうして……?」
「そー言えば、最初に盗んだ後もそれらしいニュースはなかったなー。あの時はバレるのが恥ずかしいのかなぁ、なんて思ったけど……」
「どうにもきな臭いね……。隼が話を聞いた時って、結構焦ってたんだよね?」
「うん。『アレがないと私は終わりだ』って言ってた。盗まれたのに気が付いたっぽい後直ぐ、人通りの少ない裏路地で電話してたし、聞き違いじゃないと思う」
「ますます怪しいね…。だったら、どうしてTVとかに情報を流さないのかしら。真偽はともかく、手掛かりくらいは集まるのに」
眉をひそめる颯に頷き、答えに届く直前に考えたことを伝える。
これで同じ考えに彼女たちも至れば、私の推理は間違っていないと言えるわ。
「仮に人に言えない方法で帰ってきていたとしたら、調べている最中に気づかないはずがないわ。そうなると、どんなことが考えられると思う?」
私の含みのある問いかけに、悩んでいた颯と、変わらずストレッチをしていた隼が何かに気が付いたようにピクリと反応する。
「……なぁるほど。そーいうことなら納得いった」
ストレッチを切り上げ、葡萄の入っているガラス皿を手にした隼が鋭い目を光らせて微笑む。
その横でソファで脚を組んだ楓は怒りを微かに見せた。
「全く、私達も舐めらたみたいね、おねぇ」
妹たちのその反応は私と同じ答えに辿り着いたという証明。
信仰を曲げられてしまっても、元来私達は女神。そんな私達を怒らせる方法はたった一つ。
侮られること。
「えぇ、そう。これは私達への侮りに他ならないわ。それを、曲がりなりにも女神であった私達が看過していいはずがない」
そう。私達は贋作を掴まされた。
故に、彼らは事件にはしなかった。二度目の窃盗を恐れて。
全く、易い自演に騙されたものね。やっぱり私も隼も現代に染まり過ぎているのかしら。
「それにもう一つ。頭に入れておくべき事実があるわ」
颯に視線を向け、察しの言い彼女は頷く。
「今回の件はあの三人が絡んでるとみて間違いなさそうよ」
葡萄をひとつまみ……したかったけど無いから諦めて座り直したフリをして二人を見る。
そこには喜びを大にする隼と、表情は引き締めているけれどやっぱり嬉しそうな楓が私を見つめている。
「ん!!やった。久々に会える!」
「何言ってるの。彼女達に捕まったら私たちのバカンスは終わりなのよ?」
「そんなこと言って、おねぇだって嬉しいくせに。…って!全部食べてる!?」
いつの間にか枝だけになっている葡萄の皿をテーブルに戻した隼を睨む楓。
だって言うのに、しっかり者の次女にはその上で私の胸の内で微かに高ぶる鼓動を読まれてしまっていた。
「……まぁ、否定はしないわ。最近、張り合いなかったもの」
小さく零れる笑み。
いくつになっても知り合いとの再会は嬉しいもの。まして、互いに競い合う間柄ならなおのこと。
……本当は常に競い合ってるのは私と彼女だけなんだけど。
「嬉しーなー、元気に引きこもってるかなー」
「もう。はしゃぐのはいいけど、ちゃんと見取り図とかお願いね?成功するかの半分は隼にかかってるんだからね!」
「わかってるってー」
そう言う颯も顔は少し緩んでいるように見える。
正直、二人が羨ましい。できることなら私もあの人ともう少しだけ親しくーーそう、友人のようになりたいのだけど……
「じゃあ準備だね!分担はいつも通り?」
「楓はどう思う?」
ほんのり香る寂寥感を拭い捨て、私がソファから立ち上がる。
続けて立ち上がった颯はそのままテーブルに戻されたガラス皿をシンクへと運びながら、ずっと立ったままだった順に答える。
「私はそれでいいよ。多分、変に変えない方が良いと思うし」
「そう。やっぱり私と同じ考えね。寧ろ、今まで通りに担当を変えて手口を負えないようにしたら、逆に前の事件と関連付けられかね無いもの。楓の言うように、この前と同じところに行くかもしれない以上は手順を覚えてる担当のままでやった方が良いわ」
「んー、確かにそうだね。…それじゃ早速」
答えを聞いた隼は窓際へと上半身を軽く伸ばしながら向かい、美しい夜景に混じるビルをガラス越し見据える。
そうして大きく開け放たれる窓。
途端に入り込んだ夜風が雨上がりのアスファルトの匂いを運んできて、悪くない陰鬱な香りが背中で不可視不干渉で佇む翼を潤していく。
「一度目の集合は三日後よ。風邪とか引かないように気を付けなさい」
「はーい」
「おねぇこそお酒は控えてね」
「……はい」
部屋の明かりが消え、月明かりがたなびくカーテンを白金に照らす。
窓の桟から身を乗り出し、少しの間聞くことのできない二人の声を鼓膜に焼き付け。
「それじゃあ、またね」
宵の踊る下界へ飛び降りる。
to next
be party.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます