第2話 お金は大事、あればあるほどいいとされている

「で、今日はどういう用件なんですか?」


「いやー、今回ばかりは私もどういう用件で真冬ちゃんに頼みたいのかまったく聞いてないんですよね。いつも通りバイトしに行ったら、いきなり源先生から真冬ちゃんの都合つく? できれば手を借りたいんだけど? って言われてそのままこっち来たので」


「その割には随分とのんびりお茶してましたよね? バイト中にそんなことしてていいんですか?」


 先輩が訪ねてきてから小一時間お茶しながら他愛もない話をしていたわけだが、そんなこと言われていたのにあんなにのんびりしていたのか。相変わらずふてえ神経してんなこの人。


「別にすぐ呼んできてとも言われてないし、真冬ちゃんがもしかしたら珍しく忙しい可能性もありますから、なかなか都合つかなくて時間がかかってしまうなんてこともあるでしょうし、いくらでも言い訳できるんで問題ないですね。勝ち目のない論争を仕掛けてくるような人ではないですし。なにより、適当に楽しくお話ししている間に給料出てるとか最高じゃないですか」


 相変わらず嘘はつかないけど、信頼はできない語り手みたいなことを平然という先輩である。サボっている間に給料が出ているのは最高であるのは同意しかないのだが、ここまで開き直られると清々しい。


 まあ、源先生はこの程度のことくらいでいちいち文句を言ってくるような人ではないのだが。むしろ、こういうことを率先してやりそうな気すらあるだろう。先輩のこういうところをわかっていてやっているような気がする。


 というわけで最寄り駅から電車に乗って新宿まで出て、少し歩いて西新宿の方面へと向かう。オフィスビルやらなんやらが雑多にあるこの少し外れたあたりに、先輩のバイト先である源法律事務所がある。わたしがたまに仕方なくやっている仕事の唯一のお得意様がこの事務所だ。


「どうもー! 真冬ちゃんつれてきましたー!」


 扉を開けるなりビル中に響きそうな大声を上げる先輩である。アイサツはジッサイ大事ではあるが、もうちょっと加減ってものがあるだろ、と言わざるを得ない音量であったが、事務所の中にいた人たちはまったく気にしている様子もなかった。


 事務所の中にいたのは二人。ねじったマフラーを首に巻いてそうな風貌のおじさんと二十代後半くらいに見える眼鏡をかけた女性である。


 おじさんがこの事務所の長である源先生で、眼鏡の女性がこの事務所に勤めている弁護士の沙織さんだ。もう一人、ここに勤めている男性弁護士がいるが、大抵出払っているので、あまり見かけることは少ない。


「どうも。おはようございます」


 そう発したあとに、平日の昼過ぎにちゃんと働いている人たちに対しておはようございますはどうなんだと思ったけれど、発言をしたあとにそれをなかったことにする機能はこの現実というクソゲーには未実装なのでどうすることもできなかった。仕方ないね。


「いやあ、待ってたよ秋枝さん。助かるなあ。そういえば一緒に暮らすようになったって子は元気?」


 源先生が穏やかな口調で話しかけてくる。恰幅のいい、ちょっと茶目っ気のあるおじさんであるが、これでも昔は法曹界でブイブイ言わせていたらしい。


「というか真冬ちゃん、子供いるなら言ってくれればお祝いくらい用意したのに。忙しいなら先生の与太なんかに付き合わなくてもよかったのよ」


 続いて沙織さんも話しかけてくる。いかにもインテリ女性という風貌をしていながらどこかふわふわした雰囲気をした不思議な女性だ。法廷だと別人のような鋭さになるので、二重人格なのでは? とか言われているとかなんとか。


「突然のことだったので言う機会もなかったといいますか、一応勘違いしないでほしいんですけど、わたしが産んだわけではないです」


 わたしがそう返すと、沙織さんは「あらあらそうなのー」と、こっちの言葉を信じているんだかいないんだかよくわからない返答をしてくる。どっちでもいいか。別段そこまで気にすることでもないし。


「で、今日はどんな用ですか? とりあえず話を聞かないとどうすることもできないですし」


 受けるにしても断るにしても、話を聞かないことにはなにも始まらない。いまわたしが食いつないでいられるのは八割くらいここのおかげなのでできる限りのことはやるつもりではあるけれど。


 とはいっても、わたしの領分でなければ然るべきところに回したほうがいいし、こっちとしても変なものを踏むのは可能な限り避けていったほうがいいというのは間違いないので、なんでもかんでも受けるというわけにもいかないのだが。


「それもそうだね。僕も秋枝さんにお子さんができたってのは聞いてるし。帰りが遅くなるのも困るでしょ?」


「まあ、それはそうですね」


 その言い分だとわたしが産んだみたいな感じがしないでもないが、できたというのは正確ではないが間違いではないとも言えないので否定もしにくい。さすが弁護士。言葉の選び方というのが絶妙である。


 確かにあまり遅くなるのは避けておきたいというのは事実であるが、星奈のことはそこまで心配はしていない。言葉を一切発しないものの、あのくらいの年齢の子供にしてはかなりちゃんとしているので、一人のときに不審なのがやってきてついていってしまうなんてことはないし、それ以前にあの子のことを害そうとすると困ったことになるのは、害そうとしてきたほうである。常識的な不審者の類ならまず問題ない。というか、あの子を害そうとした結果、発生する事態のほうが困ったことになりかねない。わたしはもみ消しだのなんだのできるような金も立場もないし。


「じゃ、そういうことなら本題に入ろうか。もったいぶるような話でもないし。この間、僕の知り合いから変なトラブルに巻き込まれたって相談があってね。聞いた限りだと、だいぶおかしなところがあったから、秋枝さんに判断してもらって、どうしようかって話なんだけどさ」


 源先生は少しだけ引き締まった雰囲気になる。


「その変なトラブルってのはぶつかりババアの話でさ」


「……はい?」


 源先生から出てきたのがあまりにも予想外だったので、つい聞き返してしまった。その瞬間、事務所の中に変な空気に包まれる。


「それってアレですか? 駅とかでぶつかってくる感じのアレみたいなヤツですか?」


 実際に遭遇したことはないが、そういう存在がいるという話は何度も見聞きしたことがある。


「そうそう。そんな感じのヤツ。僕も実際には見たことないけど、本当にいるらしいねそういう人」


「ただのよくいるおかしな人とのトラブルの対処だったら、源先生たちの領分なのでは?」


「僕もそう思うんだけど、話を聞いた限りではただおかしな人に絡まれたとかじゃなさそうだなって思ってさ。僕はその手のことは専門外だし、専門家ヅラできるほど知っているわけでもないからね。意見くらいは聞いて判断したほうがいいだろうし」


 源先生とはそれほど長い付き合いがあるわけではないが、それでも自分ではよくわからないことをとりあえず投げてくるような人ではないことくらいはわかっている。その話を聞いた結果、ただのおかしな人に絡まれただけの案件ではない可能性もあると判断したのだろう。


「十日くらい前のことなんだけど、その件の知り合いが仕事帰りの道でおかしなお婆さんにぶつかられたっていう話でね。そんなに遅い時間ではなかったけど、通りから一本入った道だったから暗くなると人通りも少ないところで、そのお婆さんが向かいからやってきて、こちらの姿を見たら全速力で走ってきてぶつかってきたらしいよ」


「言葉面も絵面もだいぶホラーじみてますね」


「でしょ? しかも、その知り合いは学生の頃は空手をやってて、いまも定期的にジムに通って身体を鍛えたりしてる身長も一八〇を超えてるガタイのいマッチョマンなんだけど、それがぶつかってきたお婆さんに押し倒されたって話でね」


 男女の筋力差というのは思っている以上に大きい。それが普段から身体を鍛えている身長一八〇センチを超えるようなマッチョマンとなればなおさらだ。この時点でかなりおかしな話であると言えるだろう。このマッチョマンにぶつかってきたのが北斗の拳に出てくるような異常にデカいババアではない限り、まずありえないと言っていい。


「で、ぶつかってきたお婆さんを引き留めたら、わけのわからないことをひたすらまくし立ててきて、埒が明かないから警察を呼ぼうして一瞬目を離した瞬間、姿が消えたって話らしくて。全速力でぶつかられて倒されたっていっても、怪我はなかったし、なにかを盗られたってわけでもないから、警察に相談してもなって感じでね」


「引き留めたら、わけのわからないことをひたすらまくし立てられて、埒が明かないから警察を呼ぼうとしたってことはしっかりと相手の顔を見ているのでは?」


「僕もそう思った。だけど、はっきりと顔を見ていたはずなのに、どういう顔だったのか全然思い出せないって話。ぶつかられたことはしっかり記憶に残っているのに。確か、しっかり顔を見ていたはずなのに、あとになってそれが全然思い出せないって話はよくある特徴だったなって思って」


「……まだ断定はできないですけど、遭遇したときの状況やそのあとのことを考えると、かなり可能性が高そうですね」


 ――人ならざる存在が起こす現象、怪異の類。


「その話を聞いて軽く調べてみたら、その知り合いが住んでる周辺で、何年か前から人通りが少ないときに男性が一人で歩いていると、向かいからやってきたお婆さんがこちらを認識すると同時に全速力で走ってきてぶつかってきてそのままなにかするわけでもなく去っていくって噂があるみたいでね。いくつかの掲示板に同じような話があったから、そのあたりでは結構有名みたい。ま、ネットの掲示板だから鵜呑みにはできないけれど」


「いや、そういう話が実際に流れているのであれば、だいぶ信憑性が高くなります。怪異の類と噂話というのはかなり密接に関わっているものですから」


 噂が先か、実際にそれがあったのかが先かはわからないけれど、そういう話があること自体、怪異という存在を補強する。そして、風聞が多くなれば多くなるほど現実に及ぼすその影響力も増大するものだ。


「わかりました。調べるのは別にいいんですけど、それはそれとして困りましたね」


「なにかあった? 報酬の問題? そこはちゃんと払うつもりだから安心してよ」


「いえ、そうではなく、だってその話を聞くに、そのぶつかりババアとやらがぶつかってくるのは男性なんでしょう? 図体ばっかりでかくなってますけど、わたし一応女なので。男であることが遭遇する理由の一つにになっているのなら、恐らくわたしだとどれだけ粘っても遭遇できないと思います」


 そのぶつかりババアとやらは、ゲームでいうところの特定の条件を満たさないと遭遇できないモンスターのようなものだ。そして、この現実というクソゲーにおいては性別を自由に変えるという機能もいまだに未実装である。本当にオワってんな。運営ちゃんと仕事しろ。バランス調整を放棄するな。


「あー。そういうことね。確かにネット掲示板でも、この話に関して本当そうな書き込みで女性が遭遇したってのはなかったな。うーん。そうなるとどうしたものかな。僕が謎光線で他人の性別を変えられたらよかったんだけど」


 本気なのかボケなのか判断しかねることを言い出す源先生である。


「あー、それなら男に見えるような感じにすればいいんじゃないですか?」


 そこに入ってきたのは、わたしと源先生の話を聞いていた沙織さんである。


「真冬ちゃんに解決してもらってるのって、ほら結構適当というかガバいところあるじゃない? それでなんとかならない?」


「まあ、そうですね。うまくやればいけるとは思いますけど――誰がそれをやるんです?」


「決まってるじゃんそんなの。真冬ちゃん」


「え?」


「ほらー真冬ちゃん、女の子にしてはかなり身長大きいから、男装コス似合いそうだなって思うし」


「えーと。服はどうするんでしょう?」


「お。偶然こんなところに新しめな男物のスーツが!」


「なんで?」


「姫ちゃん」


「はい姐さん!」


 気がつくと先輩はわたしを羽交い絞めにしていた。


「というわけでおめかししましょうねー」


「なにするやめろー!」


 わたしの叫びはむなしく事務所に響き渡るだけで、奥の部屋に連れ込まれたのであった。

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