ブラックボックス
へり
前編
「失礼します!」
私はノックもせずに荒々しく研究室のドアを開き、いっそ無礼なほど大きな声でそう言いながら室内へ踏み入る。そして部屋の隅に目当てとする老人の姿を見とめると、肩を怒らせながら彼の元へずかずかと歩み寄った。
「どういうことです!?」
だん、と手のひらを強くデスクへ叩きつけ、椅子に座ったまま口を噤む
「『箱』の解析はまだ始まったばかりでしょう!? この共同研究は人類の未知なる歴史を紐解く大きな鍵になる可能性があると、そう言ったのは貴方のはずだ!」
教授に指を向けて感情のままにそう捲し立てるが、彼は意にも介さず平然とした様子で白く染まったあご髭を撫でつけるだけだ。言葉を交わすつもりは無いということだろうか。その態度に更に激高しそうになるが、自身に残った僅かな冷静さが、これ以上取り乱しても意味は無いと辛うじて私を引き留めた。
彼から研究を中止する旨のメールが届いたのは昨夜の事だった。文面を見た瞬間、あまりのショックに暫くの間呆然と立ち尽くしていたことを覚えている。
叫びたくなるほど荒れ狂う感情を一呼吸で無理やり抑え込み、本棚にぎっしりと詰め込まれた大量の書物やファイルを見渡して続ける。
「私も教授に同意見だったからこそ、共同研究の開始に踏み切ったのです! 開け方も中身も一切分からない『箱』の研究は、確かに未だこれと言った成果をあげられていません……! 必死の思いでかき集めた資料も結果として役には立たなかった。……ですが、まだ検証していないことなど山ほどある! 諦めるのはあまりにも早計です!」
矢継ぎ早に話したせいで荒くなった息を整えながら、睨みつけるように教授を見つめると、彼も何かを探るような目線をこちらへ返した。しばしの間、私たちの間に沈黙が下りる。
その時間がどれほど続いただろうか。教授は私へ向けた視線を切りつつ、腰掛けたワークチェアからやおら立ち上がりこちらへ背を向けると、デスクのすぐ後ろにある窓へと近づいて青空を見上げた。
ブラインドから差し込む日光が彼の体に縞模様を形作る。僅かに見える横顔からは、教授が今どんな感情であるのかを窺い知ることは出来なかった。
「……儂は」
ふいに、教授が言葉を発する。それは絞り出すような、掠れた声だった。
「……『箱』の中身を知ったんだ」
「……は?」
ゆっくりとこちらを振り返りながら、彼はそう続けた。思いがけない言葉に、私は何とも間の抜けた声を出すことしか出来なかった。
今、彼は中身が分かったと言ったのか。
未だ発足からさほど期間を経ていないとはいえ、専門家が何人も集まった上で調べても蓋を開けるためのヒントすら得られなかった。ならば内部構造を調べようとCTスキャンにかけるも、霞がかった黒が全面に映る画像が生成されるだけに終わった。
唯一分かっているのは、『箱』がこれまでに確認されていない未知の物質で構成されているということのみ。
我々が古代の遺跡から発掘したのは、そんな非科学的とすら言える物だ。
もし、教授の発言が本当であるならば、それは。
「……だ、大発見じゃないですか! 一体どうやって……。いえ、それよりも! 中には一体何が——」
「
教授は感情をそぎ落としたような無機質な声で私を遮った。普段の彼からは考えられないその異様な雰囲気に、体の芯から湧き上がる興奮という名の熱がさっと引いていくのを感じる。
研究を開始した二か月前、教授はそれこそ『箱』を開ける事は悲願だと言っていいほどに入れ込んでいたはずだ。
彼の口ぶりから察するに、未だ『箱』を開ける段階までは進んでいないのかもしれない。おそらく何かしらの文献を見つけたか、あるいは『箱』の外壁を透過する方法が分かったと言った所か。
しかし、だとしても今回の事は飛び上がって喜んでも良いと言えるほどの進歩のはずだ。中身が分かったのならこれまでとは別方向からのアプローチも可能になるだろう。『箱』の謎を解き明かせる確率はぐんと高まったと言える。
であるにも関わらず彼はどうしたというのか。教授の顔には喜びのようなプラスの感情が一切浮かんでいない。
困惑しきった私は、場の空気に気圧されたように押し黙り続く言葉を待つ。やがて教授は、ふう、と深く息を吐き出し張り詰めた空気を霧散させた。
先ほどまでとは打って変わり、その顔には色濃い疲れが浮かんでいる。
「……世の中にはね、知らない方が良い事もあるのだよ」
そう言いながら微かに震える手でポケットから小さな鍵を取り出すと、デスクの引き出しに備え付けられた錠へ差し込んで捻る。そして中から数枚の写真を取り出したかと思えば、私に見えないよう裏返しにして卓上へ並べ始めた。
「だがもし、それでも君が真実を知りたいと言うのならその写真をめくりなさい。私にそれを止める権利は無い」
写真の裏面と教授の顔を交互に見る。彼の瞳はどこか諦めにも似た感情をはらんでいるように見えた。
ごくり、と私が唾を飲む音がやけに大きく室内に響いた。
◇
「あっぶなー、忘れるとこだった……」
時刻は夕方六時を過ぎた頃。
バスケ部の助っ人という任務を達成した俺は、宿題のプリントを教室に忘れてきてしまったことに気付き、一人廊下を歩いていた。
遠くから聞こえてくる部活終わりの生徒たちが話す声をBGMに教室を目指す。この時間になれば校内、特に教室に残っている生徒は少ない。昼間とは対照的な静けさにどこか非日常的な空気を感じる。何となく落ち着かない気分になり、自然と歩幅が少し広がった。
とはいっても所詮はさほど大きくもない一般的な高校だ。早足で歩いたこともあり、あっという間に一年二組のクラス札が付いた教室前へ到着した。
さっさとプリントを取って帰ろう。そう考えつつ、がらがらと扉を開ける。日が落ち始めてやや暗くなった教室内にはやはり人の姿は無かった。
「暗……」
さすがに明かりが無いと見えづらいか。そう思い扉のすぐ脇にある照明のスイッチを押すと、LEDの人工的な明かりがぱっと教室を照らした。
よし、と一人呟きながら自分の席へと歩み寄り、机の引き出しに手を突っ込む。
「えーと、どこやったっけなぁ」
腕をごそごそと動かしながら指先の感覚で目的のプリントを探す。
これは教科書だ。違う。
これは……、いつのだか忘れたがぐしゃぐしゃになったプリント。これも多分違う。
思いのほか見つからない。おそらくさほど奥にはしまっていないと思うのだが。
これならいっそ、一度中身を全部机の上に出してしまった方が早く済むだろうか。そんな風に考え始めたその時。
「……おん?」
こつん、と何かが指に触れた。
「今のは……」
何かは分からないがそれなりに固い感触がした。教科書類以外でしまっているものがあったかと記憶を辿るが、特に心当たりは無い。
疑問に思いつつその『何か』を掴んで取り出してみると、それは手のひらサイズで黒い正方形をした物体だった。
若干の光沢があり見た目は金属にも見えるが、直接触れている部分からは若干の反発を感じる。触り心地としてはタイヤのような硬質なゴムが近いだろうか。
表面は全体的に細かな意匠が施されており沢山の凹凸がある。何の模様だろうと目を凝らしてみるが、何をモチーフにしているかはさっぱりだった。
「何だこれ?」
謎の物体の出現に思わず首を傾げる。何とは無しに手の中でくるくるとそれを回していると、とある装飾に対して既視感を覚えた。
紋様などが刻まれているせいで形が分かり辛いが、それは蝶番のように見えた。
「……ってことはこれ、箱?」
これが本当に箱なのであれば、どこかから開けることが出来るはずだ。
そう考えてつまみなどが無いか探してみるも、それらしきものは存在しない。どころか、僅かな隙間すらも無いように見える。これではどう足掻いても開けることは不可能だ。
「……音はしないか」
何か入っていないかと軽くそれ——とりあえず箱と呼ぶことにする——を振ってみるが、特に中で物が動いている様子は無い。単に空っぽであるだけか、あるいは蝶番はただの飾りで実際はただの置物という線もある。
「……まあいいや。でもこれ誰のだろ?」
これが何であるかはいまいち分からないので、一旦置いておくことにした。
俺はこの物体に見覚えが無い。とすると、必然的にこれは他人の所有物ということになる。クラスメイトの誰かが忘れていったのだろうか。
放課後に人がいない席を借りて友達と喋るなんてことはよくある光景だ。その時手に持っていた物を机に置き、そのまま忘れるというのも無い話ではない。実際俺も人の机にジュースのペットボトルとかを置き忘れた事がある。
いやしかし、もしそうであれば引き出しの中に入っているというのは不自然か。どこかに置きたかったのだとしても他人の机の中に入れるとは考え難い。
では、友達の悪戯か。
雑貨屋などで不思議な見た目の物を見つけて購入し、俺の知らぬ間に机に仕込むことで困惑する様を見ようとしているのかもしれない。
教室のどこかに人が隠れているのでは、と考えてさっと辺りを見回す。しかし、やはり人の気配は感じない。
よく考えてみれば俺が教室に寄ったのはプリントを忘れたからだ。用事が無ければそのまま帰宅していたので、友達も俺が部活後に机の中を確認するとは想定できないはずだ。
「……明日みんなに聞いてみよ」
自分一人で考えていても埒が明かない。仕方なしにこの件は保留にしておくことにする。クラスメイト全員に聞けば誰か一人くらいは知っているだろう。別に今急いで持ち主を特定する必要も無い。
「にしても不思議物体だなー、これ。何で出来てるか全然分かんないや」
つんつんと箱を指先でつついてみると、やはり僅かだが確かな弾力を感じる。見た目と感触が一致しないため、なんだかおかしな感覚だ。
新発見の物質だったりして、などと口ずさんでみるが、ここまで緻密な加工が施されている以上それはあり得ないだろう。もし自然にこの形になったのだとすればそれはもうファンタジーの域だ。
改めて箱の模様をしげしげと眺めてみるが、やはりよく分からないという感想しか出てこなかった。まあ、俺に美術方面のセンスが無いということはこれまでの経験から分かり切っている。
小学生の頃、ライオンの絵を描いたら「上手なキリンさんだね」と先生に褒められたくらいだ。……何の自慢にもならないな。
「……思い出したらちょっと悲しくなってきた。……帰ろ」
はあ、とため息を一つ溢して箱を置こうとする。
「……?」
が、それは叶わなかった。その理由は、この箱から視線を外す事に僅かな抵抗感を覚えたからだ。何だろう、まだ見続けていたいという気持ちが湧いてくるような。
芸術的な装飾がされてはいるものの、そういったものに強い関心がある訳ではない。精々が綺麗だなと思うくらいだ。だというのにも関わらず、何故だか俺はいつの間にかこの箱から目を離すことが出来なくなっていた。
その色が。模様が。手触りが。
全てが俺の心に何かを訴えかけてくる。
このままではまずい。そう直感するも目を逸らせない。
俺はまるで体の制御権を失ったかのようにその場から動けず、箱を見つめた姿勢のままひたすら立ち尽くしている。
そうして時間が経つほどに、箱の引力が強まっていくように錯覚する。
やがては俺自身が箱に吞み込まれてしまうのではないか。そんな風にすら思えてきた。
段々と、意識がぼやけてくる。
行動を起こさなければとは思うが、思考を巡らせて考えをまとめようとするそばから泥のように瓦解していってしまう。
そうこうしている内、結局何も出来ないままに、俺は——。
「みたいな事があったんだけども」
「いや、怖いわ」
翌日の昼休み。クラスメイト達の談笑する声が響くいつも通りの教室で、俺は友人の亮平と一緒に弁当を食べていた。
食事のおともに小話でも思ったのだが、どうやら失敗だったらしい。何故かおかしな奴を見るような目を向けられてしまった。
「
持っていた箸を一度置くと、人差し指で眼鏡のブリッジをかちゃりと上げながら亮平がそう言った。
おお、今の動きはすごくインテリっぽい。実際の所はバスケ部所属で運動神経は良いが、対照的にテストの点数は悪いというインテリの対義語みたいなやつなのに。
そう頭の中で考えるも口には出さない。多分アイアンクロ―が飛んでくるからだ。というか前に実際喰らった。俺は学習の出来る人間だ。
まあそんな事はどうでも良いのだが、今の発言には一つ聞き捨てならない箇所がある。
「亮平、作り話だなんて心外だよ」
「いや、どう考えても作り話だろ? 最後の方、完全にホラー映画序盤の被害者みたいになってたじゃん」
亮平が怪訝な表情を浮かべる。友達が言う事が信用できないとは薄情な奴だ。
「本当だって、はい」
「……? 何これ?」
「箱」
「……うぉい!?」
俺の話を中々信じようとしない亮平にしびれを切らし、例の箱を机から取り出して手渡す。実物を見れば流石に信じてくれるはずだ。
そう思ったのだが、自分の手に乗せられた物が何かを認識した瞬間、亮平が椅子から飛び上がった。
その拍子に彼の手のひらから箱が零れ落ちる。いち早く気づいて反応したことで何とかキャッチできたため、床に落とすという事態は避けられた。一応これは俺の所有物ではないのだ。傷が付いてトラブルにでもなったら困る。
俺はほっと息を吐いて、箱を机に置いた。
「いきなり立ち上がるなよ、危ないだろ?」
「今の話の後で渡されたらビビるわ! 思いっきり危険物じゃねえか!? ……ってか待て、さっきのが全部本当なんだったら、お前何で無事なんだ……?」
「それが友達にかける言葉か?」
こいつは本当に俺の友達なのか疑わしくなってきた。というか何でと言われても答えに困ってしまう。
あの後は何があったんだったか。顎に手を当てて頭を捻る。
「……あ、そうそう。プリント見つけてないじゃん、やば、って思ったら動けるようになってさ。机の中身全部出して探したら見つかったから、そのまま帰った」
結局プリントは数学の教科書に挟まっていた。古文の宿題だったはずなのだが、不思議なこともあったものだ。
「……お前のその図太さは何なの?」
「ふっ……」
渾身のどや顔を披露すると、褒めてねえよと呆れられた。
亮平は、はあ、とため息を吐くと、椅子に座りなおして俺に問いかける。
「……体調は本当に大丈夫なのか?」
「うーん……。多分?」
「多分て」
胡乱な目を向けられるが、実際そうとしか言えない。昨日帰宅してから今に至るまで特に体の調子が悪いということは無いのだ。
「軽い脱水症状とかだったんじゃない? 昨日気温高かったし、バスケもした後だったからさ。兎に角、それは関係無いと思うよ」
俺は唐揚げを口へ運びつつ、箱を見やってそう言った。
漫画じゃあるまいし、常識的に考えればただの箱にそんな影響力があるとは思えない。だからあれは偶然、タイミング悪く立ち眩みか何かを起こしただけだったのだろう。
「そんなことは置いといて。そういう訳で、俺はこれの持ち主を探したいんだ。……ちなみにだけど、亮平は心当たり無いよね?」
箱を手で亮平の方へ押しやりつつ尋ねる。
「あー? …………いや、無いな」
亮平は少しの間目を細めて様々な角度からそれを観察していたが、やはり知らなかったらしく首を横に振りながらそう言うと箱をこちらへ返す。それから箸を持ち直して食事を再開した。
まあ箱についての話をしている時もおかしな反応は無かったから想定内である。
俺に悪戯を仕掛けるとしたら犯人の第一候補は亮平だ。その彼が知らないとなれば、やはり悪戯の線は限りなく薄いと考えていいだろう。
「だよね。じゃあ後でクラスのみんなに聞いてみるかぁ。……そういえば今日ってバスケ部休みだったよね?」
「……そうだけど」
昨日顧問の先生がそんな話をしていた気がするので確認してみると、亮平は顔をしかめながら返事をする。
「何でそんな嫌そうな顔をするんだ」
「だってお前良い事思い付いたって感じの顔してんだもん。宙の良い事は大概俺にとっての面倒事なんだよ」
なんという言い草だろう。俺が亮平に迷惑をかけた事なんて……数えるくらいしか無いというのに。
今の話とは全く関係無いのだが、彼には今度お菓子でも奢ってあげようと内心決意する。
が、それはそれとして。
「一緒に聞き込み調査としゃれこもう」
「会話ってのは一方的に喋ることじゃないぞ」
「……?」
「何当然の事言ってんだこいつみたいな顔すんな……! 今出来て無かったろその当たり前がよ!?」
亮平は顔を真っ赤にしながらそう捲し立てる。何をそんなにカリカリしているのだろう。カルシウムが足りないのかもしれない。
牛乳、は今手持ちが無い。代わりにこれでいいか、と先ほど自販機で購入した紙パックの豆乳を差し出す。
すると亮平は、ふんっ、と俺の手からそれを分捕り、荒々しくストローを差して飲み始めた。
「こいつ、まじで……!」
何やらぶつくさ言っているが、それでもストローから口を離さない辺り多少落ち着いてきたのだろう。豆乳は偉大である。
「じゃあ、放課後よろしく」
「……」
亮平は一瞬額に青筋を浮かべた後、すぐににっこりと笑顔を作った。かと思えば次の瞬間、目にもとまらぬ速さで俺の弁当箱から唐揚げを掠め取った。
「ああっ、ラスト一個!」
「うるせえ、前金だ」
亮平が鼻息荒く言い放ち、拉致した唐揚げを口へ放り込む。
俺は大切なものを失った深い悲しみに暮れながら、弁当の残りをもそもそと食べ進めるのだった。
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