第38話 春本研究室


 大学中央棟から長い渡り廊下を進み、たどりつく古臭い建物。寂れたかんばんには第3北技術棟の文字が掠れている。


 その古びた階段を3階ほど登った突き当たりに俺の目的地は存在していた。


 春本研究室。北のはずれにあり、構内でも随一の人気ひとけのなさを誇る研究室だ。春本というヨボヨボな爺さんのもと5人の学生が在籍しており、灰崎先輩もその一人である。


「辺境にありすぎだろここ。まぁおかげで人が滅多に来ないからサボり放題ではあるんだが……」


 途中、お隣の研究室メンバーがプロジェクターを使って格闘ゲームをしている様子が廊下の窓から見えた。流石にカーテンでもかけろとは思うが、まぁ一旦怒られてから学ぶこともあるだろう。放っとこ。


(はい、俺の勝ちぃ昼飯お前の奢りなー)

(ふざけんな! 5先でやるぞ5先!)


 俺は聞こえてきた罵声にもちかい声と共に、自分の研究室の扉へ手をかけた。


 ガララララ。


「おつかれまでーす」


 研究室の中は大きく三区画に分かれている。

 

 まずは入り口目の前。視界に飛び込んでくる作業用デスクと、その上に置かれている最新の高性能PCが並ぶこの区画は作業スペースだ。


 灰崎、松土、高江、瀬野、松浦……。研究室に所属している五名分の名札が貼られたそれぞれの机で各々が作業を行う。


 ちなみに一番奥、書類やらテキストやらが散乱しているのが灰崎先輩の席で、その横が俺の席だ。それなりに散らかっているが、先輩のおかげで綺麗にすら見えるのはありがたい。


「先輩は……あー多分寝てるな」


 俺はそのまま作業スペースの横、部屋の中央にある馬鹿でかい3Dプリンターの前を横切った。ここは制作スペース、色々な製品のモック品を作ったりする場所だ。うちの研究室は、社会福祉の観点で世の中をよりよくするための製品・サービスの研究開発を大手企業と共同で行っている。


 ちなみにここは電気を使う製品ゾーンでもあり。プリンターの向かいに給湯ポット、電子レンジ、冷蔵庫なんかも置かている。とはいえ水気があるものは全部はしっこ、窓際族だ。


 そして俺が灰崎先輩が研究室内に居ることを確信したのは、コポコポと音を立てていたこの給湯ポットが理由だった。


(コンコンコンコン)


 最後の区画はドアで仕切られた小部屋のようになっており、俺はその扉を4回ノックして開いた。


「灰崎先輩いますか?」


 中に入るとまず目に飛び込んでくるのは山積みの段ボール。そしてその奥に一つ、人一人がギリ横になれる程度の小さいソファーが置かれている。ここは資料部屋という名の休憩スペースだ。


 そのエンジ色のソファーの上でもぞもぞと動く灰色と黒のメッシュが一つ……。


「ふぁああ。やぁ松土くん、おはよう」


 パーマなのか、寝癖なのか分からないボサっている灰と黒のウルフヘアーを掻きながら、灰崎先輩がむくりと体を起こした。


「ちょっ、先輩。ボタン!! ボタン外れてます!!」


 上半身の動きに合わせ凶悪な二つのポヨンが揺れ、白いYシャツの隙間からは真っ白な素肌が見えていた。


「ん、あぁ寝る時はいつも外しているんだ。圧迫感が嫌でね」


 ボタンをかけながら、チラリとこちらをみた先輩。赤褐色の瞳はいつも通りに鋭く、身体が針にでも刺されたかのような感触に襲われるのは先輩と対面した際の通過儀礼である。


 灰崎 久遠……。顔はホストのようなイケメンなのに、身体は埜ノ乃レベルのドスケベボディな先輩……。まさに謎おおき生き物……。


「・・・・・・」


 ボタンの止まったシャツはパッツンパッツンだった。


 絶対にサイズ合ってないだろあれ……千切れそうだし。

 そして表面には二つのポッチが……ってノーブラ?!?!


 ……頼むよ……目のやり場に困るって。


「き、昨日の夜もバイトだったんですか?」

「もちろん。さんろくご対応さ」


 ぐりぐりと首と肩を回す先輩。あわせて揺れる突起付きの胸部がやっかいこの上ない……。てか365日年中無休で働いてるのかこの人。まじで化け物じゃん、もしや根は全然怠け者じゃないのでは?


「なんでそんなに働いてるんですか? お金が必要とか?」

「いや、サボりすぎてるのがバレてね。罰みたいなものかな」


 うーむ、やはりこの人の言ってることはどこか謎めいている。


 バレたって誰に? 罰ってことは親? 貧しい家庭環境なのだろうか? いつも同じ服装……だしな。まぁ家庭のことなら深入りはしないほうがよさそうだ。


「大変なんですね」

「……松土くん。では、そんな不憫な私にコーヒーでも淹れてくれないかな」


 !!


 スッと立ち上がった灰崎先輩。いままでソファの肘置きで見えなかったが、その下半身には何も履かれていな……いや、正確には恐らく穿いているであろうショーツがワイシャツの裾で見えていなかった。


 際どいラインから覗く太もも……。

 一応目を逸らしておくが、もう今更だ。


「ちょっ!? 先輩なんで下も穿いてないんすか!?」

「………」


 返事はない。


「寝る時に何故下を穿くんだい?」


 何、いまの間。


「いや、家なら良いと思いますが……ここ研究室ですよ」

「それなら問題ないさ。他のメンバーは今日来ないだろう?」


 トントンとスマホを指差しながら、首を傾げる灰崎先輩。スケジューラーでメンバー全員の行動予定は把握済。そう言いたいのだろう。


 だがしかし。

 先輩がパンツを穿いていないことと、研究室の他のメンバーが来ないこと。


「その二つに因果関係はないですよ」

「ん? 君は、私の裸体が他人に見られることを心配してくれたわけではないのかな?」


 ザッツライトだ。年頃の、それもめちゃくちゃ綺麗な女性の裸体を煩悩まみれの大学生男子に見せることのリスクが、どれだけヤバいかを分かっていてくれて良かった。ただ一つだけ認識がおかしいのは……。


「俺もその他人に入ってます!?」

「なぜ入れる必要があるんだい?」

「なぜ入れない選択肢があるんですか!?」


 先輩は真っ直ぐに俺の顔を見つめると、視線を誘導するように下を向き、Yシャツの裾を少しだけ持ち上げた。その境界が、ギリ下着にかからないかのラインまでゆっくりとだ。


「私は別にキミになら見られても構わないのだが……。それに、松土くんは彼女がいるんだろう? こんなズボラ女の身体に劣情など抱くわけないじゃないか」

「いや、それは」


 抱くわけありまくりに決まってんだろ。


 もはやそのズボラさすらエロスのスパイスになっている。見ただけで分かるすべすべの肌に、はち切れんばかりの胸。つかYシャツってなんだよ反則だろ、お泊りしたけど服を忘れたから彼シャツを借りました……みたいなストーリーまでついてきてもう脳内で妄想が大爆発だ。


 あーもう。薄いレースのカーテンを貫いてきた陽光に浮かび上がる先輩のシルエットが、あまりにもスケベ過ぎてピクピクしてきた。


「ふむ、まぁ君が困るというならちょっと待ちたまえ、確かここら辺に……」


 左右に泳ぐ俺の視線に気づいてくれたのか、先輩はソファの横に落ちていた黒いスラックスを拾いスッと足を通した。


「ふぅ……本当、頼みますよ。先輩は普通に可愛い女の子なんですから」

「なるほどなぁ。そういうことをサラッと口にするキミもまたズボラということだろうね……」


「え?」

「いやいや。ところで松土くん。コーヒーはまだかな?」


 服装を整えた灰崎先輩は再度ソファに腰かけると、頬杖をつきながら流し目で俺を捉えた。


「早くしないと襲ってしまうぞ?」

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