第04話 契約


(まぁこれでいいか)


 俺は床に落ちていたトランクスとジーパンを手早く拾い着用すると、再度ベッドへ移動していた彼女とは向かい合うようにしてお気に入りのゲーミングチェアに腰を下ろした。


 座面がまだ温かい……。いままでここに彼女の ────。


「それで、巧史朗こうしろうくんは何が聞きたいの?」

「え、えーっと。そうだなぁ、埜ノ乃のののさんは────」

「むー、呼び捨てでいいよ。埜ノ乃って呼んで?」


 ちょっとむくれたように唇を尖らせながら、小首をかしげた彼女。


「よ、呼び捨てか……」 


 そう言われてもなぁ。


 女の子を呼び捨てにするのってなんだろう……。妙に抵抗があるんだが、この尻込みは流石に童貞メンタルすぎるだろうか? やはりモテる男は余裕が必要なのかもしれない。慣れてる感、そうだな、そんなの慣れてますよ感を出しておこう。


「分かった。じゃあ、埜ノ乃も俺のことは巧史朗こうしろうでいいよ」

「あ、私はこのままがいいかも。ちょっとでもきっかけになると嬉しいし……、ダメ?」

「きっかけ?」

「あ、ううん。なんでもない」

「? まぁ埜ノ乃がいいならいいんだけども」


 いたずらっぽく笑う埜ノ乃。身体を前後に揺らしながらリズムを取るように揺れている彼女の姿は無邪気な少女のようで、こうして向かい合ってもやはり敵意は一切感じられなかった。


 むしろ、あからさまな好意が滲み出ている。

 いや、滲みどころか溢れ出ていた。


 いったいなぜだ?


「じゃあ、埜ノ乃。まず聞くけど、なんで俺の名前を知ってたんだ?」

「そりゃあ私達、幼馴 ――― ってこれも覚えてないよね」


 彼女の瞳がふいに大きく開いたかと思うと、そのままゆっくりと顔が伏せられた。ボロい蛍光灯の照らす前髪の影が頬に落ち、どこか寂しげな印象すらも感じる。

 

「覚えてない? ってことは……」


 昔の知り合いか?

 いやでも ────


 んー、いないよな?


 どれだけ記憶の引き出しを漁っても、こんな可愛くてエッチな女の子は俺の海馬には存在していなかった。それに埜ノ乃のののなんて特徴的な名前、忘れるわけがない。


「もしかして俺達ってどこかで会ったことがある感じ? それなら申し訳ないけど記憶に ―――」

「ううん、いいの。こうしてまた会えたんだからそれで充分」

「またってことはやっぱりどこかで」

「まぁ……それは……。ってかそんなことより、私からも質問いい?」

「ん? あぁどうぞ、俺ばっかりじゃフェアじゃないしな」

「ふふっ、ありがと」


 くるくると髪を指先で弄びながら微笑んだ埜ノ乃。その表情を見た刹那、俺の頭の中にチクリとした痛みが走った。それはほんの一瞬、記憶の底に沈んだ何かがピクリと動いたような。


 なんだこの感じ……。


巧史朗こうしろうくんは、今大学生二年生だよね?」

「ん? あぁ、そうだけど」

「彼女さんとか居るの?」

「…………。いや、特に。まぁ、いない……かな」

「そっか、良かった。…………。本当、ずーっと想ってた通りの巧史朗くんだ。やっぱ、かっこいいなぁ」


 俺の全身を上から下までなぞるように瞳を動かした彼女は、何を言ったのか聞き取れないほどに何かを呟いていた。


「ん?」

「ううん、なんでもないっ! はぁ……」

 

 うむ、明らかに彼女の様子がおかしい。


 なんというか、つい先ほどまで性欲の権化みたいな振る舞いをしていたドスケベ淫乱サキュバスが、今は恋する乙女といっても過言ではないほどしおらしくなっている。


「…………」

「…………」


 妙に気まずい空気が流れ、俺は耐え切れずに口を開いた。


「それで、なんで埜ノ乃は俺の部屋に?」

「えっ、だからそれは巧史朗こうしろうくんとエッチなことするためだって言ってるよね?」

「…………」


 たとえしおらしくとも、そこは流石のサキュバスだった。


 さらっと爆弾を投下するやんけ……。

 いやいやいやいや。

 なんだよ、エッチなことするためって。


 確かに俺の知っているサキュバスはそういうことをする存在だ。彼女達にとっての性交は人間でいう食事のようなもの……。そんなことをあのAVでは説明していた記憶がある。


「あーもしかして、ご飯を食べに来たって感じか。人間の精気、が必要なんでしょ? サキュバスって」

「へぇ、それは知ってるんだ。まぁ、それもあるけど……」


 一瞬眉を跳ね上げた彼女は声を徐々にしぼませると、顔を伏せたままこちらを窺うようにちらちらと上目遣いを見せてきた。


「……巧史朗くんは運命の人だから」

「ん? なんて?」

「い、いやなんでもない!! 詳しくは……、たぶん言っても無駄かも。色々し」

「消されてる?」


 どこか話が繋がっていかない。

 さっきからちょいちょい何を言っているんだ彼女は。


「うん。でも信じて? 私はあなたのことが大好きなの。この気持ちは本当」


 大好きなの ―――

 大好きな ―――

 大好き ―――


 瞬間。

 エコーのかかったセリフが、俺の脳内でぐるぐるとループした。


 デ、デン!


 いきなりですがここでクイズのお時間です。


 『男は、自分のことが好きな女の子を問答無用で好きになる』


 〇か✕か?


 もちろん◎です、ありがとうございました。 


「だから巧史朗くんさえ良かったら……」


 おっと、落ち着け。

 まだ彼女のセリフには続きがあったようだ。

 だが心配は無用、この前振りはもはや勝ち確の流れである。


「俺さえ良かったら……?」


 もじもじしながら顔を赤らめる埜ノ乃の目をじっと見つめ、俺は息を飲んだ。


 心臓はドクンと跳ね、鼻の奥が熱くなってゆく。

 父さん母さん、ついに俺にも春が来ました。


「私を専用のサキュバスにしてほしいなぁ。なんて」

「はいよろこ……ん?」


 予想外のセリフに戸惑う俺を前に、彼女は真剣な表情でまっすぐに見つめ返してきていた。そのぷっくりと膨らんだ薄ピンクの唇をほんのりと噛み、少しだけ肩を震わせているこの様子は……。恐らくだが彼女は大マジで言っている。それを全く茶化す気はないんだけれども、だけれどもだよ?


 『専用のサキュバス』…………って何?


 響きはクソエロい。

 それだけで首を縦に振って良い気がする。


 だが落ち着けよ俺、これを告白として受け取ってもよいのだろうか? もしや俺を性奴隷にするとかそういう話かもしれない。彼女がサキュバスだというのならそれくらいはありえそうなものである。


「それは人間でいう付き合って下さいみたいな感じ?」

「あっ、そうだよね。ごめん。うーん、もうちょっとだけ深い関係かも。契約を結ぶことになるから」

「契約?」

「うん」


 こくりと小さく頷いた彼女。


「私の身体を、巧史朗こうしろうくん専用にする契約。ってなんか恥ずかしいね、これ説明するの」


 なるほど全然意味が分からん。

 埜ノ乃の身体を俺専用にする?


 意味は分からんが、やはり字面がとんでもなくエロいことだけは確かだ。


「それって……つまり?」

「えっとね、普通サキュバスってどんな人の精気でも魔力として身体に蓄えられるように〝汎用的〟な身体になってて、誰とでも魔力補給できるの」


「へぇ」


「でも、巧史朗こうしろうくん専用に〝チューニング〟しちゃえば魔力変換の効率がすっごく上がるんだよね。それが契約」

「あー、市販のまくらよりオーダーメイドの方が個人にフィットするみたいな?」


「そうそうそんな感じ。そっちの方が眠りの質も上がるでしょ?」

「なるほど」

「その代わりサキュバス側は他の人とはできなくなるけど、私は最初からそのつもりだし。どうかな? 契約。もちろん巧史朗くんにもメリットっていうか特権というか………」



 うーん…………。

 一旦情報を整理しよう。


 突然現れた女の子が?


 サキュバスとかいうファンタジー全開の?

 

 激カワの激エロで?


 なぜか好感度がMAXから始まり?


 謎の契約を持ち掛けてきた?






 いや、怪しすぎるだろ……。






 こんな契約、結ぶわけな────


「け、契約してくれたら私の身体、好きに使っていいよ?」

「契約させてください」


 ん? 

 今俺は何を口走った!?


「本当っ!? やったぁっ!!」


 ぴょんぴょんっとベッドを跳ねた埜ノ乃。ふわっと髪が揺れ、スカートが揺れ、そして胸も揺れ ────。


 そんな光景に、あぁこれが「下半身に脳みそがついてる」というやつかと、俺は妙に納得してしまったのだった。

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