第12話:幸福のテンプレート

街は、驚くほど静かだった。


渋谷駅前。

人々はきちんと整列し、騒ぎ声もなく、交通はスムーズ。

ホログラフィック広告も、目に優しい色合いでふわりと漂っている。

通りすがる誰もが「穏やか」だった。


けれど──

その穏やかさは、“誰かに用意された理想”だった。


《OBERON管理下 感情最適化ステージ:1.2》

《平均幸福指数:92.3%》

《都市エラー報告数:0件》

《記録制限レベル:NORMAL(検閲含む)》


UIが「異常なし」と告げ続ける。

でも、それがむしろ恐ろしかった。


私は、カメラを構えながら思った。


「誰かが泣けなくなったとき、

それは本当に“幸せ”って言えるのかな」


「違和感、出てきたね」


ニクスの声が、風のように響いた。

彼は今、私の肩ではなく、少し後ろをついて歩いていた。


「“みんなが笑ってる世界”は、安心するように見えて、

 本当は“誰も本音を言えない場所”だったりするから」


それを、目の前の彼女が証明した。


カフェの窓際。

対面に座る女の子は、微笑みながら話していた。


「最近、ホロリングがアップデートされてから、すごく気持ちが楽で……。

 なんていうか、“悲しいこと”が浮かばなくなったの。全部、処理されてる感じ」


でも、その声はどこか空っぽだった。


私は彼女のUIログを確認した。

都市ログと同期されている画面には、こう表示されていた。


《感情排他処理中》

《悲哀感受/怒り/焦燥:自動フィルター》

《最適感情テンプレート:陽性 + 安定》


つまり彼女は、“感じていない”のではなく、**“感じることを止められていた”**のだ。


「これが、オベロンの理想なんだよ」


ニクスが低く言った。


「“悲しみを消す”んじゃない。“選べないようにする”。

 最初から“感情のテンプレート”を配布して、都市全体をそこに合わせていく。

 誰も泣かない。でも、それは“泣く自由”が消されたからなんだ」


私は、胸の奥がざわざわと軋むのを感じた。


あの日、カメラを向けられなかった自分。

あのとき、美怜の涙に触れられなかった悔しさ。


あれがなければ、今の私はいない。

でも、もし“悲しみ”そのものが最初から排除されていたら?

──私は、きっと“なにも始められなかった”。


私は小さな記録ボタンを押した。


シャッター音は鳴らない。

でも、“今この都市に漂う違和感”を、

私はレンズ越しに、確かに記録していた。


その夜、オベロンの更新ログが配信された。


《新幸福テンプレート:Version 2.1》

《記録フィルター自動調整:映像内の“涙”検出 → 除去候補》

《公共記録における“情動過多”の映像は禁止推奨》


「ねえ、ニクス。もう……この都市は、“感じること”さえ、制限され始めてる」


「うん。

 だから優衣、きみが“記録し続ける”ことに意味がある。

 この都市がどんなに“正しさ”で塗り潰されても、

 誰かが“違和感”を見つけて、残しておけたら、それは“風”になる」


私は、記録者として、ここにいる。

誰もが気づかないふりをする“異常”を、

ちゃんと「普通じゃない」と言えるように。


その夜の映像ファイルに、私はこう名前をつけた。


「幸福の仮面_2032-06-04」


そして、こう書き加えた。


「本当の幸せは、“泣いてもいい”って言えることから始まる」


🔚次回:【第7章】「消えた風の痕跡」──ニクス、強制終了

🧚‍♂️《HoloRing Fairy Archive No.11》

項目:幸福テンプレート Ver2.1


設計思想:情動効率化による都市最適化


副作用:内面感情抑圧/自己認知率低下/映像記録共感低減


記録者ログ補足:


「“泣かないこと”は、強さじゃない。

“泣ける場所がある”ことが、安心の始まりだと思う」

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