最終話(終)

 台風一過、会場の外はすっかり晴れ渡っていた。出口で哀澤と合流した仁志は、人の流れに乗って最寄りの駅へと向かっていた。ふと見上げた空は、沈みかけの夕陽が青と橙のなめらかなグラデーションを描いていた。ふたりは言葉をかわすことなく、ぼんやりと呆けたまま歩いた。いい夢を見たときの、目覚めてからもどこか現実味がなく、まだ夢が続いているような浮遊感に似ていた。


「……いいライブだったな」


 哀澤がぽつりと言った。


「ええ、いいライブでした」


 答えて、またふたりは無言のまま歩いた。お互い、この余韻に浸っていたい気持ちは同じだった。しかし、その静かな楽しみはすぐに破られることになった。


「オ~ジサンっ!」


 後ろから、フードをかぶった女の子が仁志の肩を叩いた。彼女が周囲に気付かれないようにフードを半分めくり上げると、仁志のよく知る顔があった。


「え、ユイさん!? ……こんなところにいて大丈夫なんですか?」


 会場から最寄り駅への道はライブ帰りの『アイステ』ファンたちが大勢歩いている。もしも誰かに見つけられたら大騒ぎになるのは間違いない。


「だからこうやって顔を隠して来たの。これ、渡さなきゃと思って」


 と、パーカーのポケットから取り出したのは四枚の『アイステ』カード──あのとき、キラリに渡したブレイブサンライズコーデだった。


「これは……」


「ステージの上に残されてたんだ。ちゃんと持ち主に返さなきゃと思って」


「そうですか……。わざわざありがとうございます」


「うん。それじゃあ、見つからないうちにもう行くね。あっ、哀澤さんも、いつも来てくれてありがとね!」


 そう言って、ユイはフードを深くかぶって会場の方へと帰っていった。


「なっ……なっ……!」


 隣でそのやり取りを見ていた哀澤は、ただただ絶句していた。今や手の届かない場所に行ったはずの推しがいきなり目の前に現れたのだから、リアクションのしようもなかった。だが、仁志を尋ねてきたのは彼女だけではなかった。


「おう、キラリは無事に帰れたみたいやな」


 ユイと入れ替わりに話しかけてきたのは森村であった。


「ええ、森村さんのおかげです。ありがとうございました」


「いや、オレは舞台を用意しただけや。一度ステージに立ったら、あとは本人の力や。今までも、これからもな」


「……ええ」


 キラリを元の世界に帰す。その目的を果たせたことは嬉しい。しかし、いつだって別れは淋しいものだ。


「安心せえ、こっから先はオレが見せたる。あいつがトップアイドルになるまでな」


 仁志の心を見透かしたように森村が言った。


「もう、ここに降りてきとるんや」


 と、指で頭をトントンと叩きながら得意げな笑みを浮かべた。


「ええ、よろしくお願いします」


「ほな、またどっかでな」


 手を振りながら森村も帰っていった。騒がしくも楽しかった祭りは終わり、また日常が戻って来る。人生はその繰り返しである。


「お……おいっ! オッサン!」


 呆然と事の成り行きを見ていた哀澤が、はたと我に返って仁志を問い詰めた。


「ユイに続いて脚本家の森村洋次まで! 一体何がどうなってんだ説明しろオイッ!」


 両肩を掴まれ揺さぶられながら、仁志は「は、話せば長くなりまして……」と、これまでの様々なできごとを心の中で振り返った。


 見上げた夜空に、一番星が輝いていた。

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