最終話(5)

「なんや!? どないなっとんのや!」


 関係者用特別室からステージを見下ろしていた森村が叫んだ。眼下には漆黒の闇が広がっていた。音楽も、照明も、遠隔操作のペンライトも、すべてが機能を停止していた。胸ポケットのスマホが震える。現場を仕切る舞台監督の名前が表示されていた。


「もしもし!」


「あっ、森村さん!」


「おい、何があったんや!?」


「それが……こっちでも今確認してるとこなんスけど」


 どうやら電話の向こうでも混乱が起きているらしく、人の叫ぶ声や慌ただしい足音が電話口にまで響いてくる。


「なんでも、外の嵐で折れた木が送電線に倒れかかって、ここら一帯停電してるらしいんスわ」


「なっ……!?」


「ニュースじゃ、当分は復旧できないんじゃないかって。けど任してください! あと一曲、なんとかしてみせますわ!」


「なんとかって……どうするつもりや?」


「今、倉庫からバッテリー式の投光器をありったけかき集めてます! ステージさえ照らせりゃ、あの子ならやってくれます!」


 たしかにプロ意識の高いユイなら、たとえ音がなくても舞台を成立させるだろう。しかし。


「ちょ、ちょい待て! それは……!」


「時間ないんで!」


 言って電話は切られ、それから何度かけ直しても相手が出ることはなかった。森村は闇の底に沈んだ舞台を見下ろし、頰に冷たい汗を流した。


「やばいで、これは……」


※ ※ ※


 暗闇の中、ユイは自分でも意外なほど落ち着いていた。きっと、これまで先輩たちのステージをたくさん見てきたからだろう。そのおかげで生のライブに機材トラブルはつきものだとわかっていたし、自分たちの仕事は与えられた環境で最高のパフォーマンスを見せることだという自覚と責任も学んでいた。しばらくして、イヤモニを通じて裏方のスタッフから現状の説明が飛んできた。音は出せないが、もう少しで照明は用意できるらしい。


(それなら……やれる!)


 直後、聞いた通りステージに光が戻った。上手と下手の舞台袖からそれぞれ工事用の投光器二台ずつでステージ上を照らし、ユイとキラリの立つ舞台中央で光をクロスさせていた。これだけの光量があれば、どの客席からも見えるはず。ユイは隣に立つキラリの手を取った。


「キラリちゃん、歌うよ!」


「……………………っ」


「キラリちゃん……?」


 握った手が冷たく震えていた。キラリの瞳には恐怖だけが映っていた。


※ ※ ※


 キラリがどれだけ必死にステージから目を凝らしても、客席は暗闇の向こうに隠れたままだった。深い闇の奥から、ただ声だけが聞こえてくる。


"こんな状況で歌えるのかよ"


"まさかここまで来て中止か?"


"3Dイリュージョンも止まってるぞ"


"おい、だったらステージにいるのは……?"


"知らない。歌唱担当じゃないぞ"


"じゃあ誰なんだ、あれ"


 本来、アイドルは望まれてステージに立つ。しかし、今のキラリに向けられていたのは疑念と不審の視線だった。


「あ、あ……」


 キラリの脳裏にあの日、逃げ出したステージがフラッシュバックする。今、この場にいる誰も自分を望んではいない。このステージに立っていてはいけない。その資格がない。深淵から責め立てる声が聞こえた。


"どうしてここにキラリがいるんだ?"


「いやっ……!」


 闇が迫る。見えない圧力に押しつぶされそうになって、キラリの右足は床を擦って後ずさった。


「キラリちゃんっ……!」


 ユイが強く手を握っても、その想いはキラリには届かなかった。蘇った恐怖が前を向く意志を黒く塗りつぶしていく。


"お前は誰だ"


"ステージから降りろ"


"…………れ"


 もはや耳に届く音のすべてが自分を否定する言葉に変換される。


"お前はアイドルになんてなれない"


"選ばれていない"


"が……れ"


 その中でたったひとつ。恐怖の海を泳ぎ、悪意の波を掻い潜り、まっすぐに迷いなくキラリまで届く声があった。


"……ばれ……"


(呼んでる……)


"が……ばれ……"


 その声は、ただ愚直に約束を守っていた。「あなたを見ています」──その、たった一つのシンプルな約束を。


「がんばれえええ! キラリさああああんっ!!」


 仁志の声だった。どんなときも落ち着き払って決して声を荒げないおじさんが、あんなに大声で叫んでいる。ステージに立つあたしのために叫んでいる。暗闇の奥、たとえ目には見えなくとも、キラリには仁志のいる場所がハッキリとわかった。その叫びに呼応して、次第に応援の声が客席中にも広がっていく。


"がんばれええええ!"


"キラリィィィ!"


"ユイちゃあああん!"


"歌ってえええええ!!"


 もう深淵からの声は聞こえなかった。今はすべての声がキラリの背中を押してくれていた。


(あたしの居場所は……ここだ!)


「キラリちゃん!」


「はいっ!」


 ユイの手を握り返し、一度は下がりかけた右足と勇気を前に出して、ステージを力強く踏みしめた。


「ラスト行くよっ! 『アイドルステージ』っ!!」


 堂々たるキラリの宣言に客席から稲妻のような大歓声が上がり、会場が地鳴りに揺れた。


♪ いつだって夢は無限大

  なりたい私に目移りしちゃう

  キミの夢はなんだろう?

  同じ夢なら一緒に見よう!


 失われた音を補うように、観客たちの手拍子がリズムを刻み、コールがメロディーを奏でる。


♪ たったひとつ 目が離せない太陽

  見上げた空に 輝く星たち

  ぜんぶぜんぶ 灼き尽くして

  ひとつ残った アイドルの星☆


 重なる歌声。鏡写しのダンス。ライトを浴びたブレイブサンライズコーデが光を反射して輝いた。双子の太陽は、まさしくふたりでひとりのアイドルだった。


♪ 眩しさに目を細めることすら

  もったいなくて

  なりたいって決めた瞬間

  走り出していた


 かつて、彼の人は言った。


 強き願いは必ず届くと。


 人々の願いを乗せた声は力を持ち、奇跡を起こす。今、その奇跡の光は仁志の首元から発せられていた。彼がその光を見るのはこれで二度目だった。輝くエールライトの光は水面に落ちた水滴のように波状に伝播し、消えていたペンライトにふたたび桃色の明かりを灯していく。波が会場すべてに行き渡ると、暗黒の世界に色が戻り、音が蘇った。そして、光を取り戻したペンライトたちの先からもう一つの光が生まれた。その光はそれぞれライトの持ち主の頭上に浮かび、人の形をとった。それが誰なのか、すぐにわかった。客席の皆がその名を呼んだ。それぞれに違う名前を。自分だけの名前を。そして仁志が呼んだ名は。


「エイコさん……!」


 顕現したマイキャラたちは皆、以前キラリが着ていたのと同じ練習用のジャージに身を包んでいた。この格好ではステージに立てない。こんなとき、やることはいつも決まっていた。プレイヤーの役目は彼女たちに最も似合うコーデを選ぶこと。各々が取り出した『アイステ』カードを掲げると、そこに描かれたコーデがマイキャラたちを彩った。一人、また一人とドレスアップしたマイキャラたちがステージへと飛んでいく。その中で最後に残ったのは仁志とエイコだった。仁志は彼女を見つめ、申し訳なさそうに頭を掻きながら言った。


「すみません、エイコさん。どうも、まだこういう場所の慣習に馴染みがなくて……あいにく、カードを家に置いてきてしまったんです」


 エイコは何も言わず、じっと仁志を見つめていた。それは信頼だった。


「でも、あなたに渡したいドレスがあるんです。ずいぶん遅くなりましたが……受け取っていただけますか?」


 エイコは静かに、ゆっくりと噛み締めるように微笑んだ。仁志が掲げたスケッチブックから光が放たれると、エイコを純白のウエディングドレスコーデで飾った。その場でくるりと回って見せる彼女に、仁志は「思った通りです」と微笑んだ。


「やっぱり、うちのエイコさんが世界一かわいいです」


 エイコはもう一度仁志に微笑みかけ、そして彼の耳元で囁き、想いを伝えた。その暖かい声は歓声にかき消されて周囲には届かなかった。それからステージへと飛んでゆき、キラリとユイに並んで舞台に立った彼女の姿を、仁志は滲んだ視界で見つめながら小さく呟いた。


「…………ええ、私もです」


※ ※ ※


 キラリとユイのステージは、今やここに集まった全員の夢を乗せていた。


♪ はきつぶした靴 リュックに詰めて

  前見て 上向いて

  背負った夢で加速する


──安心してください。私も一緒に帰る方法を探しますから。


──この子を……キラリちゃんをレッスンしてあげてもらえませんか。


──まだ、私は諦めていません。


──大丈夫です。だって、私が見ていますから。


 きらめく汗の一粒一粒に仁志との思い出が映り込んだ。歌声に、精一杯のありがとうを込めて。


♪ こっち見て アイドル


"アイドル!"


♪ キミだけの アイドル


"アイドル!"


 全力のコールが会場をひとつにする。


♪ 手と手つないで

  足並みそろえて

  さあ 夢に見た未来へ


 ラスト、クルッと回って──何千回も練習した振付。キラリの世界が回る。隣にユイがいた。マイキャラのみんながいた。会場いっぱいのお客さんがいた。そして──自分をここまで連れてきてくれた人がいた。


(おじさん……見ててください! これが、これがあたしのっ!)


♪ あこがれのステージへ!


 ……………。


 …………………………。


 ……………………………………。


 辿り着いた最後のフレーズ。キラリは空を指したままの人差し指を見つめていた。静かだった。自分の息遣いだけがやけに大きく聞こえた。それから一拍おいて、歓声と拍手が耳に届いた。視線を下ろすと、小さな舞台にひとりで立っていた。着ているドレスもプレミアムではなかった。この場所、この時をキラリははっきりと覚えていた。


 ここは、あの日のステージだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る