第七話(2)

「映画っ、映画っ、映画マポ~っ!」


「……マポさん、あんまり大きな声を出すと周りの人に気付かれてしまいますよ」


「そうだったマポ。ごめんマポ」


 反省し、マポはいつものように仁志のショルダーバッグの中に身を隠した。直後、すぐ横を複数の親子連れが談笑しながらすれ違っていった。予想していたこととはいえ、やはり休日のショッピングモールの人混みは凄まじい。遊びに来た親子連れだけでなく、買い物の主婦から時間つぶしの学生たちまで、わざわざ遠出はしたくないが、かと言って休みの日にどこにも出かけないのはもったいないという近隣住民の需要を、このモールが一手に引き受けているようだった。


 あれから複数の映画館の上映スケジュールを調べてみたが、どこもミラキュー映画のレイトショーを上映していなかったのだ。しかし、よくよく考えれば当然のことだった。ミラキューは女児をメインターゲットとした作品なのだから、青少年育成条例に定められた年齢制限により、子どもが入場できないレイトショーを実施したところで収益が見込めないのは明らかである。というわけで、仁志はやむなく休日の映画館へと赴いたのであった。


「映画館は別棟の四階ですね」


 直結のエレベーターを使って映画館に入ると、人口密度はさらに高まった。ロビーを元気に走り回る子どもたち。売店に並ぶカップル。モニターの予告編を見つめる青年。チラシを集めるシネフィル。ソファに座る老夫婦。照明を落とした仄暗いロビーで、皆、思い思いの過ごし方で期待に胸を高まらせて映画が始まるのを待っていた。高揚した気分。楽しげなざわめき。キャラメルポップコーンの甘い匂い。久しぶりに味わう映画館の空気だった。


「ええと……」


 仁志は周囲を見渡し、困惑した。


「なにしてるマポ?」


「いえ、チケット売り場が無いなと思いまして……」


 以前来たときは壁際にカウンターがあり、ガラス越しに販売員に観たい映画の名前を告げてチケットを買う仕組みだったが、今はカウンターそのものが無くなっていた。


「ふむ……」


 こういうときは人の流れを観察するに限る。ロビーを見回すと、反対側の壁に向かって多くの人が並んでいた。列の先には黒い券売機が五台並んでいる。どうやら、この数年の間にチケット購入はセルフサービスになったようだ。仁志は列の最後尾に並ぶと、壁の上部に設置された液晶モニターで映画の上映時間と混み具合を確認した。この親子連れの多さから予想できてはいたが、三十分後に上映の始まるミラキュー映画には、すでに残席わずかのマークが付いていた。列が進み、仁志の順番が回ってきた。


(マポさんのチケットは……買っても、もぎりのスタッフさんが困るだけですね)


 券売機はタッチパネル方式で、購入したい作品と日時を選択すると、続いて座席表が表示された。すでに八割以上の席が埋まっており、残った席は最前列や端っこなど、スクリーンの見づらい場所がほとんどであった。そんな中で、最後列の中央席がちょうど一席だけ空いていた。偶然ではない。ミラキュー映画は複数名の親子客が多いため、一つだけの空席は埋まりにくいのだ。仁志はそこを指定してチケットを購入した。


 多くの親子に紛れて入場口に並ぶ。夏のブロックバスター大作が軒並み終映した秋頃は映画館にとっては閑散期である。そのため、並んでいるのはほとんどミラキュー映画の客であろうと推察された。入口では男女二名のスタッフが左右に分かれてチケットを確認し、列を捌いている。


「はい、一番シアターになります。こちら入場者プレゼントです」


 と、男性スタッフが腰をかがめて小学生の女児に何かを手渡した。遠目からでは白いプラスチック製のペンのような物であることしか分からなかった。どうやら中学生以下の子どもにだけ配布しているらしく、親御さんにも仁志にも配られなかった。入場した劇場は一番シアターの名を冠するだけあって、この映画館で最も大きなハコだった。それがほぼ満席になるのだから、ミラキューの人気が伺えようというものだ。足元に気をつけて最後列まで階段を昇り、ど真ん中に着席する。左右はまだ空席だった。さすがにスクリーンが少し遠く感じる。仁志がショルダーバッグに手を入れると、中からマポが眼鏡ケースを手渡してくれた。「ありがとう」と小声でお礼を告げると、マポは頷いてバッグから顔だけを出し、スクリーンに流れる予告編を観ながら「楽しみマポね」と笑った。最近のシネコンらしい、ゆったりとしたシートに背を預けて上映開始を待つ。映画館に来たのはいつ以来かな、と記憶をたどる。たしか五年ほど前に妻とふたりでミュージシャンの伝記映画を観に来たのが最後だ。ひとりになってからはなんとなく出かける頻度が減って、映画も自宅で観るようになっていた。ふと思う。もし自分たちに子どもがいたらどうしていたのだろうかと。今見ているのは、その「もしも」の光景なのではないだろうか。マポを膝の上に乗せてそんなことを考えた。


 もうすぐ上映が始まる。


「ママ~、こっちだって~!」


 四歳くらいの女の子が仁志の左隣の席に座ると、後から来た母親がチャイルドクッションで椅子を底上げした。一方、右隣では小学生の姉妹が着席している。どちらの子どもも、先ほど入口で渡された白いペンを手にしていた。これは一体なんだろうかと密かに観察しようとしていると、照明が落ちて予告編の上映が始まってしまった。擬人化された乗り物や動物たちの冒険物語、オーバーアクションな海外のCGアニメーション、人気テレビアニメの劇場版など、客層に合わせた作品の予告が次々と流れていく。子どもたちはスクリーンに知っているキャラクターが映るたび、大きな声で名前を呼んで付き添いの父母に教えてあげている。その間、あちらこちらからチラチラと光が明滅しているのが見えた。そのうち、光は仁志の左右にも現れた。何事かと目をやると、子どもたちが例の白いペンを光らせて楽しそうに振っていた。どうやらあれは小型のペンライトらしい。


「みんな~! こーんにーちはー!」


 予告編が終わると、スクリーンいっぱいにミラキューの妖精、ムポとモポとの大きな顔が映った。


「今日は映画を見に来てくれて、どうもありがとうムポ~!」


「みんなはもう、エールライトは受け取ったモポ~?」


「もし、映画の途中でミラキューがピンチになったら、そのエールライトを振ってほしいムポ!」


「ミラキューがんばれ~!って、応援してほしいモポ! そうしたら、すごいことが起きるかもしれないモポ……!」


「ライトは近くで見ちゃダメムポよ! それから、周りの人に当たらないように気を付けて振るムポ!」


 なるほど、このペンライトは子どもたちが映画に参加するためのアイテムだったのかと仁志は得心した。


「それじゃあ、映画が始まるモポ~!」

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