第20話 白イ記録
到着時刻は17時20分。
冬の北海道の大空には無数の星々が輝いている。
咲守の実家はロッジ風の大きな一軒家だった。
行く前に電話して、自宅付近に何か目印があるかと聞いたら、何もない中にあるからすぐわかると言われた。
本当に辺りには何もなく、青白い雪の世界にポツンと建っている。
俺は幼い頃に読んでもらったおとぎ話の風景を思い出した。
亨がチャイムを鳴らした。
バタバタと騒がしい足音が聞こえて、元気一杯な咲守が扉を開けた。
「お疲れ様~。やな所だったでしょ?とりあえずお茶飲もう!さぁ上がって!」
いつものビックシルエットな洋服ではなく、シャツにセーターを重ねて小奇麗な姿。
亨と俺は顔を見合わせて笑った。
「今日の咲守はお坊ちゃまって感じ!」
「似合うじゃん。そうしてると年相応だし警部っぽく見えるぞ」
「実家に置いてる服はお母さんから貰ったプレゼントの服なんだよねぇ・・・。動きにくい」
咲守は少し照れたような顔でセーターを摘まんだ。
「あら!あらあらあら!寒い中ようこそ」
廊下の奥から洗濯籠を抱えた小さなご婦人が現れた。
咲守と同じようなシャツにカーディガンを羽織り、紺色のエプロンを着ている。
どうやら咲守のお母さんらしい。
「まぁどうも初めまして!咲守の母です」
洗濯籠を抱えたまま咲守のお母さんはお辞儀した。
「こんばんは。僕は同じ特殊犯罪課の一条歩人です」
「お邪魔します。初めまして。捜査一課の宇月亨です」
「2人とも警視庁の友達だよー」
いつもの呑気な声で俺達を同僚とは言わず友達と言った。
「ははっ!友達って!まぁ、咲守がそれでいいならいいけど」
「うふふ。この子ったら昨日帰って来るなりお2人が遊びに来るんだーって言ってソワソワしてるのよぉ。お仕事で寄っていただいてるんでしょう?どうぞリビングへ。温かい飲み物用意しますね」
「ありがとうございます」
咲守に続いてリビングに入ると目の前に大きな暖炉があった。
パチパチと薪が爆ぜる音と柔らかく揺らぐ炎。
暖炉前で眠っていたボーダーコリーっぽい犬がゆっくりと体を起こし、しっぽを振って咲守のところへやってきた。
「番犬の歳三だよ。もう随分とおじいちゃんになっちゃったけど我が家を守ってくれてるの」
「渋い名前だな」
「五稜郭公園で拾ったの」
「あぁ、もしかして土方歳三の歳三か」
「正解」
歳三はじーっと俺達を見定めたあとに足元の匂いを嗅いでまた暖炉の前に戻って丸くなった。
「俺達は怪しい人物じゃないってことかな?」
「そうね。御用改めの必要なしってこと」
悪戯っぽい笑顔で咲守が答えた。
「さぁ、2人はソファーに座ってて。お母さん、お茶は僕が用意するからいいよ。お父さんの迎えに行っておいでよ」
咲守のお母さんは壁にかかった時計を見上げてそうねと言った。
「今日はお父さん、仕事の打合せで出掛けてるんだ。帰って来たら紹介するね」
「それじゃあ、お父さん迎えに行ってくるわ。一条さん、宇月さん、お夕飯用意してますから一緒に食べましょう」
「え?いいんですか?」
「もちろん。美味しい海鮮鍋にしますからお楽しみに。じゃあ、ごゆっくり」
俺達は立ち上がってお辞儀して再びソファーに腰かけた。
咲守のお母さんが完全に玄関を出たのを確認し、咲守に向かって今日の話しを始めた。
「研究所は廃墟だったよ。ほとんど施錠されてて全然探れなかったけど、2階までは行けた」
アイランドキッチンでお茶の準備をしながら聞いている咲守はふーんと言った。
「やっぱり機能してなかったかぁ」
「長らく誰も立ち入ってないって感じだった。でも2階の一番手前の部屋だけ開いてて、そこでファイルをいくつか見つけたから持って来た」
咲守は熱々のお茶と焼き菓子をお盆に乗せてソファーへやってきた。
「見せて」
俺はリュックから3冊のファイルを出して渡した。
咲守はペラペラと書類を捲り、黙って考え込んでいる。
「これ、何なの?」
「脳の電気信号についてまとめられてる。主に視覚の話しだね。でもこれ・・・どこにあったって?」
「2階のオフィスっぽい部屋。非常階段から一番近い部屋で、デスクとキャビネットしかないところだった。キャビネットの一番下だけ施錠されてなかったから勝手に押収してきた」
「・・・そう。変だね」
咲守は珍しく眉根を寄せて言った。
「え?」
「僕は・・・そもそも研究所には入れないだろうと思ってたんだ。でも、扉は開いていて、しかも都合よくファイルが見つかってる。先に入った誰かが誘導したみたいじゃない?」
「でも・・・誰もいなかったぞ?」
「目に映ってないだけかもね」
「ど、どういうこと?」
俺は建物内で感じた視線を思い出し、背筋が寒くなった。
「このファイルに書かれている研究内容に通じる話しさ。視覚というのは目に入った光を電気信号に変換して脳に伝達する。そして、電気信号は脳内で記憶と照合され、像が出来上がる。僕達が目にしているのは、脳内で再生されている世界なんだ。ここには・・・他人の視覚に影響を及ぼす力について記載されてるね。見えないと錯覚させる力・・・か。どうやら他人の視覚神経に影響が及ぼされる信号があるようだね。それを念波みたいな感じで送り出す事ができるって事だな」
「つまり・・・他人の視覚に映ってる人や物を自由に消すってことか?」
「さすが亨くん。それに近いことが出来るってことだろうと思うよ」
亨は咲守が言っている事が理解できたようだった。
「自動ドアが少し開いてたのは・・・その先に入った目には映らない誰かのせいってこと?」
「可能性の話しさ。本当のところは分からない。でも、偶然にしては出来過ぎてる。この資料を見つけさせたかったようじゃない?」
さらにファイルを捲ると、複数の写真が挟まっていた。
「あの研究所の人達・・・かな?」
色褪せた写真の1枚には複数の白衣姿の男女が写っていた。
集合写真のように横一列に並び表情は硬い。
「この真ん中の人が高科所長だよ」
集合写真の真ん中には細身で黒縁メガネの眠たそうな顔した男がいた。
「隣の男の子・・・ハーフっぽくないか?」
高科所長の隣にはひょろっと背の高い少年がいた。
顔は長い前髪で良く見えない。
手術用のドレープみたいな服を着ていて、白く長い脚が印象的だ。
「前髪が邪魔でちょっと分かりにくいけど、確かにハーフっぽいかも」
「他の写真は?」
次の写真は高科所長が研究員と話している姿が写っていた。
眠たそうな目だが眼光は鋭く、冷たい雰囲気が漂っている。
俺は話したこともないのに高科所長の事は苦手だと思った。
続いての写真は真っ白な世界だった。
建物内であることは間違いないが、そこに写る全てが白く、境界線が曖昧な写真。
白い壁、白いソファー、白いデーブル、白いティーカップ、白い服を着た白い男の子。
白い肌に対比する黒い髪がやたらと目立つ。
今度は顔がはっきりと写っていた。
濃い眉の下の鳶色の大きな目が恨めしそうにこちらを見ている。
その顔は見覚えがあった。
この子はいつかの・・・。
「あ、あれ?俺、この子知ってるぞ」
咲守と亨が驚いた顔で俺を見た。
「え?似た人じゃなくて、この子を知ってるの?」
俺はこの子と出会っている。
・・・あの日の迷子だ。
「多分、この子は田所雷という名前だよ。前に体調不良で動けなくなってたのを保護したんだけど、すぐにお兄さんが迎えに来たから引き渡したんだ」
俺は嫌な符号を感じていた。
今の今まであの日の迷子など忘れていたのに、話すうちにどんどん思い出していく。
あの虚ろな鳶色の目は無気力で害は感じず、ちょっと陰気な雰囲気だっただけ。
でも、一瞬垣間見えた狂気の目は怖いと感じた。
本能的に関わってはいけないと思わせる気迫。
思い出した途端、ざわざわと胸騒ぎがする。
喉が鳴るほど大きく唾を飲み込んだ。
「それいつの話しだ?この写真、結構古いぞ?本当にそいつか?」
「今年の5月頃かな。異動してそんなに経ってなかったと思う。出勤前の出来事だった。確かにこの写真に写ってる子は幼さがあるけど、面影は残ってた。間違いない」
「田所・・・。肉親がいる場合もあるのか」
咲守は聞き取れないほどの小さな声で何か言った。
「歩人、この子のお兄さんの名前は?」
「あ・・・聞いてない」
「あらら。そう」
「舜介が会ったのもこいつか?」
「確認しよう」
俺は写真をスキャンして舜介に送った。
程なくして電話がかかってきて、その声は落ち込んでいるものだった。
『この写真の子だよ』
俺達は顔を見合わせて視線を落とした。
あの日逃げたのが犯人である可能性がより濃厚になってしまった。
そして、咲守の情報通り高科所長率いるマチュア研究所内の連続殺人事件である可能性もかなり濃厚になったわけだ。
「舜介くん、監視カメラの方はどう?」
『そっちも収穫あるよ。あの子は〇✕駅で降りてた』
「多分自宅の最寄り駅なんだと思う。その他の防犯カメラの照合もお願い」
『今やってるよ。また進展あったら連絡する』
電話を切ったあとは沈黙が続いた。
捜査を進めた先に、またあの死んだ研究所があると思うと具合が悪くなる気がした。
俺はまだ恐怖心を引きずっている。
「この子は・・・どこの研究所にいた子なんだろう」
咲守はテーブルに置いた真っ白な少年の写真を見つめて呟いた。
「北海道の研究所じゃないのか?」
亨が少し気だるそうに言った。
「いや、記憶にないんだ。多分、僕の後には誰もいなかったはずだし、第四じゃないと思う」
「記憶?第四?何のことだ?」
咲守はまた写真を見て続けた。
「2人には話しておかないといけないね。ちょっと驚くかもしれないけど、聞いてほしい。僕の能力について」
「能力って軌跡の・・・あ、あれ?そのファイル、視覚についてまとめられてるって言ったな」
咲守はゆっくり頷いた。
「・・・僕のこの特殊な視覚は生まれ持ったものじゃない。12歳の時に開花した能力なんだ」
少し息を深く吸った咲守は語り始めた。
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