第9話 沈黙ノ研究所

翌日、再度あの研究所へ向かった。

残念なことに森さんは出張で不在。

若い研究員が対応してくれた。

少しくせっ毛で童顔の研究員は、本物の刑事さんの聞き込みなんて緊張するなと笑っていた。


正面玄関に入った途端、咲守は戸惑ったような表情を見せた。

研究員の事など目に入っていないような素振りでエントランスホールを見渡している。

軌跡を判別するにしてはおかしな視線。

建物全体を忙しなく見渡し、青ざめたように見えた。

童顔の研究員が俺と咲守に向かって何やかんやと世間話を向けながら、カフェスペースへと誘導する。

専ら俺が世間話を請け負い、なんとかテーブルに着いた。


「その後、笠野所長の行方は分かりましたか?」


若い研究員は湯浅という名前だった。

湯浅さんは咲守の視線の先を気にしつつ、俺に質問した。


「いえ、依然足取りが掴めていない状況です。約束の日にこの辺りまで来ていたようなんですが、辿り着いてからが分かりません」


「そうですか・・・」


「つかぬ事をお聞きしますが、笠野さんと連絡が取れなくなってから、この辺りで不審な人物がいたという噂を聞いた事はありませんか?厳密に言えば、人じゃなくても・・・いいんですが」


この質問相手に関しては、森さんよりこの好奇心旺盛そうな湯浅さんの方が適しているかもしれないと思った。

森さんはきっとまともに答えはしないだろう。


「あぁ、腕を持った大女の幽霊ですか?」


湯浅さんは至極普通な顔でそう言った。


「それです!」


「妙なことお尋ねになるんですねぇ。事件と何の関係があるんです?」


湯浅さんは眉毛をしかめた。

幽霊なんて非科学的なものを刑事が追っかけてるわけがない。

当然疑問に思うだろう。


「関係があるかどうかを確認したいんです。幽霊かどうかは分かりませんが、”大女”というのが複数目撃されているようなので」


「へぇ・・・。じゃあ、幽霊じゃないのかなぁ。多分、うちの者はみんな知ってる話しですよ。私は目撃したことありませんが、ここに出入りしている業者が見たとか。でも、笠野所長の行方が分からなくなってからじゃなくて、よく新薬を発表してるあの・・・国立研究所の・・・名前なんだったかな・・・何とか所長」


それを聞いた咲守が急に大きな声を出した。


「国立研究所の・・・所長?」


「え?あ、ご存知なんですか?その方がここに来た時からその噂が出始めたんですよ。笠野所長の訪問時間より少し前でしたが、その方が帰ったあとに業者が来て、妙な人影を見たと言ってました。あんなに大きな女はいないと思うし、何より腕が1本多かったとか言っていて、それは幽霊の類なんじゃないかという話しになったんですよ。鬱蒼とした暗い森が広がってるので、幽霊の一体や二体いてもおかしくないですよねぇ」


湯浅さんは終始軽い受け答えだ。

咲守は膝の上に置いた拳をぎゅうっと握り、下を向いた。

明らかに尋常じゃない態度。何事だ?


「その所長は、黒縁眼鏡に眠そうな目をしていましたか?」


視線は下したまま咲守が聞いた。


「あー・・・そうですねぇ。こう、縁が太い眼鏡かけた方です。眠そうな目ではありますが、表情はちょっときつめな感じで。まぁ、頭がいい方っていうのはちょっと取っつきにくい感じしますよね」


「そうですね・・・。分かりました。ご協力ありがとうございました。失礼します」


珍しく愛想笑いした咲守は急に席を立ち、挨拶してさっさと出口に向かった。

俺は急なことに理解が追い付かず、ワンテンポ遅れて挨拶し、急ぎ咲守の後を追った。

湯浅さんは怪訝そうな顔をしていたが、引き留める理由もないので、ただ俺達が出て行くのを見送っていた。


「ちょ、咲守!どうしたんだよ?」


「・・・最初から僕も入ってればよかったな」


咲守は足元に視線を落としたまま何か言った。

早口な上に小声で聞き取りにくい。


「はぁ?分かるように説明してくれよ」


「警視庁に戻ろう。亨くんと舜介くんを特殊犯罪課に呼んで」


「え?あ、あぁ」


俺は車に戻りながら亨と舜介に電話を入れた。

要領を得ない説明しか出来なかったにもかかわらず、2人は特に多くを聞くでもなく、分かったと言って電話を切った。


車を出すと咲守は少し寝ると言って座席を倒し眠りについた。

何だか顔色が悪く、いつものように健やかな寝顔ではない。

俺は何となく小さなボリュームでラジオを付け静寂を紛らわす。

言い知れぬ緊張感で、流れゆく景色は目に入らないまま約1時間のドライブを終えた。


警視庁に戻るとすでに亨と舜介も特殊犯罪課のオフィスに到着していた。

今日も今日とて特殊犯罪課は出払っていて誰もいない。

亨と舜介は誰もいないのをいいことに応接用ソファーでくつろいでいた。


「お疲れ様。急な呼び出しってことは何か進展があったの?」


舜介は自分のオフィスのように伸び伸びと熱いお茶を用意しながら言った。


「あったよ。研究所の謎が解けた。被害者の共通点もね」


亨と舜介は顔を見合わせ、咲守を見た。


「あそこはね、新薬開発をしている国立研究所の関連研究所だったんだ。第一研究所自体は本当に豊かな暮らしを目指して、人体構造についての研究を行ってるけど、研究員の上層部は違う。半官半民の顔は表の顔。裏の顔は国の新薬実験場として機能している。僕が知る限りでは、第六研究所まであるはずだよ。他の研究所の建設計画は頓挫していない。ただ、今も全研究所が機能しているかは分からないけどね」


「咲守・・・お前その情報はどこから?」


「ん?うふふふふ。こう見えて僕も歴とした公安の一員ってことだよ」


咲守は無邪気にウインクして笑い、情報の出所を濁した。


「新薬の実験場で、探られたくないということは・・・危ないことしてるの?」


舜介が湯呑を両手で包み、眉根を寄せて聞いた。


「そうだよ。表沙汰に出来ないくらいだからね。非人道的行為」


「・・・つまり、人体実験ってことか?」


亨が腕を組みソファーに深く座って聞いた。

咲守はサングラスを外し、普段は良く見えない大きな目を一度瞬かせて深く頷いた。


「それを、国が許容してるから秘密か」


「そういうこと。僕の推測を話すと、これまで発見されたパーツの持ち主達は、第一研究所から第六研究所までの研究員だと思う。しかも、コアメンバーで設立に関わっていたはず。第一研究所で功績をあげたメンバーが第二、第三と分かれて研究所を任されてたと聞いてる。恐らく犯人は・・・」


「人体実験の被験者か、被験者の関係者・・・もしくは研究員の誰か?」


「多分ね。第一研究所設立時の立ち上げメンバーが他にも行方不明になってるんじゃないかと思う。悪いんだけど亨くんはそっちを当たってくれる?設立時の新聞があると思うんだ。有名ではないから、全国的なニュースにはなってなくても、地方紙には多少なりとも載ってるはず。メンバーの顔と名前が分かるかもしれない。舜介くんはあの逃げちゃった男の子を引き続き探して。2人とも可及的速やかにお願い」


咲守は警部らしく指揮を執り始めた。

亨は、咲守の普段の姿からは想像できない指揮に少々面食らったような顔をしたが、一度頷き酒でも煽る様にお茶を飲んでさっさと特殊犯罪課のオフィスから出て行ってしまった。


「あの子が・・・その研究所に関わってたってことになるの?」


不安気な声で舜介が聞いた。


「僕は・・・その子が犯人だと思ってる」


咲守は少し言葉を探して間を置いたが、結局ストレートに言った。

それを聞いた舜介は息を呑み、真っ青な顔で湯呑の水面を見つめた。


「犯人を捕まえるというよりも、その子が死なないように早く見つけてほしいんだ」


「え?」


「・・・その子がもし、パーツの持ち主全員と繋がる被験者だったとしたら、かなり酷い実験をされてたと思う。心の傷は計り知れない。その子は・・・もしかすると・・・死に場所を探しているのかもしれない」


「そんな・・・」


「だから、可及的速やかに探し出してほしいんだ。罪は罪として償ってもらうけど・・・僕はその子に人生を諦めてほしくないんだ」


咲守はとても熱が籠っている。

一体何を知っているというのだろうか。

まだ多くを語ってくれないが、時期が来たら俺達にも分かるように説明してくれるのだろう。


舜介はぎゅっと目を瞑ってお茶を飲み干し、何度も頷いた。


「犯人だとしても、俺もあの子に死んでほしくない。たった数分一緒にいただけだったけど・・・川を覗き込む俺の体を支えてくれたんだ。落ちたら怪我じゃ済まないからって。ちょっと気が弱そうだったけど、優しい子だった。あの目に嘘はなかったと思いたい」


「うん。男の子の特定は舜介くんに任せた。よろしくね」


舜介は最後にもう一度頷き、特殊犯罪課のオフィスを後にした。


「さぁ、行くよ」


「行くってどこに?」


咲守は天井を指した。


「上?」


「報告と・・・予防線を張っておく必要がある」


事情は良く分からなかったが、咲守が珍しくやる気を出している。

俺は腰を上げ、咲守のあとに続いてオフィスを出た。

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