第5話 繋ガラナイ軌跡

亨が乱暴に車のドアを閉めたので、咲守が意味不明な奇声を発して飛び起きた。


「亨くん、どーしたの?」


ショボショボと瞬きをした咲守が後部座席でふんぞり返っている亨の顔を覗いた。


「咲守、今はそっとしとけ。亨はめちゃくちゃ機嫌悪い。投げ飛ばされるぞ。俺も今し方投げ飛ばされるかと思ったところだ」


俺の言葉を聞いて、咲守はひゃ!とかうひゃ!みたいな声を出してきちんと席に座りなおした。


「出てきた人がムカつくやつだったの?」


「まぁ・・・そうだな。途中で寺岡さんから電話が来たんだ」


咲守は察しがついたような顔をした。


「なるほどね~。じゃあ、一旦引いた方がいい。まぁ・・・そうなるかもと思ってたよ僕は」


「はぁ?じゃあ何でここ来たんだよ?」


今度は亨が咲守の顔を覗き込んだ。

怒りを引きずった亨の顔は鬼瓦だ。


「うひゃ~!怖い顔!何って、これ貰うためでしょ?リスト確保したいじゃない」


咲守は退職者リストが入った茶封筒を亨の顔の前でひらひらと揺らした。


「ひらひらさせんな!どうせ捜査中止だぞ!」


俺は再び後部座席でふんぞり返った亨をバックミラーで確認して車を出した。


「亨くん、そんなに怒んなくてもだぁいじょうぶ。寺岡さんはやる男よ?明日の昼頃には捜査開始できるって」


「どういうことだよ」


「今頃、あれやこれやと根回ししてくれてるってこと。で?失踪者いた?」


咲守はリュックからチョコ棒を取り出し、亨に手渡した。

どうやら労いのつもりらしい。

亨は不服な顔のまま受け取り、速攻で袋を破いた。

そういえば亨は無類の甘い物好きだった。

その様子をバックミラーで盗み見していた咲守は満足そうに笑い、俺を見てはっとした顔をした。

何故か俺にもあげないといけないと思ったのか、チョコ棒をもう一本取り出し、俺の口に唐突に突っ込んできた。

心遣いは嬉しいんだけど、あげ方がちょっと荒いのよ。


「1名、失踪者と思わしき人物がいた。前の所長の笠野達也、56歳。咲守が言ってた50代半ばに合致する。昨日ここに訪ねてくる予定だったらしいが来てない。その後は音信不通だ」


「ふーん。でも腕の状態の軌跡がここに繋がってたってことは多分、約束通り研究所前までは昨日来てたんだよ。けど残念ながら軌跡は唐突にここから始まり、海岸で終わるという何を意味しているのかサッパリ分からない状態。門前はよーく確認してみたけど、遺留品なし、争った形跡なし、血痕らしき物もなし」


どうやらあの後眠っていただけではなく、現場と思わしき場所の確認作業はしていたらしい。

自由気ままにしてたって、やる事はしっかりやっている。


「ここに来るまでに枝分かれしてる軌跡はないのか?」


「あぁ、その笠野さんって人の家からここに来てるやつ?ないのよ。研究所門前から唐突に始まってるの。あり得ないよねぇ」


「っていうことは、切断された腕が急に現れて、海岸まで移動したと?あり得ない」


「軌跡って改竄できたりしねぇの?」


亨はチョコ棒を補給して少々落ち着いたようだ。


「んー?そんな事できる人に会った事はないねぇ。まぁ、出会った事がないだけで、存在しているかもしれないけどね。でも、そんな超人が犯人だったら敵わないね」


「咲守で敵わないならもうお手上げだろう」


「超人って言っても人間だろ?だったら何か手立てがある。絶対捕まえてやる」


咲守は口を半開きにして亨を見た。

意外な事でも聞いたような顔をしている。


「亨くん・・・とってもいいね!」


何がそんなに良かったのか分からないが、咲守は亨にありったけのチョコレートを差し出して笑った。


「え?あぁ・・・ありがと?」


亨は困惑しつつもチョコレート菓子を受け取り、隣の席に雑多に置いてどれから食べるかを選び出した。


「咲守さ、ここ以外の研究所があるか知ってる?」


「ここ以外?いや、知らない。そんなのあったの?」


「計画はあったようなこと言ってた」


「ふーん・・・」


咲守は声のトーンを落として言った。

暗闇を見つめる咲守が窓ガラスに映っている。

その表情が何を意味しているのかは分からないが、何か遠い記憶でも思い返しているような表情だった。


「とにかく、怪しい研究所だな。調べ甲斐がある」


亨はもらったお菓子を食べながら言った。


「まぁ・・・そうだねぇ。・・・さて!今日の所は寺岡さんの言う通りに帰ろう!歩人、飛ばして~!」


「警察官がスピード違反はいかんだろう。安全運転で帰ります」


バックミラーに浮かんだ研究所の灯りは、次第に木々に吸い込まれて消えた。


思わぬ邪魔が入ったのは確かだが、多少の収穫はあった。

咲守の言う事を信じるなら、明日の午後には動けることになる。

明日は笠野達也の自宅を訪ね、研究所の捜査を始めることになるだろう。


珍妙な一行は、やや消化不良な気持ちを抱えつつも、警視庁へと戻っていった。


[newpage]

[chapter:不可視ノ手掛カリ]


警視庁に辿り着いたのは24時過ぎになってしまった。

呑気なもんで咲守は助手席で気持ちよさそうに眠っている。

亨は後部座席で口を開けて眠っている。


「おいホラ!起きろ!」


俺は咲守の肩を揺すり、亨の太股を叩く。

亨は半分ほどしか開かない目で俺を見て、わりぃと謝った。


「すっかり眠ってた」


「いいよ。亨はもう帰ってゆっくり寝ろよ」


「歩人は?」


「俺は仮眠室に直行かな」


「帰んないの?」


「帰るの面倒くさい。咲守もどうせこんなで帰りきれないと思うし、一緒に仮眠室だな」


咲守は肩をしつこく揺らしても全く起きない。

いい顔して眠っている。

子供か。


「石岡!起きろ!」


亨が咲守の両肩をがっしり掴んで力を入れた。


「あぎゃーーーーーーー」


何とも間抜けな叫び声。

咲守はバカ力で掴まれた肩を山なりにして顔をくしゃくしゃにした。


「やーめーてー!潰れちゃうー!」


「ようやく起きたか」


ベソかいたような顔で俺を見た咲守は頷いた。


「咲守はどうせ今日はもう帰らないんだろ?俺と仮眠室行くぞ」


「うーん。起きたらお腹空いた。歩人も亨くんもお腹空いてるでしょう?ねぇねぇご飯にしようよ」


咲守はニコニコと笑って言った。

言われてみれば確かに空腹な気がする。

俺は兄貴との晩飯の途中で抜けていたので中途半端な食事しかとってない。

意識すると急激に空腹感を感じ始めた。


「宝来軒のラーメンでも出前する?あそこは夜中の営業だから、配達してくれるじゃん?そうしよう。僕はチャーハンがいい。歩人はチャーシュー麺と半チャーハンでしょ?亨くんはさらに餃子も付けよう。そうしましょう」


咲守は勝手に俺達の注文も決めて電話してしまった。

でも、俺は確かにチャーシュー麺と半チャーハンが食べたかった。

亨も特に何も言わないということはオーダー内容に文句はないということだろう。


俺達が欠伸しながらオフィスに戻ると寺岡課長が待っていた。


「おー、戻って来たか。ご苦労さん。お?何だ宇月も一緒か!ようこそ特殊犯罪課へ」


細身の体に何だか似合わない濃い顔。

銭形警部が軽薄になったようなイメージの上司は亨の肩をバシバシと叩いて歓迎した。


「お疲れ様です。何で一旦引き返すことになったんですか?」


「まぁまぁ、お前たち座れ」


俺達はとりあえず席に着き、不満気な顔で寺岡課長を見た。

寺岡課長は口をへの字に曲げて、顎の下を人差し指で掻いた。


「はっきりとした理由は俺も聞いてない。ただ、どうやらあそこはお国絡みの研究所らしい。色々とつつかれると拙い事があるんだろうな」


「納得いきません」


「そんなこたぁ分かってる。今俺がとんでもなく姑息な根回ししてるから待っとけ」


寺岡課長はいつものふざけた口調で俺たちを宥めた。


「昼には捜査開始できると思うから、今は英気を養え。で?本日の収穫は?」


反抗しても仕方がないので、出前を待っている間に報告を行った。

寺岡課長は他の研究所設立が頓挫している件で眉根を寄せて何じゃそりゃと言った。


「そんなあからさまな濁し方。十中八九その件をつつかれたくなかったんだろうな」


「ですね。何か隠されています」


「じゃあ明日はその笠野達也と他の研究所についての捜査だな」


「はい」


報告が終わっても立ち上がらない俺達を見て寺岡課長が言った。


「お前達、帰らないのか?」


「あ、宝来軒待ちです。今日はこのまま泊まります」


「かーっ!こんな時間にラーメンいけちゃうなんて、お前ら若いねぇ。オジサンは帰るぞ。じゃ、お疲れ」


「お疲れ様です」


寺岡課長はくたびれたトレンチコートを肩に引掛け、前傾姿勢の独特な歩き方で出て行った。

亨は大きな欠伸をひとつして、PCに向かって調べ物を始めた。

多分、研究所についての情報を集めているんだろう。

その様子を咲守が見ている。


「亨くん、勤勉ね」


「あ?気になるだろ」


「そうね~。でも今はお腹が空いている」


「ほんとお前、刑事らしからぬやつだな」


咲守はえへへ~と言ってくるりと椅子を回した。


「何かありそう?」


俺はコーヒーメーカーに作り置きされた、ぬるいコーヒーをマグカップに注いで亨と咲守に差し出し、PC画面を覗いた。


「正規なものは何もないな。でも、このご時世はSNSで情報募れば虚実混交でネタはくる」


「おぉ・・・。めちゃくちゃあるじゃん」


PCの画面には書き込みがずらっと並んでいた。

書き込まれた情報はあからさまに胡散臭いデマもあれば、単純に資金不足だったというものもある。

有名じゃない研究所だと思っていたが、立地の陰気臭さのせいでオカルト好きの中では有名なところだったようだ。


「これ・・・。ちょっと気になるな」


亨が指さしたのは人を食べる大女の書き込み。

あの研究所地下で囲われている異常者が逃げ出し、人を襲っては食べているという荒唐無稽な内容だった。

他の研究所は表向きは頓挫しているように見せかけているが、実は完成していて、全国に複数拠点あるとか。そして同じく表に出せない異常者を囲うために作られていると書いてある。


「研究所うんぬんじゃなくて、パーツしか出てこない理由」


「食べちゃったってこと?まぁ、人肉を食べる殺人鬼ってのはいるけどさぁ」


咲守は椅子をクルクルと回転させながら言った。


「やめろよ飯前にー・・・」


「人肉は不味くはないっていう話もあるらしいな」


食うや食わずで生きる事に必死な世界ならまだしも、食べ物の廃棄量が問題なるような時代に人肉を食うといったら、完全に異常者だろう。

本当に研究所地下があって収容されているというのであれば、絶対に出さないでほしいものだ。


なんとも荒唐無稽な内容ばかりのコメントを読み漁っているうちに出前が届いた。

空腹に染みるラーメンの匂いが部屋中に充満し涎が出る。

俺達は大層腹が減っていたようで、黙々と食べ進め、あっという間に完食した。


「さっきのさー・・・人肉を食べてるっていうのはないかなーと思うけど、今のところ右腕、左腕、右脚、左脚が出てるでしょー。だから次はさー」


「あぁ。次は・・・胴体かな」


「人ひとりをパーツで作りあげていってんのか?」


「さぁ?」


「僕はねぇ、パーツに意味はないような気がするんだよね。やっぱり装飾の方が気になる」


「景色に同化させてるやつか」


「犯人に直結するヒントだと思うんだよね」


「ずっと言ってるなそれ。どんなヒント?」


「分からない。でもー・・・そんな気がしてならないんだなぁ・・・」


お腹を満たした咲守はデスクに突っ伏して眠りそうになっている。

俺は咲守を揺すって起こし、寝る支度をさせて特殊犯罪課の仮眠室に寝かせた。

咲守は仮眠室の硬いベッドは嫌いで、柔らかめなソファーで眠る。

丸まった小動物のような寝姿は可愛かったりする。


「亨は帰る?」


「あぁ。俺、仮眠室のベッド嫌いなんだ。硬いだろ。じゃあな」


亨は片手を挙げた。


「お疲れ」


亨を見送ったあと俺はデスクに座り1人で考えていた。

景色に擬態する意味を。

確かに塗装は雑で隠したいという意図は見えない。

遺棄されたパーツは置かれているというよりは放り投げてそのままといった感じ。

やはり咲守の言うように、パーツ自体に大きな意味はないのかもしれない。

じゃあ、雑な塗装に何の意味があるのか。

考えど考えど答えは見えず、思考がゆっくりと途切れていった俺はいつの間にか眠ってしまっていた。

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