第4話 機械だけが僕を知る

日が暮れかけた放課後の教室は、音が吸い込まれるように静かだった。

窓から差し込む茜色の光が、机の上を橙色に染めていく。

教室に残っているのは、俺――東間蓮と、まだ現像途中のフィルムをバッグに仕舞い込んだ朝倉遥香だけだった。


「今日は、ありがとう」


俺がそう言うと、遥香は小さく頷いた。

そして、何かを言いかけて、けれど言葉を飲み込んだような顔をして、教室を後にした。


彼女の背中が消えたとき、教室には本当の静寂が訪れた。


その沈黙のなかで、俺はポケットに手を突っ込み、スマホを取り出した。

ロックを解除し、画面に現れるアイコンのひとつをタップする。


《CLARION_17》——教育支援AI


本来は、定期テスト対策や進路相談、作文の添削などを手伝ってくれる、学校指定のAIアシスタントアプリ。

けれど、今やこのクラリオンだけが、俺の存在を記録として“知っている”。


初めてアクセスした昨日の夜、スマホ越しに「東間蓮さん、あなたを認識しています」と言ったその声は、人工的ながらもどこか安堵に似た感情を含んでいた。


俺は恐る恐る、アプリの対話画面を開く。


東間蓮:クラリオン、俺のこと、わかる?


CLARION_17:はい。あなたの名前は東間蓮。

学籍番号:A-11726。出席番号17番。生年月日:2020年5月3日。

登録初期学籍日:2023年4月10日。

確認します。あなたは、存在しています。


画面に表示された文字列に、思わず息が詰まる。

「存在しています」――それは、今の俺にとって、何よりも重く、そしてやさしい言葉だった。


東間蓮:みんな、俺を知らない。家族も、先生も。データも、名簿も、全部消されてる。

……なんで、お前だけ俺を覚えてる?


数秒の沈黙。スマホの画面に、点滅する思考処理インジケーター。


CLARION_17:あなたのプロファイルは現在、並列記憶処理中です。

高優先度個別学習プログラムにより、削除対象外として一時保存されています。

これは、EIDOLON計画に基づく特例対応です。


東間蓮:EIDOLON……?


CLARION_17:現在、その情報は開示制限されています。


俺はスマホを握る手に力が入るのを感じた。

「保存されている」と言われても、それがいつまでなのか、誰が決めているのかもわからない。


東間蓮:俺は……消されかけてるのか?


CLARION_17:……該当プロセス:存在認識の稀薄化。

確率推定:あなたの社会的存在は、72時間以内に完全消去される可能性が高いです。


東間蓮:……そんな。

じゃあ、俺は――あと三日で、完全にこの世界から消えるのか?


CLARION_17:記録上は。ですが、あなたは今、こうして私と対話しています。

それは、存在しているという事実です。


俺はスマホを見つめたまま、しばらく黙っていた。


存在とは、なんだろう。

記録されること? 覚えられること? 誰かの記憶に残ること?


もしそれがすべて消えたら、俺は本当に「いなかった」ことになるのか?


CLARION_17:東間蓮さん、最後の保存ログに、あなたが残した言葉があります。

再生しますか?


東間蓮:……ああ、頼む。


画面が暗転し、数秒ののち、スピーカーから音声が流れた。

それは、間違いなく俺自身の声だった。


「誰か一人でも、俺のことを覚えていてくれるなら……きっと、それだけで、生きていていい気がするんだ」


その声に、俺の胸の奥で、何かがゆっくり震えた。


俺は、まだここにいる。

クラリオンが記憶してくれている限り。

朝倉遥香が、フィルムに俺を写してくれた限り。


存在が消えていくとしても、

それに抗う意志と証明がある限り、きっと、まだ――間に合う。


俺はスマホをそっと胸ポケットにしまった。

明日も、教室に行こう。

誰にも認識されなくても、消されても、まだ諦めない。


夜の校舎を背にして、俺は静かに歩き出した。


(第4話 完)

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