第2話 中

 「どう言う事ですの⁉ なぜ貴女が婚約者に選ばれるのです‼ どうして貴女が‼」

「確かに……幼い頃は優秀だったのかもしれませんが、今のあなたが王の花嫁に相応しいとは考えられません。私達は認めません……。エンフェトリーテ様が王子と婚約するだなんて……そんな」

「……もう。貴女達は本当に仕方のない人達なのだから……」

 エンフェトリーテ様の可愛いお口からため息が漏れていらっしゃいます。

「何をおっしゃっておりますの‼ どのような卑怯な手を使ったの⁉ テストの点数だって私の方が高かった‼ 順位だって私の方が‼」

「……アリシア様。抑えて下さいませ。腕を掴む等淑女のそれではございません」

 あなたがそれを語るの等と、エンフェトリーテ様からそのような視線を受けますが、私とアリシア様では条件が違います。

「改めて申し上げます。エンフェトリーテ様の腕を掴むのはおやめ下さいアリシア様」

「ミランダ‼ 貴女もおかしいと思わないの⁉ そういえば貴女達二人は最近随分と仲が良いようですわね‼ まったく‼」

「……その我が問題なのですよ。アリシア様」

 エンフェトリーテ様は困ったようにアリシア様へとそう告げました。

 王子の婚約者候補第一位に選ばれましたのはエンフェトリーテ様でした。

 当然と申しませば当然です。

 しかしアリシア様や、他の公爵令嬢の方々はそれをおかしいと申します。


 確かにエンフェトリーテ様は学園に通い始めてから身を潜めるように物静かにございました。総合テストにおかれましても順位は9番目にございます。

 この学園の総合テストの点数に上限はございません。

 一教科毎時間内に解かれました全ての問題の点数が加算されてゆきます。

 平均点は120点ぐらいのようですね。

 私の点数も数学を除けば全教科200点前後にございます。

 王子の平均点は200点前後。アリシア様の平均点は300点前後。

 エンフェトリーテ様の平均点は180点前後にございます。

 他の公爵家の方々もおおよそ200~300点前後にございました。

「……アリシア様。貴女は今回目立ち過ぎです」

 エンフェトリーテ様が重々しくお口をお開きになります。

「なんですって⁉」

「他の方々も……。貴女達は目立ち過ぎです。この国の王は誰ですか?」

「それがなんだと言うのです‼」

「貴女は……。仕方のない人。なぜその我の強さを隠そうとなさらないの? それが問題だとなぜわからないの? 王を支える立場の妃がそのように荒々しくてどうします? 王を立てない王妃がおりますの? 王より言葉の強い王妃がおりましたなら、王は周りの方々からどのように思われるでしょう?」

「それは……でも」

「でもではございません。貴女達は自分の事ばかりで全然王子様を立てようとしないではないですか? テストに関してもそうです。どうして手を抜かないのです? 王より優秀な王妃等王家にはいらないのです。血筋ではないのですから」

「それは……手を抜くのは失礼かと」

「私達とこの学園の方々では立場が違います。私達が優秀なのは当たり前です。それを隠そうともせずひけらかし、加えてなんですか? 派閥等を作り争い合う。確かに派閥は悪いものではございませんわ。競い合うのは己を高めるために良いでしょう。ですが貴女達はそれをさも自分の力のように誇示しました。それでどうして選ばれると思うのです」

「……貴女は最初から基準を知っていたのですね? エンフェトリーテ」

 不敬です。アリシア様。

「私達は対等です。アリシア様。敬称を付けるのは最低限の礼儀です。そのように我が強いから王子様に避けられていると申しますのに」

「そんな事はありません‼ 王子は私にこの髪飾りを買って下さいました‼ それ以外にも沢山あります‼」

「……私達は何のために着飾るのですか? 綺麗な物を身につけて己を奮い立たせるためですか? 周りに吹聴し優越感を得るためですか? それも良いでしょう。ですが、私達が着飾るのは愛する人に可愛いと、美しいと思われたいからでしょう? 散財がお好きだと判断されればイメージはマイナスです。心まで財宝好きの竜となられては困ります」

「そんな‼ だって‼」

「王家は私達の一挙手一投足をご覧になられておりますのよ? 見た目だけに惑わされぬようにとあれだけロマンス小説のお話をしましたのに……。もう一度読み聞かせましょうか? 物語のヒロインは皆どうしておりますの?」

「ロマンス小説など……。貴女は文句ばっかり言っていたではありませんか‼」

「私の意図を察して下さいませ。物事は表面上だけではございませんのよ」

「とにかく……とにかく私は認めませんから‼」

「今からでも遅くはありませんので、慎みを持たれますようにお願い致します」

「貴女に言われるまでもありません‼」

 アリシア様には困ったものです。

「貴女達も、いいですね? 大切なのはお心です。何をテストの点が良いから等と得意げになっておられるのですか。派閥が持ち上げて下さるのだから自分は偉い等と勘違いはしない事です。わかりましたね?」

「私達は……エンフェトリーテ様を……」

「……はぁ。そうね。言い過ぎましたわ。わかっておりますの。ありがとう。貴女達」

「……いえ。私達にそのような顔をなさらないで下さい。エンフェトリーテ様」

 エンフェトリーテ様と視線が合い、エンフェトリーテ様は視線をフイッと逸らしました。

 私は犬歯をむき出さぬように口元を隠します。

 私から目を逸らさないで頂きたい。

 傍に参りましたエンフェトリーテ様を睨みますと。

「あなたはやる気がなさすぎです。威嚇するのはおやめなさい」

 ポカリと頭を軽く叩かれて、叩かれたのに、私はそれすら愛おしく感じておりました。

「だって……」

「だってではありません」

「……仕方ないんだもん」

「だもんではありません。まったくあなたときたら……。でも数学のスコア1260点だけは私でも到達は困難ですわ。さすがです」

 頭を撫でられて鼻をスンスンとしてしまいます。

 あなた以外に好かれても意味がありませんから。

 その言葉を飲み込みます。

「現実は容赦がございません。私達も、このロマンス小説のヒロインのように図太く、手折られても手折られても立ち上がらなければなりません」

「……エンフェトリーテ様。物語は物語です。現実と混同してはいけません」

「何をおっしゃっているのです‼ このヒロインをご覧なさい‼」

「……わかりましたから」

 変な所で頑固なのですから。


 エンフェトリーテ様が本気を出せば、全教科800点と大幅にスコアを更新してしまいます。これにはさすがのアリシア様も何も申せませんでした。

 そのスコアをご覧になられました生徒達は皆唖然としてしまいます。

 私達のために泥をお被りになられたのです。

 エンフェトリーテ様はつまらなそうにお一人でストローを咥え、お庭にてシャボン玉を飛ばしておりました。お強すぎるがゆえに彼女は孤高なのです。

 傍に参りましょうと――王子がエンフェトリーテ様のお傍へと……。

 お二人が楽しそうに談笑しておられます。

 エンフェトリーテ様の差し出したストローを恥ずかしそうにそのお口へと咥え、王子は不器用にシャボン玉を飛ばしておられました。

 止まった足と僅かに漏れ聞こえる談笑の痕。

 私の心中が、割れたシャボン玉のようだとご存じでは無いのでしょうね。

 今すぐにでもそのストローを奪い取り地面に叩きつけて差し上げたい衝動を必死に堪えておりました。


 寮の部屋へと戻ろうとするエンフェトリーテ様を待ち伏せ――廊下の鏡へと映る自らの顔を眺めて笑みすら浮かんでしまいます。

 参りましたエンフェトリーテ様の腕を掴み力を込めて握ります。エンフェトリーテ様は私をご覧になり、顔を斜めへと傾けて不遜な笑みを浮かべておられました。

「あら怖いお顔」

 わざと力を込めておりますのに……。

「……楽しっつ……随分帰りが遅いのですね」

「……お部屋に来る?」

「あなたはまたそうやって」

「来ないの?」

 結局私は彼女の胸の内――子供のように甘えてしまう。

 膝の上に乗せた頭を撫でられて、大好きな数学すら忘れてしまう。手を回して強く埋もれようと、強く強く埋もれようと。

「噂になってしまうから……これからはあんまりお部屋へ来てはダメよ」

「あなたが悪いのです。あなたが……それに、噂なんて……」

「いい子ね」


 世界は数式では計り切れません。

 私にとり幸いと申しましょうか、王子様はエンフェトリーテ様をお選びにはなりませんでした。

 ある日、ぽっと出て参りました女の子へと夢中になります。

 侯爵家の娘でありながら、ご落胤のために市勢で暮らしていた娘です。

 太陽が如き天真爛漫さなのだとお噂を耳には致しました。王子も夢中のご様子です。

 おまけに希有な能力、癒しの力をお持ちです。簡単な怪我や優れぬ気分であるならば、すぐに癒してしまいます。

 彼女の大頭は六大公爵に暗い影を落としました。

「良いのですか?」

「んー?」

 そのおかげであなたのお膝は私のもの。

「王子です」

「構わないのではなくて?」

「そうでしょうか」

「世の中には色々な女性がいらっしゃるじゃない? 王子は本をあまりお読みになられないわ。それに実際の経験として学んだ方がいいと思うの。あの手の女性は特に……」

「あの手の女性ですか……」

「誰にでも優しくて、気が利いて、手に入れたいと思うような女性に、男性はころりとやられるのよ。うふふっ。あなたもその手の男性にころりとやられるのかしら?」

「どのような男性ですか?」

「背が高くて、細身で、それなのに筋肉があって、良い形の鎖骨がチラリと覗く。そのような美男子に、ころりとやられるのではなくて?」

「身分は王子ですか?」

「あら不敬ね」

「不敬です……」

 顔を持ち上げて唇をおねだり致します。求めて下さっても良いのに、私が触れるまで寄せても頂けない。

「困った子」

「あなたが悪いのです」


 あれだけエンフェトリーテ様には噛みついていたアリシア様も、王子様が好んだ女性には好意的にございました。

 私も数度お会いしてお話をさせて頂きましたけれど、私はエンフェトリーテ様がこの方を気に入るのではないかと気が気ではありませんでした。

 侯爵家は王家に嫁ぐのに十分な家柄にございます。

 しかしいくら侯爵家と語れども、母親が平民である事に変わりはございません。

 アリシア様は彼女が王妃に選ばれる事はないと、そうタカを括っているのでございます。

 エンフェトリーテ様には勝てなくともこの女性には勝てる。それがアリシア様が彼女を好む理由です。

 しかし私はそうは考えません。十二分に王妃になる資格があると存じます。そうなって欲しいと申しますのは……願望なのでしょうね。

 とても苦しい。とても苦しいのです。その苦しみが炎となり心を焼いて参ります。

「いい子だったわね。うふふっ」

 私の前でよくもそのような台詞を……。

「あら怖い顔」

 眉間を突かれて頬を膨らませてしまいます。このような子供の仕草をしたいわけではございませんのに、この方の前では子供となってしまいます。

「まるで大きな猫のよう」

「そうしたらあなたの膝は私の独占ですね」

「……しょうのない子」


 それから幾ばくかの季節が流れ、事件はおきました。

 社交パーティーにて王子が侯爵令嬢を婚約者にすると述べたのです。

 エンフェトリーテ様との婚約は親が決めたものと、彼女を選んだのは自分だと申しました。

 それをお聞きになられたエンフェトリーテ様は、興味なさそうにストローを咥え、シャボン玉を作ります。この王家の社交場にて厚顔無恥にもシャボン玉を飛ばせるのはエンフェトリーテ様だけです。

 この発表には他の公爵家も黙ってはおられませんでした。

 そうなってしまえば、私達のこれまでの人生は全て無駄となってしまいます。それに付け加え、侯爵令嬢は私達のような訓練を受けてはございません。

 いざ王子が狙われた時、王子の盾となり死ぬ覚悟がおありなのでございましょうかとアリシア様は憤慨しておられました。

 私は浅はかにも心から喜んでおりました。


 エンフェトリーテ様につきまして、周りの者はある事無い事を吹聴致します。王子はエンフェトリーテ様に謝りも致しませんでした。自らの発言がどのような意味を持っているのかを考えておられなかったのでしょう。

 このような場で淑女を辱めるなど、紳士のする事ではございません。

 エンフェトリーテ様はバルコニーへと出られて、シャボン玉を夜空へと飛ばしておられました。

「……傷つきましたか?」

 そうおっしゃる私に、エンフェトリーテ様の口元が嬉しそうに歪みました。

「そうなの。傷心で胸が痛いわ」

「怒りますよ?」

「うふふっあなたって本当に……あなたは何時も私の傍にいるのね」

「嫌ですか?」

「別に? 構いませんけれど?」

 咥えたストローの先から大きなシャボン玉が飛び立ちます。

「もっとロマンス小説みたいにこき下ろして来るかと思っていたのだけれど、そんなことはなかったわね」

「物語は物語です」

「エンフェトリーテ」

 気安く呼ぶな――刹那、コメカミに力が入ります。今気安くエンフェトリーテ様の名前をお呼びになったのは誰なのかしら。怒りが沸々沸き上がります。様を付けなさい。

「あら? エヴァンスドュノ様」

「婚約破棄……残念だね」

「ふふふっ。あなたには……そう見えるのね」

「元気そうで良かったよ。こんばんは。ミランダちゃん」

「エンフェトリーテ様。どうなさいますか?」

「別に? 構いませんわよ? 私はただの第一候補ですわ。うふふっ。確かに? 私の? イメージへのダメージは大きいかもしれませんわね? うふふっ。もう普通の婚姻は難しいかも……きっとぉ、何処かのぉ、後妻とかぁ、後添いとかぁ、年上の……うふふっ。――されちゃうのですわね。うふふっ」

 口の形だけで四文字を生成されます。

(たねづけ……。喧嘩売っておりますのね。良い度胸です。……私の事を舐めすぎでは? この女のせいで何時もキレそうです)

「それなら俺が「良いのですか?」貰って……」

「愛し合う二人が結ばれるのが一番良いと思いますの。そうではなくて? うふふっ。シャボン玉。作ります?」

「もしかしなくてもお邪魔だったかな?」

「エヴァンス様はもう少し自重なさった方がよろしいかと存じますわ。エミリア様はお元気? ミニエス様は? 誰彼構わず手を出すのは勝手だけれど……泣く方がいるのも忘れてはいけないと思いましてよ?」

「そんな事言って……嫉妬してるの?」

 エンフェトリーテ様の手を取ろうとする男の腕を掴みます。

「いっつ」

「不敬です」

「コイツ‼ 頭可笑しいぞ‼ 図書館でも俺を無視したよな⁉」

「あなたの頭も十二分におかしいと思いますけれど……。ミランダ様? おやめになってあげて下さい。この方、子爵を名乗っておりますが、平民の方なのですから……」

 汚らしい物に触れてしまいました。手を拭いたくて仕方がございません。手袋を取り放ります。刺繍が気に入っておりましたのに……。

「……何をおっしゃっているのか」

「侯爵家から派遣された方ですわよね? 身分まで改ざんなさるなんて。あなた……。こうご覧になりまして、今まで見逃しておりましたのよ? 奥様とご子息様がおりますわよね? そろそろお帰りになられた方がよろしいかと存じますわ」

「……何を言っているのだか」

「ご存じでして? 最近ご懐妊なさったみたいよ? エイミー様」

「エイミー……誰の事だかわかりかねます。ミランダ。今日の事は王子に告発するから首を洗って待っていろ」

「うふふっ。ごめんなさいね? この方ってば、数学にしか興味がないの」

 あなたにも興味はあります。


 男が去った後――エンフェトリーテ様はまたストローを咥えシャボン玉を外へと飛ばしておりました。

 魔力で出来たシャボン玉です。ふわふわと浮かび、闇夜でも光の元であるかのようにご覧になれます。

「ミランダ様ったら……。あの方、とても女性に人気がありましてよ? 褐色の肌に柔らかなウェーブの黒髪。鷹のようにスッと栄える眼。柔らかい口元はご覧になりまして? スッと背も高く胸元から覗く鎖骨がとてもそそるのですって」

「……怒りますよ?」

「すぐ怒るのだから。ほらっ。眉間に皺を寄せてはいけませんわ」

 そう笑顔を向けるエンフェトリーテ様は夜の中でも良く栄えてございました。質素な水色のドレスです。宝石類は一切ございません。しかしながら施された刺繍はどれも複雑で数年を掛けて仕上げる一点物にございます。私が仕上げましたカラーナ家伝統の織模様にございます。

「あのような殿方には興味がおありでないのかしら?」

 またそうやって私を煽る。

「妻子持ちなのでしょう? それに学園の生徒にも複数手を出されておりますね。先ほど申し上げられました女性達は皆休学されておりますが……ご懐妊なさっているためでしょう」

「知っていたのね。侯爵家も良くやるものだわ。娘を王妃にするためなら血を穢すことすら躊躇わない」

「貴族も平民も流れる血は赤ですよ」

「……そう言うつもりで言ったわけではないのだけれど。まさか詐欺師を雇うとはね」

「七人ですか」

「正確には九人よ。先生の中にも二人含まれておりますのよ? でなければ教育をろくに受けていない平民の子が、やすやすと学園には入り込めませんの」

「良いのですか?」

「良いも悪いもございません。私達と……彼ら。人間としての違いは一切ございませんもの。私達にも良い薬です。悪い意味でですが」

「エンフェトリーテ‼」

「これは王子様……」

 いくらエンフェトリーテ様と申しましても王子の前では膝を付かねばならぬ立場です。社交の場ですので、膝を付く事は致しませんけれど。

「ここにいたのですね。エンフェトリーテ」

「えぇ、王子様」

「あぁ、実はお願いがあってね。こちらのアデリー嬢は平民の出である事は知っているよね? 実は彼女の教養面を助けて欲しいんだ」

 不躾ですね。まずは謝罪が先でしょうに。

「私にで、ございましょうか?」

「あぁ。君達公爵令嬢は幼い頃から王妃になるための特殊な訓練を積むと聞いている。だからそれをアデリーにも教えてあげて欲しい」

 そう告げるとエンフェトリーテ様は、口元をお隠しになり、笑い声を抑えておりました。

「エンフェトリーテ。笑いごとではないのだが」

「王子の前なのに不敬です‼」

 アデリー嬢が王子の前へと進み出ます。

「……失礼。王子様。しかしながらアデリー様がそのような教育を受ける必要はございません」

「それは……それは私が王妃になれないって言っているのですか?」

「エンフェトリーテ。彼女の母親は確かに平民だ。だが私は平民だ貴族だ等と差別するつもりは無いよ」

「王子様、それにアデリー様。どうか勘違いなさりませんように。そもそも王妃教育等とおっしゃるものは存在致しません。しかし……そうですね。私も平民であれば、アデリー様のように自由な恋愛を謳歌したのかもしれない等と……いけませんね。そうしたら私もすでに……母親となっていたかもしれない等と……妄想してしまったのですわ」

 その言葉に心の中で笑みを浮かべてしまいます。平民になられたエンフェトリーテ様が私以外の方と楽しそうに談笑する妄想が過ります。幼馴染のあの子でしょうか。それとも……。なんて嫌な方なのでしょう。

 ゆらゆらと揺らめく炎が心を焦がすのです。

「平民出身だからって馬鹿にしないで‼」

「馬鹿になどしておりませんわ。アデリー侯爵令嬢様」

「そうやって……あなた達は私達平民を馬鹿にして搾取するんです‼」

「こんな事を申しますのも変なお話なのですが、皆さん何時も勘違いしていらっしゃるの。ここは王家の土地、そして公爵領は公爵家の土地です。当たり前の話ですが……。私達の所有する土地で暮らすのですから、その分の家賃は頂かなくては……ね? それが税金です。血税で贅沢な暮らしを等と平民の方はおっしゃいますが、これは会社と同じです。正当な報酬なのですから、何に使おうが本来は私達の勝手なのですの。さらに申し上げさせて頂きますが、平民から搾取なさっているのは王家や公家ではなく、貴族や平民の方々です。又貸しなどで大金をせしめておりますのよ? ひどいと思わなくて? うふふっ。中抜きの量も相当でしてよ? むしろ王家や公家は正当な報酬しか受け取っておりませんの。一人一人からは微々たる量ですわ」

「誤魔化されません‼ 私のお母さんは貧乏ながらに必死に私を育てて下さいました。お父さまは母が平民だと言う理由だけで婚姻を認められなかったとおっしゃっていました‼ 貴方達が婚姻を認めなかったからです‼ 同じ人間なのに‼ 貴方達は何時もそう‼」

「だそうですわ。王子様」

「そうだね。それはぼくの落ち度だ」

「それは違います。王子。貴方は私の気持ちに寄り添ってくれました。これから一緒にこの国をより良くできるはずです……」

「アデリー……」

「そう言えばご存じ? あなたのお父様は今平民の女性を手籠めにしてご懐妊までさせたそうですけれど、大丈夫でして? 正妻の方はまた……うふふっ。ごめんなさいね」

「な‼ 侮辱です‼」

「エンフェトリーテ‼ なんてことを‼ 君には失望した……。とにかく俺の伴侶はアデリーだ‼ 君達は幼い頃から集められて教育されているのだろう? それを教えればいい‼ これは王家の命令だ」

「一般教養に音楽と美術を嗜む程度ですわ王子様。それをアデリー様が学ぶ必要はございません。王妃になりますのに教育は必要ございません。王妃にはお世継ぎを残すと言う大切なお仕事がございます。もうすでに果たされたようにございますが……。王妃に必要なのは笑顔でいる事です。あとは周りの者に任せれば良いではありませんか? 外交なる公務はございますが王妃が直接外交をする必要はございません。その場でニコニコと笑みを浮かべるのが仕事です。外交をするのは外交官なのですから。書類仕事等なさる必要はないのです。文官がいらっしゃるのですか――」

「……そんなのだから男性に舐められるのです。古臭い考え。私は男性に甘えて生きようとは考えません‼ 女性も自立する時代です‼」

「ら――それは……お好きになさればよろしいのではなくて?」

「貴女はどうお考えなのですか⁉ エンフェトリーテ‼」

 不敬です。敬称を付けずに相手を呼ぶべきではございません。どのような相手であれ、例え身分に差があろうとも私達は礼を尽くさなければなりません。

「私が王妃となればきっと‼ この国を改革して見せます‼」

「私の考えですか……。うふふっ」

「何を笑っているのです‼」

「ごめんなさい。馬鹿にしているわけではございませんのよ? 素晴らしい考えだと存じますわ。ただ……私達は今、列車に乗っているだけと言う事実から目を背けるべきではございません。皆さんおっしゃいますわよね? いずれは自分で敷いたレールの上を走りたい等と……。ですがそのレールの形はすでに存在している形と言う事実から目を背けてはいけませんのよ? 人としての最低限の礼儀は持たなくては……ね?」

「なにをおっしゃりたいのかわかりません‼」

「エンフェトリーテ。言葉遊びなど不要です」

「年老いた者に礼節を尽くすのは未来の自分を大切にするのと同義です。年若い者に優しくするのは過去の自分を慈しむのと同義です。ご自分を通したいのであれば、まずは周りを大切になさるのが筋ではございませんか?」

 まずはご自身で生計をお建てになられてからでなければ、アデリー様のお言葉に説得力がございません。

 アシリア様を視界の隅へと捉えます。何処にいらっしゃっても目立つお方です。

 青の質素なドレスのエンフェトリーテ様。緑の質素なドレスの私に比べましてアデリー様とアリシア様のドレスは宝石などで彩られておりました。

「何が婚約者は自分で決めるですか王子‼ 私はそのような暴挙は許しません‼ 六大公爵家の一つとして正式に王室へと抗議させて頂きます‼」

 アリシア様が参られまして、いよいよ場は混沌と致します。アリシア様にお酒を飲ませて窘めるのに随分と時間を要し、その間に王子と侯爵令嬢はその場を去られました。


 「あらしはね‼ どうしておこらないのかってきいてんのよ‼ エンフェトリーテ‼」

「あらあら。困ったお方」

「酔えばお可愛らしいドラゴンですね」

「そうね。うふふっ」

(私以外を可愛い等と……キレそう)

「すぐその顔をする」

「あらしたちはらんのために‼ らんのために競い合い学んだのよ‼ あらしたちのろくれんはらんだったの‼ あのクソ王子‼」

「アリシア様。さすがにそのような言葉を使ってはいけません。社交の場です」

「らって‼」

「ところでアリシア様。エヴァンスドュノ様はご存じ?」

「あーあのろくでなしね。顔だけはいいわよね。顔だけは……体も結構良さそうだけれど。まぁ私が殴ったらとびそうよね」

 顔を背けて噴き出すのを我慢しているエンフェトリーテ様です。

「貴女に殴られれば大抵の方は遠くへ飛びます」

「うるさいわねぇ……。まぁ被害にあったご令嬢は気の毒だけれど、自業自得よ。婚約者がいらっしゃるのにあんなのに引っかかるのが悪いのよ……。本当の被害者はその婚約者の殿方の方達ですわ。顔が良ければ何でもいいのかしらね」

「私達だって例外ではございません。どの方が何を秘めてらっしゃるのか、普通には判断できませんもの。エヴァンス様も気の毒な方です。最愛の妻は今、侯爵の腕の中なのですから」

 ため息ばかりが漏れだします。全ての者がそうではございませんのに、嫌な物事ばかりが目に付くのです。

「……今回の騒動で身持ちを崩した方は多いです。男性の方は一夜限りの遊びだと断じれば良いですが、女性はそうは参りません」

 残念ながら今回の騒動は相当な深さで学園の生徒達へと傷跡を残しております。裏切った者。裏切られた者。関わらなかった者。関わった者。それぞれに思慮が必要となったでしょう。

 そしてまだ終わってはいないのです。

「ミランダ様。仕方がございませんわ。学園生活が退屈で窮屈で刺激の無い日々だと感じる方々もいらっしゃるのです。与えられる事に慣れ過ぎてもいけません。退屈は幸せと同義なのですわ」

 婚約者のいらっしゃる身で例え友達であろうとも異性と二人きりになってはいけません。それは不信を招くからです。自らは潔白ですので悪くないと考える方もいらっしゃるのは理解できます。しかしそうではないのです。誰を優先するべきなのかと申します話にございます。自身の婚約者は他の誰よりも優先するべき存在で、そうしなければならないと私はそう考えております。

 疑念が生まれぬように回避するのは相手を思いやり慈しむ行為です。

 現に私は歯噛みしながらエンフェトリーテ様との関係を我慢しております。精々膝の上で甘える程度です。

 相手が傷つき、不信を招く可能性を有していらっしゃるのなら、例え友達であろうとも距離を取り、二人きりになるべきではないのです。

「はっ……嫌な世の中ね。誠意の欠片もないのかしら。しらけちゃったわね。かえりゅわ」

「お気をつけてお帰りになられて下さいね」

「私‼ エンフェトリーテ様の‼ そう言うところが‼ 大嫌いですの‼ ふんっ。子供扱いして‼」

 それは大好きと同義です。

 千鳥足で参りますアリシア様を視線にて見送ります。

「あとミランダ様‼ ちょっとは血の気を抑えたらどうですの‼ まるで幻獣のトラのようですわ‼ 私が殴っても飛ばないのは貴女ぐらいですわ‼」

 この方は真っすぐな方でいらっしゃいます。私も、貴女が嫌いではございません。

 視線を交わし小さくお手を振ります。


 視野の中で大きくなりますエンフェトリーテ様。割合が大きくなるほどに心音が一つ上昇致します。たわめくシャボン玉――エヴァンスドュノ。

 あなたがエヴァンス様に近づいておられましたら、私はエヴァンス様を消しておりましたよ。

「あなたに殴られても遠くへ飛ぶのかしら? このシャボン玉のように……」

「私にアリシア様のほど怪力はございません。王子様は変わってしまいましたね」

「王家と面談し会話できる方々には制限がございますから……。アデリー様は父親から色々吹き込まれてしまったのでしょうね。そのアデリー様を愛するあまり感化されてしまったのですわ。仕方がありません」

「仕方がありませんで済む問題ではございません……。私は嬉しいですが」

「うふふっ。冷めてしまいましたね。私達もそろそろ寮へと帰りましょう。ここは寒いわ……」

「そうですね」

「風邪を引かぬように温かくして眠るのよ?」

「あなたはいつもそうやって……」

「……いい子ね」

 耳元でそう呟くエンフェトリーテ様が恨めしく、髪や頬をその指で撫でられれば恨めしく――今すぐにでも私のものにしてしまいたい。本気です。私は本気であなたを愛しています等と歯噛み、この人生を賭けても構わない等と……。私も身持ちを崩した学生達と何も変わらない。

 血が沸騰するように脳髄を駆け巡るのが自分でも良く理解でき、それを止める事ができないのです。未熟なのは理解しています。それでも……。

 それでもこの熱であなたを蕩けさせたい。

「……今日は帰しません。私の熱を受け取って下さい」

「困った人」

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