第3話 ヴォルガン小隊の進軍
セリンは静かに息を吐き、ヴォルガン隊長の背中を追った。
小隊はアストラ川沿いを東に進んでいた。
地面はひび割れ、乾ききっている。
戦火の名残が、ところどころに黒い焼け跡を残していた。
風が吹くたび、葉を失った木々が軋み
ほこりっぽい大地の匂いと、湿った川の匂いが入り混じる。
やがて、ヴェリオンの光が空を照らし始めた頃──
小隊は《ルミナスベルの森》の手前に差しかかった。
そこは戦火を逃れ、今もわずかに生き残ったアストレリス唯一の森。
かつてこの地では、「ヴェルナの光を受けて咲く」と言い伝えられてきた
透明な花──《ルミナスベル》が遠くに見えた。
花弁はクリアブルーに透けて
風が通るたびに、かすかに鈴の音のような光を奏でるという。
ルミナスベルの葉が静かに揺れていた。
セリンは、ふと足元の細やかな光に目を奪われた。
ひときわ小さくガラス細工のように澄んだ双葉が
ヴェリオンの光に淡い青を滲ませていた。
セリンは、それを踏まぬよう
無意識に足の向きを変えた。
(……まだ、終わっていない。)
焦げた世界に、確かに残る“命”を胸に刻むように
彼はレーザー銃を握り直し、隊の列へと戻った。
乾いた地面を踏みしめながら、小隊はアストラ川沿いを歩き続けていた。
誰も言葉を発さない。
ただ、薄い霧の中で木々の軋む音だけが、かすかに耳に残る。
「……静かだな。」
リオンが小さく呟いた。
誰かに返事を求めるというより、独り言のように。
「昔はこの森、祭りとかやってたらしいよ。」
さらにぽつりと付け足す。
「ルミナスベルの花が咲く夜は、森が鈴の音でいっぱいになるんだって。
じいちゃんが言ってた。」
誰も返事をしない。
ただ、誰もがその言葉の中にかすかな記憶の残り香を感じていた。
ジークが、ふと口を開いた。
「一度だけ聴いたことがある。夜の風に混じって、ほんとに鈴が鳴ってるみたいだった。」
リオンが振り返る。
「マジで? いつ?」
「小さい頃。それ以外あんまり覚えてないけどな。」
ジークの声に、懐かしさと寂しさが滲む。
セリンは目を伏せる。
(あの頃、俺たちは……)
言葉にせず、ただその記憶のかけらを胸に収めた。
クレインがスコープを覗きながら、短く呟いた。
「さっきから、遠距離視が効きにくい。霧の密度が一定じゃない。揺れてる。」
「霧が揺れるって、どうゆうこと?」
リオンが聞き返す。
「空気の層に異常がある。気流の断裂……人工的な気配だ。」
ジークの表情が変わった。
「マジかよ!それ、ステルス船の痕じゃねぇのか?」
セリンがすぐに隊の前方に目をやる。
そのときだった。
空気の粒がざらついた。
風が吹いたはずなのに、草も木も揺れない。
音という音が、何かに“封じられた”ような沈黙。
まるで空間ごと切り取られたかのようだった。
セリンは無意識に息を殺した。
喉の奥に、ざらついた空気がまとわりつく。
(……いる。視界には映らないが──何かが、確実に)
セリンはごく自然に小隊の列を外れず
手のひらをわずかに下げるジェスチャーをした。
直後、クレインが銃を構えた。
何も言わず、ヴォルガン隊長は片腕をわずかに挙げる。
その手がゆっくりと下ろされると
「──止まれ。」
小隊全員が、ぴたりと足を止めた。
足音が消え、武器を握る音だけが微かに残る。
川向こう。
薄い霧の先の茂みに
何か、──いる。
ライフルを握る指先が、じわりと汗ばんだ。
かすかに川面が揺れている。
次の瞬間、黒い影が音もなく横切った。
小隊全員が、張りつめた空気の中で
じわりじわりと、間合いを詰めていく。
霧の向こう、確かに何かがいる。
視線を逸らせば、取り逃がす。
けれど焦れば──命を落とすかもしれない。
言葉にできない不安が、背筋を這い上がる。
セリンは無意識に呼吸を浅くした。
グレーの霧がわずかに揺れたその時
耳元で“ガッ”という音が弾けた。
木の枝か、地面の破片か?そんな判断もできないまま
小隊全員が、一斉に銃を構える。
緊張が、限界まで張りつめたその瞬間──
背後から、別の“何か”が
疾走する音を立てて、飛び出してきた。
銃口が、狙いを定めるよりも早く──
「よぉ、セリン。」
……時が止まった。
その声に、セリンの鼓動が一瞬だけ止まりかけた。
空気の中に染みついていた“あの頃の匂い”が、一瞬だけ蘇る。
けれどそれは、記憶の中のヴェントとは少し違っていた。
声は同じ。でも、笑い方が少しだけ苦かった。
「……何だよその顔。泣きそうになってんのか?」
ヴェントは口元を歪めて笑った。
「俺に会えて、嬉しいだろ?」
セリンは、何も言えなかった。
思わず握った拳に、少し汗がにじんでいる。
(違う──何かが、"違う")
けれど確かに、目の前にいるのはヴェントだった。
少しだけ目を合わせたと思ったら、ヴェントはまたすぐに視線を逸らした。
どこか遠くを見るような目で、ぽつりと呟いた。
「ずいぶん、やつれたな……ま、俺も似たようなもんか。」
セリンは、僅かに目を細めた。
言葉にできない感情が、胸の奥に沈んでいた。
懐かしいはずの声、見慣れた仕草
でも、どこかが“違う”。
再会を喜びたい気持ちは確かにあった。
けれど──心のどこかで
「こんなふうに現れる気がしていた」とも思っていた。
まるで歓喜と疑念が、同時に頬を撫でていったような感覚だった。
ヴェントの言葉に、幾つも返したい言葉が喉まで浮かんだ。
けれど、その度に何かがそれを飲み込ませた。
“こんな再会を望んでいたわけじゃない。”
そう思った瞬間、セリンの表情がわずかに曇った。
そして
眉をひそめ、静かに言った。
「動くな。」
その言葉と同時にクレインが、セリンの横にそっと立った。
銃口はわずかにヴェントの肩を捉えている。
引き金にかけた指はぶれず、目も逸らさない。
ジークは銃を構えたまま、苛立ち混じりに呟いた。
「こいつ、セリンの知り合いか?随分、ふざけたヤローだな。」
だがその目には、微かな緊張と――迷いが宿っていた。
セリンが振り返ると、隊長の刺すような視線がヴェントを射抜いていた。
「……お前の背後にいるのは仲間か?」
ヴォルガン隊長が、低い声で言うと
ヴェントは、ちらりと背後を振り返り
苦笑い混じりに肩をすくめた。
「……ま、事情はいろいろってやつだ。」
セリンの胸に、嫌な予感が広がる。
(ヴェント、お前は──敵なのか?)
緊張が、空気を切り裂くように張り詰めた。
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