第5話 気づいた時にはもう遅い

「準備ができたようです。まもなくゲートが開きます。お二人とも、お別れの挨拶はお済みですか?」


 ああ、そうか。俺って今からこの世界じゃないところに行くんだと、思い出したかのように胸がザワザワする。知らない土地に行くことへの恐怖はそこまでなかった。今はこの世界で生きていくことの方がよっぽど怖い。


「あ……」


 母親に何か言おうとして何も思いつかないまま、静かにそっと母に抱きしめられる。そのまま母が小さく息を吸った。


「またね、智白。元気で」

「……うん。ごめんね」


 出てきた言葉は「ごめん」だった。

 なりたくて無虚像になったわけじゃない。何か明確に俺が悪いことをしたわけでもない。

 でも無性に母に謝りたかった。これまでの自分の行動の何かでこの結末は変わったんじゃないかとか、夢物語にもならない程度の抽象的な空想を頭に浮かべている。



「それでは、ゲートを開きます」

「……はい」


 鈍い音を立てて、額縁の中が紫と水色のマーブル模様に満たされる。この先は今いる世界とは別の世界に繋がっているのだと簡単に信じられるほど不思議な色合いをしていた。


 説明を受けた通り、額縁の中に広がる空間に右手からゆっくりと身体を沈めていく。空気が少しだけ重く感じて怖気付くけれど、自分で身体を動かしていたのは最初だけだった。シュレッダーに紙が吸い込まれていくみたいに、あとは自然に身体が中に入っていく。気がつけば全身が自分のものではないみたいに動かせなくなっていた。


「……え?」


 最後に母親を見た。しかし俺の目は母の後ろに集中する。


 ゲートから放たれる強い光が周りの人間を照らしていた。そして母親だけに違和感があった。




「待て……待って!!!」 




 身体の感覚が鈍くて、自分では声を張り上げているつもりでも声が聞こえてこない。本当に言葉を発せているのかわからなかった。



 俺の視線の先には俺の様子を見守る人たち。そしてガラスパーテーションを挟んで機械を操作する人。パーテーションには見守り人たちの姿が反射していた。……母と俺を除いた全員分の虚像だ。



「(映ってない……!!)」



 母も俺と同じで、虚像を失っていた。それに気がついた時にはもう遅い。異世界へ身体の半分以上を突っ込んでいるのだから。



「——!」



 ねぇ、どうして黙って俺を送り出したの?

 俺、あのまま消えてもいいって思ってた。もしお母さんも同じだよって言ってくれてたら、一緒に消えるのも悪くないねって俺は言えたのに。


 消える運命の虚しさを誰かと共にできるなら、この世から阻害されて荒んでた心が少しでも晴れたかもしれないのに。


 どうして、俺だけ助けるんだよ。なんで自分だけ犠牲になる道を選んじゃったんだ。



 俺は何も伝えられないままゲートに吸い込まれていく。最後に見た母の顔は、ずっと見てきた変わらない母親の顔だった。


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