第2話 妙な距離感

 9月の夕暮れ。

夏の暑さが少し落ち着き、秋の気配が街を包み始める。


 校庭の桜の木は、緑の葉をそよそよと揺らし、遠くで部活の掛け声が響く。


 あの日から、1ヶ月。僕の青春は、終わったはずだった。



 ◇


 奏と別れてから、僕の毎日は、まるで色あせた写真みたいだった。


 彼女の笑顔、温かい手、軽やかな声。


 あの1ヶ月が、夢だったんじゃないかとすら思う。


 でも、教室で彼女を見ると、胸がズキッと痛む。


 あのキラキラした存在は、今も変わらずそこにいる。

ただ、僕の手の届かない場所に。


 別れたことは誰にもバレていない。

そもそも、僕と奏が付き合っていたことを内緒にしていた。

(田中には話したけど)


 だから、表面上は何も変わらない。


 男子は相変わらず熱い視線を送り、女子は彼女に憧れの目線を向ける。

僕はいつも通り、空気だ。


 でも、内心はぐちゃぐちゃだ。

奏は、別れた後も変わらない。


 朝、教室に入ると「おはよ、前崎くん!」と笑顔で手を振ってくる。


 昼休み、弁当を食べながら「ね、これ美味しそうじゃない?」とスマホのスイーツ画像を見せてきたり、まるで、何事もなかったみたいに。


 振ったのは僕のほうなのに、彼女のその明るさに、勝手に傷ついてる自分が嫌になる。


 それに廊下で他の男子と楽しそうに話す彼女を見ると、胃がキリキリする。

新しい彼氏ができたんじゃないか、なんて想像が頭をよぎって、夜中に目が覚める。


 別れたのに嫉妬してる自分が情けない。


 別れた直後、奏からLINEが来た。


『これからも、友達として仲良くしたいな! ダメ?』


 彼女のいつも通りの軽いノリに、断れなかった。


 「うん、いいよ」と返したけど、後悔はした。


 一度恋人になった人と、友達に戻れるほど、僕は器用じゃない。


 彼女の笑顔を見るたび、あの1ヶ月のドキドキがフラッシュバックする。


 彼女の手の温もりを思い出す。

キスすらできなかった自分が、情けなくてたまらない。


 だから、気づけば、奏を避けるようになってた。


 朝の挨拶は「う、うん」と小さく返すだけ。彼女からLINEが来ても、「忙しい」「まあまあ」とそっけなく返して、会話を終わらせる。


 教室で目が合っても、すぐに逸らす。

嫌われたかったのかもしれない。

いや、嫌われれば、こんな気持ちから解放されると思ったんだ。


 でも、自分から拒否する勇気はない。

ほんと、僕は最低な人間だ。



 ◇


 その日、放課後。空は薄いオレンジに染まり、校舎の影が長く伸びる。部活の喧騒が遠くに聞こえる中、僕は一人、鞄を肩に掛けて校門を出た。


 いつも通り、田中は「ゲームの新作買うから、先行くわ!」と先に帰ってた。


 イヤホンで音楽を流しながら、住宅街の道をトボトボ歩く。


 頭の中は、今日の奏の笑顔でいっぱいだ。

昼休み、彼女がクラスメイトの佐藤(バスケ部のイケメン)と楽しそうに話してた。


 佐藤が「奏、今日の放課後映画行かね?」って誘って、彼女が「いいよ!」と笑ってた。


 あの笑顔か僕に向けられることはきっともうない。

分かっていても少しだけ胸が痛む。


「聡太くん!」


 突然、後ろから声がした。聞き慣れた、ちょっとハスキーな声。


 ドキッとして振り返ると、そこに奏がいた。

髪をゆるく巻いて、夕陽にキラキラ輝いてる。なんでここに?

心臓が一気に加速する。

【挿絵】

https://kakuyomu.jp/users/tanakamatao01/news/16818622174502952046


「今、帰り? 一緒に帰ろ!」


 彼女は、いつもの眩しい笑顔で言う。

まるで、僕が避けてたことなんて気づいてないみたいに。


「…う、うん」


 断る勇気なんてない。イヤホンを外して、彼女の隣を歩き始める。


 いつもなら、彼女の香水の甘い匂いにドキドキするのに、今はそれすら怖い。

会話、どうしよう。

ぎこちない空気が、僕の足を重くする。


「…映画…行かなくてよかったの?」と、思わず聞いてしまった。


「あー、あれね。まさか二人で行こうとしてたと思わなくてさー。ちょっと佐藤くんと二人はきついかなーって、適当に断ったw」

「…そ、そうなんだ」


 佐藤はデートのつもりだったが、奏は違ったということか。


「ね、聡太くん、最近どう?ちゃんと元気にやってる?」


 奏が、軽い口調で話しかけてくる。

彼女の声、いつも通り明るい。


「…まあ、普通かな。…三島さんは最近、勉強とかどう?」


 無難な話題を選んだつもりだった。

でも、彼女は少し首をかしげて、ニコッと笑う。


「二人のときは、奏でいいよ?」


 その笑顔、反則だ。心臓がドクンと鳴る。

彼女の名前を呼べるわけない。


 恋人だったとき、ようやく「奏」って呼べるようになったのに、今はただのクラスメイト。いや、それ以下かもしれないのに。


「…三島さんは最近、勉強とかどう?」


 頑なに「三島さん」と繰り返すと、彼女は「ふふ、意外と頑固だね〜」と笑いながら続ける。


「うーん? あんまり? ほら、元々そんなに勉強得意じゃないしー。しかも、勉強が得意な誰かさんは、最近私のこと避けてるしさー」


 その言葉に、背筋が凍る。

やっぱり、気づいてたんだ。


 彼女の口調は軽いけど、目は少し真剣で、僕の心を覗き込むみたいだ。

なんて返せばいい? 謝る? 誤魔化す?


「…ごめん」


 結局、情けない声でそれしか言えなかった。彼女は、すぐにパッと笑顔に戻る。


「嘘嘘! 冗談だって! 気にしないでよ〜」


 変わらない笑顔。変わらない軽さ。

彼女はいつもこうだ。

どんなときも、明るく振る舞って、僕を傷つけない。

でも、その優しさが、逆に辛い。


 しばらく、二人で歩く。


 夕陽が住宅街の屋根に反射して、道をオレンジに染める。


 彼女は、コンビニの新作スイーツの話や、最近ハマってるアニメの話をぽつぽつと振ってくる。


 僕は、「へえ」「そうなんだ」と短く返すだけ。

会話は、どこか凸凹だ。


 彼女の笑顔を見ると、恋人だった日々がフラッシュバックする。

あの遊園地、ファミレス、彼女の手の温もり。全部、僕が自分で壊したのに。


「ね、聡太くん」


 突然、彼女が立ち止まる。

公園の入り口、ブランコが風で小さく揺れてる。

彼女の目は、さっきより少し真剣だ。


「最近、隣の席の千羽さんと話してない? もしかして〜、私より千羽さんを好きになっちゃって、別れたのかな?」


 彼女の口調は、いつものからかうノリ。

でも、目が少し揺れてる気がした。


 千羽美咲、僕の今の隣の席の女の子。

ボブカットの大人しい子で、最近、好きなRPGゲームの話で少し盛り上がっただけだ。

まさか、奏が見てたなんて。


「ち、ちがうよ…。千羽さんとは、趣味が合うから…少し話しただけで…別に友達ってほどでもないし…」


 焦って弁解する僕を見て、奏は「ふーん」と笑う。


 彼女の観察力、相変わらず鋭い。

人のこと、ちゃんと見てる。


 僕が避けてたことも、千羽さんと話してたことも、全部気づいてるんだ。


 感心する反面、胸がチクッと痛む。

彼女は、いつも僕を見ててくれるのに、僕は逃げてばかりだ。


「じゃ、三島さんはどうなの? 新しい彼氏とか…」


 つい、聞いてしまった。

新しい彼氏ができててもおかしくない。

だって、彼女は学校一の人気者だ。

佐藤みたいなイケメンが、毎日彼女を狙ってる。


「ん? できたよ〜。もう、彼氏が毎日体を求めてきて、もー大変で大変でね〜」


 彼女の言葉に、頭が真っ白になる。

やっぱり、そうか。

キスすらできなかった僕と違って…。


 胃がキリキリして、地面が揺れる気がした。


「そ、そうなんだ…」


 声が震える。彼女は、僕の顔を見て、急に「ぷっ」と吹き出す。


「嘘だって〜!今は彼氏いないし、作る気もないよ」


 彼女の笑顔に、ホッとする。

でも、同時に、情けない自分が嫌になる。


 彼女の冗談に、こんなに動揺するなんて。

でも…。


「…なんで?」


 つい、ポロッと出てしまった。

彼女みたいな子が、彼氏を作らないなんて、ありえない。

ほとんどひっきりなしに彼氏はいたはず。

彼女は、ちょっと考え込むように空を見上げて、軽く笑う。


「そりゃー…まぁ…なんでだろうね? まぁでも、人生で初めてフラれたし〜? 元カレのことが、ちょっと忘れられなかったり?」


 彼女の声は、いつも通り軽い。

でも、「元カレ」って言葉に、胸がドクンと鳴る。


 彼女は、ただからかってるだけだ。

いつもみたいに。でも、

彼女の目が、ほんの一瞬、寂しそうに見えた気がした。


「はは、そんなわけないでしょ」


 誤魔化すように笑う。


 すると、ちょっと険しい顔。

夕陽が彼女の髪を赤く染めて、まるで炎みたいだ。


「…ね。なんで私のこと振ったの?」


 その質問に、時間が止まる。彼女の目は、真剣で、僕の心を突き刺す。なんて答えればいい?


 怖かったっていうべきか?

彼女の過去の彼氏、演劇部の先輩、バスケ部のイケメン、大学生のサーファー…etc。


 経験豊富な男子たちの話を聞いて、自分が捨てられることが怖かったから?

彼女が他の男子と笑ってるのを見るたび、胸が押しつぶされそうだったから?

だから、自分から終わらせれば、傷つかなくて済むと思ったから?


 でも、そんなこと、言えるわけない。


「…それは…それは…まぁ…ほら、やっぱり…僕なんかじゃ、三島さんとは釣り合わないし…」


 情けない声で、言葉を絞り出す。

彼女は、じっと僕を見つめる。


「…ふーん。そっか」


 彼女は、それだけ言って、軽く笑う。

でも、その笑顔、いつもより少し弱い気がした。


 彼女は、ブランコに腰掛けて、ゆっくり揺れ始める。


 風が、彼女の髪をそっと揺らす。


「私はさ、別れた後も友達でいたいって、ほんとに思ってる。だから、避けられるのはちょっと…寂しいかな」


 僕が逃げてたせいで彼女を傷つけた。

身勝手傷つけて、今も傷つけている。


 彼女がどういう人か分かって告白したくせに、そんな僕を受け入れてくれていたのに…。


 自分勝手で最低だ。ほんと、僕って最低だ。


「…ごめん」


 また、それしか言えなかった。

彼女は、ブランコから立ち上がって、ニコッと笑う。


「ま、いいよ! 気にしないで! じゃ、コンビニ寄ってく? アイス、奢ってあげる!」


 僕がどんなにダメでも、笑って許してくれる。

でも、僕には、その笑顔に応える勇気がない。


 コンビニまでの道、彼女はまたいつもの調子で話す。


 新しい映画の話、ペンギンの可愛さ、最近ハマってる音楽。


 でも、僕の頭の中は、モヤモヤでいっぱいだった。


 コンビニで、彼女は「これ、美味しそう!」とチョコアイスを手に取る。


 レジで、彼女が「はい、聡太くんの分!」とアイスを渡してくる。


 彼女の指、ちょっと冷たかった。


「…ありがと」


 小さく呟く。

彼女は、「どういたしまして!」と笑う。


 家に帰って、部屋のベッドに突っ伏す。

スマホの画面には、奏からのLINE。


「今日、楽しかった! また一緒に帰ろね!」って、ハートのスタンプ付き。


 彼女は、ほんとに友達でいいと思ってるのかもしれない。


 でも、僕は、彼女の笑顔を見るたび、恋人だった日々を思い出してしまう。

あのドキドキ、あの温もり。

あの、僕が自分で終わらせた時間を。


 窓の外、夜空に星が一つ、キラッと光る。


 青春は、終わったはずだった。

でも、彼女の笑顔が、僕の心をまだ揺らしてる。


 最低な僕でももう一度、向き合える日が来るのかな。

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