#02 ある名前の死、ある名前の獣
第6話 花畑と『エンゲリシェ』
「エーコ、見て! お花、こんなにたくさん!」
空中の『足場』から降り立ったエーコは、モモを背中から下ろす。すると『愛くるしいペット』は目を輝かせて、花畑に飛び込んだ。その向こうには空とは違う深いブルーの雄大な湖を臨む地景。赤やオレンジ、紫と、ありとあらゆる色を取り込んだ視界に、エーコは少し気持ちが眩しくなった。
「なんてキレイな場所……流石ファンタジー。モモ、あまり遠くへ行っちゃダメよぉ」
軽く窘めると、モモは『うん、わかった』と従順だ。獣に襲われる心配はなさそうだ、自分も少しだけ気を緩める。モモを連れて旅をするようになって、半月。同行者がいるというのは思ったより気を遣うな……ということを実感していた。
(ま、カワイイからいいんだけどね)
ノヴァーク王国南東、ベルギン市郊外。地図によると大体その辺りらしかった。今どこにいるのかは、生きるのに重要な情報である。食事をするにも、分散して計画的に襲わないとリスクなのだ。
(こんなときスマホがあればなぁ……)
現実では暇つぶしの道具だった便利ツール。落としてしまって手元にはもう無いし、そもそも異世界に電波など飛んでいるわけがない。天気やニュースなんかが確認できたら、どんなに良かったろう。ごわごわした紙の地図に目を落としながら、ため息をつく。
(地図を読むのも慣れちゃったなぁ)
自分は基本空中歩行なので、山や谷を越えたりする必要がない。その辺りは異世界人より恵まれている――しかしモモを連れて移動するのは少々骨が折れた。
(アタシの『足場』はモモも踏めるけど、落ちちゃったらイヤだしね)
エーコが作る『足場』は基本的に魔導障壁として機能するが、応用すれば二人分の体重を支える力場にも転用できる。ただし魔法でいうと、炎を生むか氷を生むかのように操作が極端で、少々面倒だ。モモを『飼い始めて』からは、彼女の手を引いて、一緒に空中を歩いてきていた。
(一人のときより気楽に移動できないから、ちょっと厄介ね。この子を『分霊』にするって手もあるけど……)
スキル『死神』には、自分の魔力を人間に注いで『分霊』という――有り体に言えば眷属を作る能力がある、らしい。自分の先生がそう言っていただけで、まだ試したことはないが。
(なにか副作用があっても困る。同族を作るのは慎重にしよう。襲撃も計画的にやらなくちゃねぇ)
ついさっき道中の集落で狩ってきた魂をローブから取り出して、大鎌や足場を作る要領で魔力を込めて整形してみる。生肉を煙でいぶして干し肉を作るように。魔力でも似たようなことが出来るかもしれない。
(物理障壁……いえ魔力でこねる要領で加工したほうがいいかしらぁ?)
モモの夕食として奪ってきた干し肉や固いパンを参考に、試行錯誤する。思考の合間に同行者が花とこちらとを交互に見て、
「エーコ、お花つんでいい?」
そんな当たり前のことを確認してくる。『いいわよ』と軽く許可を出すと、モモは嬉しそうに花を摘み始めた。嬉しい時、モモの耳はかるくぴょこんと揺れる。ハーフエルフだと、耳を動かすことが出来るらしい。
(やっぱりヒトと違うのねぇ……ファンタジーっぽいかも)
しかし価値観などはヒトの奴隷相応だ。半月ほど一緒に行動してみて、モモには想像以上に『自分で何かを決める』ことが難しいことが理解った。食べるときも『たべていいですか』、水浴びするときも『はいっていいですか』……などとイチイチ確認してきた。
(奴隷ってのは、そういうアタシたちの『当たり前』も奪われてるのねぇ)
一般常識など色々なことを教えながら……一昨日くらいだろうか、ようやく日常動作の確認を取らなくなった。しかしまだまだモモには『命令』のようなことをしないといけなかった。そう云うとき、自分の中で微かに引っかかりがあった。
(罪悪感? バカバカしい……今更そんなの)
頭を振って、モモの方を見る。自分と彼女の名前を彫った首輪がチャリンと揺れている。花を摘んで編みながら、モモが何かメロディを口ずさむ。
『でーいじー、でーいじー、ギンミーユーアーンサードゥ……♪』
何か聞き覚えのある歌詞。これ……英語?
「モモ。あなたそれ、どこで覚えたの?」
この世界に転生してきて、エーコは最初日本語が通じることに驚いたものだった。『そんなものか』『便利にできているな』と思った程度だったのだが……なんと英語まであるのか。
「これ、小さいとき私のいたところのことば。『エンゲリシェ』っていうんだって。ここに来てからはつうじないから、つかわなかったんだけど……エーコは私のふるさとのことばも知ってるんだね」
モモが嬉しそうに、ほにゃっと笑う。モモの故郷。最初の頃に少しだけ聞き取ったことがある。彼女はノヴァーク王国沿岸の向こう、ウェイトランドという島から連れて来られたらしい。地図的に元いた世界のイギリス辺りだな……とだけ思っていたが。
「なんか、変なところでつながりがあるのね。異世界って」
地理だけでなく、言語まで現実世界と奇妙なところで似ている。
「アーイムハーフクレーイジー♪」
モモが続きを口ずさんですぐ、
「――All for the love of you♪」
『デイジー・ベル』の続きを、エーコも歌った。小学校の時、音楽の授業で歌ったことがあるのだ。同じ歌を知っていることに、モモは少し驚いたようだったが、すぐに二人で同じ歌を歌い始めた。一通り二人で合唱した後で、
「エーコはすごいね。私がこどものときの歌まで知ってる。歌もうまいし、なんでも知っているんだね」
「まぁね。でもアタシが知ってる歌と全く一緒だったから、驚いたわ」
こういうのは歌えるかしら、と言ってエーコは友達と一緒にカラオケで歌っていた曲を歌い始めた。少しだけアップテンポの曲。モモはエーコを真似て口ずさもうとするが、途中で舌がもつれたようだった。エーコはからかうようにアハハと笑う。
「ちょっと難しかったね、また一緒に練習しましょ。アタシのモモ、愛するモモ」
エーコはモモの傍にひざまずいて、抱きしめた。どうしてこんな可愛い子を奴隷になんて出来るんだろう? こんな風に愛してあげるだけでいいのに!
モモは少しくすぐったそうにした後、
「エーコは私にあいしてるって言ってくれる。私のふるさとのことばで、『アイ』は『わたし』っていういみ。だからエーコは私に『わたし』をくれたんだね」
なんてことを、口にした。『自分』さえ分からなかった子が。
「アイね……モモ、『愛してる』と『アイ』は少し違うのよ。アタシがモモに言うのは『ラヴ』の方ね」
「そうなの? でもエーコは私にめいれいしない。どなったり、なぐったりしない。だからエーコの『アイ』は『わたし』だよ。やっぱりちがうかなぁ?」
少ししょんぼりしたみたいなモモ。そんな風にされたら、無理に否定することなんて出来ないじゃないか。自分は良い飼い主なのだから。
「ま、モモがそう思うなら、それでもいいわ。アタシはモモに『わたし』をあげたってことで」
「うん、じゃあ私はこれ。エーコにあげる」
そう言ってモモは、エーコに摘んだ花で編んだ腕飾りをくれた。飼い主にこんなカワイイ贈り物をしてくれるなんて、いじらしい。あぁ――この子を飼って、本当によかった!
「ありがとう。とっても嬉しい!」
エーコはまたモモを抱きしめた。するとモモは耳元で、
「エーコ、たましいっておいしいの?」
なんてことを聞いた。幸せだった心が少しだけ曇ったような気がして、声が少し冷える。
「……美味しいわよ。たまに不味いのもあるけど――何でそんなことを訊くの?」
「モモはエーコとちがって、たましいって食べられないから。おいしいのかなって」
さっきまでエーコが加工しようとしていた魂を見つめて、きょとんとした表情のモモ。そこには死神である自分を責める意図はない……なのに、胸の何処かでぴしっと軋む音がした。
――覚えておけ。異世界人は獣と同じだ。そう思わないと――
あの男……自分に『死神』として生きる術を教えた先生の言葉を
「エーコはわたしになまえをくれた。モモってなまえがあるなら、わたしはエーコにたべられるの?」
モモが無邪気に、エーコに告げる。私がモモを? まさか――
「名前を付けたら食べるなんて、そんなことはしないよモモ。私がモモを食べるなんて……絶対にしない。愛しているから、食べたりしないの」
「そっかぁ……エーコになら、食べてもらってもよかったのに」
それは、どういう意味で言っているんだ?
「エーコ、とってもキレイだね」
モモがほにゃっと笑った。奴隷の子。今は――自分の愛玩するモノ。
「ありがとう、モモ。もう少し休憩したら、今日の寝床を確保しましょうか。暗くなる前に移動しておかないと」
「わかった、エーコ」
モモはそう言って、また歌いながら花を摘み始めた。モモの背中越しに、花畑の上の青空に目を細める。どうしてか、マンションから去っていく自分の母親のことを思い出した。私を置いて母が家を出たあの日も、こんな青空だった。
(――明日も、いい日になるといいわね)
エーコの頭の花冠から花が一個、ぽとりと落ちた。拾い上げてみると、一つだけ枯れた花が混ざっていたようだった。エーコは小さく舌打ちをした。
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