【第31話】悪夢襲来『異能封印の危機』
黄昏学園の朝は、どこか妙だった。
教室のカーテンが揺れている。風はない。窓は閉まっているのに、カーテンだけが、誰かがそっと撫でたようにふわりと揺れる。
「……なんか、今日、空気が変じゃね?」
俊輔がそう口にしたのは、1限目のチャイムが鳴った直後だった。
「うん……なんか、静かすぎる。音が“詰まってる”っていうか……空間が息してないみたいな感じ」
隣で優花がつぶやいた。
生徒たちの様子も微妙におかしい。無口な生徒がやたらと話し、いつも騒がしい生徒が無言で黒板を見つめている。視線が定まらず、笑顔が少しだけズレているような、不自然な“日常の仮面”。
俊輔は、その異変を“規律破りの勘”で敏感に察知していた。
(これは――“異能”じゃない)
これは“悪夢”だ。
そう、黄昏学園において、それは最大最悪の存在。“異能を持ったまま、過去を清算できなかった者”が抱えた“未練”が、他者に伝染して具現化する。
異能の力を封じ、心を侵す。
その名も“負の共鳴”。
「これ……やばいやつだよな?」
教室にいた力玖が、震えた声で言った。
「朝、何気なくトイレ行ったらさ……鏡の中に“誰かの目”が映ってたんだよ。俺じゃない目。そしたらさ、“君の悩み、代わりに持ってあげようか?”って声が聞こえて――」
「待て力玖、それ完全にフラグだから!」
麻友菜が即座に突っ込むが、空気は笑えないほどに重かった。
そのとき、校内放送が鳴った。
『ピ――ッ……生徒諸君へ。異常事態発生。全ての生徒は速やかに第3集合ポイントへ……繰り返す、これは訓練ではない』
放送の途中から、ガリガリと音が乱れ始め、最後は不気味なノイズに変わって途切れた。
そして、チャイムが“鳴らなかった”。
俊輔は、教室の空気を一瞬で読み取る。
(来たな。いよいよ“本番”ってわけか)
彼は立ち上がった。
「みんな、逃げろ。これは……学園そのものが“異能を封じよう”としてる動きだ」
「でも、封じるってどういうこと? 異能って、私たちの一部じゃん」
碧季の疑問に対し、梢永が唇を震わせながら答える。
「これ、古文書に載ってた……“学園結界が反転したとき、生徒の異能は強制的に“未練”として吸収される”って」
「つまり、異能を持ってて、それを“後悔”した経験がある者から、順番に……」
「封じられてくってことか」
俊輔がまとめたその瞬間、校舎全体が“ゴォン……”と低く唸った。
天井の照明が一斉にチカチカと瞬き、廊下の奥から“黒い霧”のようなものがゆっくりと迫ってくる。
「うわぁああ来てる来てる来てる!!逃げるぞぉ!!」
貴宗が誰よりも速く廊下に飛び出し、砂耶が叫ぶ。
「ちょっと待て貴宗ぃぃ!戦略的撤退くらい一言残してからしろぉぉ!」
「戦略的ノリ逃げ!!」
「ノリだけかい!!」
だが、冗談を言っている余裕はなかった。
その霧に触れた者は、途端に“何か”を忘れる。授業中に霧に包まれた生徒がひとり――目を見開いたまま、呟いた。
「……私、なんでこの学校に来たんだっけ?」
“記憶封鎖”。
それは、“異能”が生まれるきっかけでもある“強烈な記憶”を、根こそぎ奪ってしまう現象。
異能と記憶はリンクしている。異能を奪われるということは、人生の一部を“削除”されることと同義だった。
「これ、逃げきれないぞ」
力玖が唇を噛む。
「でも、戦えない。あんな霧、異能すら通じない……」
そのとき、俊輔が大きく息を吸った。
「いいか、聞け! “通じない異能”ってんなら、“異能を超える行動”でいくしかねぇ!」
「超えるって、何を!? 霧だぞ、あれ!」
「自分の異能を、“未練”で終わらせないことだ!」
皆が俊輔を見つめた。
「異能ってのは、“欲望”や“後悔”から生まれる。でも、その上に“選択”ってもんがあるだろ。“この力をどう生きるか”ってやつを、今ここで証明しないと、全部霧に持ってかれる!」
その言葉に、仲間たちは奮い立った。
「よし、行こう。この学園で、“俺たちが何のために異能を持ってるか”――叩き込んでやる!」
俊輔の目に、今までになかった炎が灯っていた。
――そして、彼らは“霧の核”へと向かう。
黄昏学園の中心――旧講堂跡地。
そこは普段立ち入り禁止になっている。だが今、あの“霧”の中心がそこにあることを、誰もが確信していた。
「まるで……異能そのものを飲み込んでるみたいだな」
貴宗が言った。彼の手には、異能で作り出した仮想の炎球が揺れていたが、講堂の手前にある結界のような空間に近づいた瞬間、炎がふっと消えた。
「異能が……無効化される?」
「“吸収”されてるのよ。未練の形として。つまり、それだけ“異能持ちの未練”が多いってこと」
砂耶が睨みつけるように言う。
「……てことは、つまり、ここは“全員の後悔の坩堝”ってわけね。ちょっとおしゃれに言ってみたけど」
「うん、言いたかっただけ感あるな」
麻友菜が笑ったが、その表情は固かった。
そして、誰よりも静かに目を閉じていたのは優生乃だった。彼女は“霧”の向こうに、確かに何かを“視て”いた。
「……あれは、“集合的無意識”のようなものです。私たちが持つ後悔や、隠された恐怖が、異能という形を借りて“具現化”してしまった」
「でも、これってつまり……“誰か一人でも諦めなかったら”、霧は崩れるってことか?」
功陽の問いに、優生乃はゆっくりとうなずいた。
「“後悔を後悔のままで終わらせない”。それが、唯一の対抗手段」
その瞬間――
「だったら、まず俺からだな」
俊輔が前に出た。
「“規律破り”なんて、俺にとっては、自由を守るための“信念”だった。でも今なら分かる。それは、失ったものから逃げるための方便だった」
皆が息を飲む。俊輔の周囲に、かすかな霧が立ち込めた。しかし、それは彼の言葉とともに少しずつ薄らいでいく。
「俺の
霧が完全に晴れ、講堂の扉がきぃ……と軋んで開いた。
「行こう。俺たちの異能を、“後悔”じゃなく、“選択”にするために」
講堂内部は、まるで悪夢そのものだった。
天井から垂れ下がる鏡、壁に映る自分の過去。誰もがそこに立ちすくみそうになる。
梢永が、一歩前へ出る。
「私の“収集癖”は、実は“過去の自分が失った時間”を集めてたのかもしれない。でも、今、こうして皆とここにいる“今”の方が、よっぽど価値があるって気づいた」
碧季も続いた。
「私の“完璧主義”は、“失敗する自分”を許せなかった。でも今なら、仲間の“未完成さ”を守る方が、ずっと素敵だと思える」
ひとつずつ、霧が晴れていく。
公孝が叫ぶ。
「俺の“責任感”は、いつの間にか“義務”に変わってた。でも裕喜と出会って、“逃げた先にも誰かがいる”って知った。だから俺は、“誰かのための責任”を、もう一度、自分の足で背負い直す」
霧が、爆発するように散る。
そして、最後に優生乃が歩み出る。
「私はずっと“中立”でいようとした。でも、誰かの心に“寄り添う”ことは、“偏る”ことじゃない。“選ぶ”こと。私は、今ここにいる皆を、“私の視点で”信じます」
その瞬間。
講堂の中央に浮かんでいた黒い霧の塊――“悪夢の核”が、砕け散った。
静寂の中、薄明かりが差し込む。講堂はもとの静かな空間に戻っていた。
誰かが、ぽつりと呟いた。
「……勝ったのか?」
「いや」
俊輔が首を振る。
「“負けないことを選んだ”んだよ」
そして皆は、どこかで確かに分かっていた。これはまだ終わりではない、と。
だが、確かに一歩踏み出せたという感覚が、全員の胸にあった。
“異能”は、もはや“逃げ道”ではなく、“共鳴”の手段になったのだ。
黄昏学園の空に、雲ひとつない青が広がっていた。
(第31話『異能封印の危機』完)
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