【第22話】偽装無関心の涙『優花編』

 黄昏学園の昼休みは、いつもにぎやかだ。

 購買前でコロッケパン争奪戦を繰り広げる力玖、意味不明な芸術展示で通行妨害をする功陽、誰彼構わず相談ブースを展開する麻友菜、そしてそれを全力でスルーする優花。

 ――が、今日の優花は、少し違った。

「……ん?」

 俊輔が、気配を感じて目を向ける。

 いつもなら購買前のベンチに無言で座って、パンを齧りながら「騒がしいのも悪くない」と心の中で呟いているはずの優花が、いない。

 その代わり、屋上の柵の近くに、彼女の後ろ姿があった。

(まさか……飛ぶわけじゃないよな)

 俊輔の頭に“漫画的誤解”がよぎったが、彼女がもともと“飛ぶ側の人間”ではないことは知っていた。むしろ、飛ぼうとする誰かを冷めた目で引き戻す側だ。

 だが今日の彼女は、いつもの“冷めた距離感”ではなかった。

 背中が、少しだけ寂しそうだった。

「……よう。珍しく高いとこ登ってんな」

「……俊輔か。空、見たくなっただけ」

「空なら、ベンチからも見えるぞ?」

「風も感じたかったの。言わせないでよ、そういうの」

 彼女の目は空に向いているが、意識の先はもっと遠い場所にあるようだった。

 俊輔は、その雰囲気に何となく察した。

「……なんか、あったのか?」

「ないって言ったら、信じる?」

「信じねーな」

「でしょ」

 彼女は自嘲気味に笑った。

「“無関心”ってさ、楽なんだよ。“何も期待しない”って決めたら、傷つかなくて済むから」

「……お前、それ、誰に言い聞かせてんだよ」

 優花は一瞬、息を止めたように動きを止めた。

(まただ)

 彼女は、自分でも気づいていた。

“無関心を装ってる”つもりでも、実は誰よりも“人の感情に敏感”で、“巻き込まれるのが怖い”だけの自分がいることを。

 そしてそれを、徐々に見抜かれていることも。

「昔さ、仲良くしてた子がいたの。私が“形式ばったやり方”に疑問を感じて、勝手にやり方を変えたら……怒られた。“なんで空気読まないの?”って。“あんたのせいでバラバラになる”って」

「そっか……そりゃ……きつかったな」

「でも、私は間違ってないって思ってた。だから、謝らなかった。そのまま、距離ができて……」

 彼女の声がかすかに震える。

「それ以来、“本気で人と関わると、どっちかが壊れる”って、思うようになった」

 俊輔は、彼女の言葉を遮らず、ただ横に立っていた。

 その姿勢に、優花の口元がわずかに緩む。

「……あんたってさ、うるさいけど、静かなときは本当に黙るよね。変なバランス」

「俺はバランス型じゃなくて、“偏ってるけど倒れない型”だからな」

「それ、よく分かんないけど……ちょっとだけ、ありがたい」

 彼女は、ポケットから小さく折られた手紙を取り出す。

「これ、昨日ロッカーに入ってた。“優花さんは、無関心でいられるから羨ましい”って」

「……皮肉、だな」

「うん。多分、そう。でも、私、無関心じゃない。見ないようにしてるだけ。関わると、怖いから」

「怖いもんなんだよ。人と関わるのは。でも、“誰かと関わるために、自分の感情がある”って思えるようになったら、ちょっとずつ変わるかもな」

「……あんた、今日だけやたらとまともだね」

「今日は“お前のターン”だからな。俺は補助役」

「……そう。なら、ちょっとだけ頼る。ほんの、ちょっとだけ」

 風が吹いた。

 彼女の髪が揺れ、指先に残った手紙が、空へと舞い上がる。

 優花はそれを、追いかけなかった。

 それは、“手放してもいい感情”だと、彼女自身が気づいた証だった。




 それは、ただの紙切れだった。

 でも、彼女にとってはずっと心の奥に貼りついていた、“ラベル”だったのだ。

 ――無関心。

 ――冷たい。

 ――付き合いづらい。

 黄昏学園に来る前、優花がよく言われていた言葉たち。

(付き合い方が分からなかっただけなのに)

 誰かに優しくしたくても、その“方法”が分からなかった。踏み込み方も、距離感も、正解を見つけられないまま、いつも人より半歩引いていた。

 そんな優花の“仮面”は、黄昏学園では意外なほど馴染んでしまった。

 異能者ばかりのこの場所では、誰も彼女の無関心を咎めなかった。それどころか、「何考えてるか分からない」と言いつつ、近づいてくる奇特な連中ばかりだった。

 功陽は異常なほど距離感がバグっているし、麻友菜は壁を感じた瞬間にぶち抜いてくるし、力玖は人の空気を吸いすぎて過呼吸になるし、砂耶は毒舌と理想で脳みそを焼き尽くそうとしてくる。

 そして、俊輔――

「お前、どうしてそこまで、俺に絡んでくるんだよ」

 思わずそう呟いた彼女の声に、隣の俊輔は答えた。

「そりゃ、放っておけないからな」

「それ、本音?」

「本音で“絡んでる”やつがいたら、それはもう人生のサプライズだろ」

「……意味わかんない。でも、ちょっとだけ安心した」

 優花は手すりに肘をついて、頬杖をついたまま、ふと空を見上げた。

「……中学のときね、あの子が私に言った。“あんたはいつも、冷めてて、面白くない”って。それ聞いたとき、ああ、もう私、誰とも笑い合えないんだって、勝手に決めちゃった」

「それは、そいつの都合でお前に貼った“しおり”だな」

「しおり?」

「本の中で、“ここで止まった”ってだけの印」

「……ちょっといい例えで腹立つんだけど」

「ありがとー」

 優花は深く息を吐いた。

「でもね、私、あんたたちと関わって、少しずつ思った。“私が誰かに興味持つ”って、悪くないかもって」

「だろ?」

「それと同時に、“怖さ”も倍になったけど」

「そりゃ、恋も友情も、恐怖との二人三脚だろ」

「うまいこと言うなー」

「成長中だからな」

 優花の目がわずかに潤む。だが、涙は流れない。

 代わりに、彼女はそっと小さく笑った。

「ねえ、俊輔。あんたってほんと、バカだよね」

「ほめ言葉と受け取っておこう」

「バカだけどさ――“見ててくれてありがとう”。私のこと、ちゃんと」

 俊輔は照れたように頭をかいた。

「いや、まあ、見てたっていうか……お前、時々“気になる顔”してるからな。何もしてないふりして、“助けを求めてる顔”ってやつ」

「うわ……自覚なかったけど、それ、私の顔に出てたの?」

「出てる。バリバリ」

「恥ずかし……」

 優花は顔を手で隠したが、そこには明らかに照れた笑いが浮かんでいた。

「じゃあ……これからもさ、ちょっとだけ見ててくれる?」

「おう、もちろん。俺、お前の“無関心ごっこ”の目撃者代表だからな」

「ちょっと語弊あるけど……まあいいや」

 そんな風に、優花の“仮面”は一枚、自然と剥がれていった。

 その頃、校庭では功陽が「優花が感情表現したって!? これは学園史に残るイベントだ!」と叫びながら記録係を買って出ており、麻友菜が「録音データは売り物にできるかも!」とざっくりビジネスを始めようとしていた。

 砂耶は「一瞬泣きそうな顔した……これは事実」と淡々と判定し、力玖は「見てるだけでドキドキする……なんで俺がこんな緊張してるの……」と抱き枕を握って苦しんでいた。

 そして貴宗が「え、なに? 今って“青春の核心”イベントだったの?」と遅れてやって来て、すべてが一周回って黄昏学園の日常に戻っていく。

 その中心に、ほんの少し変わった優花がいた。

 冷めているようで、実は誰よりもあたたかい。

 無関心を装って、誰よりも関心を抱いていた少女が――

 やっと、“本音で笑う”準備を始めたのだった。

(第22話『偽装無関心の涙』完)

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