【第5話】コレクター気質編『梢永と碧季のオタク的邂逅』

 放課後の図書室。それは黄昏学園の中で最も静かで最も危険な場所だった。

 もちろん、「危険」とは物理的な意味ではない。誰かが火を吹いたり、空間が歪んでブラックホールが発生したり――というタイプの危険ではない(たまにそういうこともあるが、今日の話には関係ない)。ここでの危険とは、膨大な知識と物量に圧倒され、「気づいたら夜だった」とか「帰れなくなった」とか、「同好の士と語り明かして午前様」とか、知的好奇心の罠にハマることを指す。

「うぅぅ……あった! これは絶版の1999年春号“ミステリーファイル増刊版”! 幻の裏特集『謎の湿地帯に現れる光る赤子』掲載号……!」

 書架の裏に埋もれていた資料の山を掘り返していたのは、梢永だった。学園内随一の“コレクター気質”と名高い彼女は、今日も“レア資料ハント”に全力を注いでいた。床に這いつくばりながら埃まみれになり、背中を軋ませながら雑誌を掲げる姿は、まさに一人の探求者。もはや神話のアーキビストである。

 彼女の異能は「記録吸収」。視界に入れたものの“情報”を一時的に取り込んで保持し、自分の中で“再構築”できる。紙資料はもちろん、立体物の構造も記録可能だというから、まさに人間スキャナー、いや、歩く博物館である。

 ただし問題は一つ。

「この特集、裏面にまで折り込み広告があって情報密度が高すぎる……ハァ、いい……資料の詰まり具合が脳にくる……」

 情報の充実っぷりに興奮しすぎて、よだれが垂れそうになっていた。

「大丈夫かよ梢永。おまえ、資料で脳汁出すな」

 背後からぼそりと突っ込みを入れたのは、たまたま通りかかった俊輔だった。いつも通り図書室に人が少ないことをいいことに、近道として抜けようとしたところ、うずくまって奇声を上げる少女を見て足が止まったのだ。

「なにが“いい”んだよ、それ。資料だぞ? 紙だぞ?」

「わかってない、俊輔くん。これはね、存在の価値を保証する“残響”なのよ……このページの重さと、触れたときの指先のかすかな軋み……これが“資料”のリアリティ……!」

「やっぱわかんねぇよ」

 そこへ、ガラリと図書室のドアが開いた。重い音と共に入ってきたのは、静かに、だが明確な意思を持った足取り。リズムのないようでいて、どこか計算されたような歩幅。長い髪を後ろでまとめ、制服の襟はきっちりと留められ、持っているファイルも左右対称に整えられていた。

 碧季である。

 彼女もまた、コレクターだった。だが梢永とは違い、彼女のコレクター魂は“統一と分類”に燃えていた。彼女は「同種アイテムを揃え、整理し、完璧な配置で陳列する」ことに生きがいを持つ、収集と構造化のマイスターだった。言うなれば、“動的カオス型コレクター”である梢永とは正反対、“静的秩序型コレクター”。

 二人はお互いの存在を知ってはいたが、今日まで一度も接点を持たなかった。なぜなら――互いに、無意識のうちに避けていたからである。

「……資料を、雑に扱わないでくれる?」

 碧季が、ぴたりと梢永の背後に立ち、目を細めて言った。声に棘があるというよりも、刃物のような冷たい直線で切りつけるタイプの鋭さだ。

「え……? 誰……って、あっ……」

 梢永はぱっと顔を上げ、目を見開いた。瞬間、静寂。

「あなた……“背表紙逆並び撲滅委員会”の人……!」

「それはあなたの言葉じゃない? 私はただ、図書室の背表紙の向きを全部統一して並び直しただけ」

「ええっ!? あれ全部やったの!? 一晩で!? しかも、サイズ順と出版順の交差分類だったって噂……!」

「そう。基準は“背の高さと発行年”。あれ以上の配置は存在しないと私は思ってる」

「す、すごい……尊敬と敵意が同時に……!」

「敵意?」

「いや……ほら、私は資料は“発見のまま”に愛したいタイプで……無秩序な棚の中にこそ、運命的な出会いがあるっていうか……カオスを愛してるっていうか……」

「要するに、“片づける気がない”だけでしょう?」

「ひどい!! いや、正しいけど!!」

 図書室の空気が一瞬凍りつくような緊張感に包まれた。しかし、なぜかその緊張は、すぐに解けた。

「……面白い。あなた、資料の取り扱いは雑だけど、内容はちゃんと把握してるのね」

「え? あ、うん。私、一度読んだ資料は頭の中に保存してるから、物理的にはわりとぞんざいな扱いしがちだけど、リスペクトは……あるのよ!」

「見せて」

「え、なにを?」

「その“保存”。ちゃんと記憶してるなら、第三資料室の“奇譚目録”を、冒頭から十行」

「ええええええ!? いきなりクイズ形式!? えっと……」

 梢永はあたふたしながらも、ぽつぽつと語り始める。碧季は腕を組み、目を閉じて聞いていたが、やがて小さく頷いた。

「……確かに、正確。中略の位置も、誤字修正前の版の記憶まで持ってるとは。変態ね」

「ほ、褒めてる?」

「まあ、悪くはないわね。同類ということで」

 その瞬間、二人の間に奇妙な共鳴が走った。

(こ、これは……!)

(やだ……この人、分類派なのに、わかる……)

 こうして、“偶然の邂逅”は静かに成立した。だがそれは、まだ“嵐の前の整頓”でしかなかった。




 その翌日。教室の窓際、梢永は興奮冷めやらぬ様子で机にしがみついていた。手には昨日、碧季から受け取った“分類系オタク必携の自作データシート”が握られている。全ページにびっしりと書かれた蔵書の分類コード、整理方法、メタデータ、発行年代別の相関グラフ、さらに“表紙の手触り指数”まで――その執念深さに梢永は震えていた。

「この人……ただの整理好きとかいうレベルじゃない……分類魔……!」

「悪口なのか褒めてるのかはっきりしろよ」

 通りすがりの俊輔がまたも無情にツッコミを入れたが、梢永はもはや聞いちゃいない。目の前に並べられた「梢永個人蔵書リスト」は既に50冊を超えており、それら一冊ずつに碧季が赤ペンで“整理指導”を入れていた。

「“同一シリーズなのに判型が揃っていない”“背表紙の書体がバラバラで不快”“帯が破れてるのに補修せず保管は無慈悲”……あああああッ! 図星の嵐ッ!!」

「まあ……確かに、それは刺さるかもな」

「でも……これが、たまらない……! 自分の甘さを炙り出してくれるこの客観視点……! これが……コレクター同士の“愛のぶつかり合い”ッ!」

「違うよね? ぜったい違う愛だよね?」

 俊輔は完全に引き気味だった。だが、それでも二人の関係は不思議なペースで加速していた。

 その日の放課後、図書室――いや、すでに「梢永×碧季コレクター会議室」と化しつつあるその空間では、今まさにコレクター頂上会談が開かれていた。机の上には無数の古書、冊子、ラベル、ブックカバーの断片、さらには謎の消しゴムスタンプまで並べられている。

「“透明カバーをかける派”か“そのまま裸保存派”か、これは根本的な価値観の相違があると思うの」

「確かに、だが私は“裸保存派”ではない。“風合いを損なわない最小限の保護”派よ」

「えっ……それって……私と同じ……!」

「あなた、たまに“オタクの全肯定”に走る節があるわね。危ういわよ」

「す、すみません……たまに嬉しすぎて脳内パレードが始まってしまって……!」

 二人の会話は他の誰にも理解できないコードで交わされ、まるで古代言語のように教室の片隅で反響していた。そこに、ぽつんと座っていた麻友菜が、おにぎりを片手に首をかしげながら聞いた。

「ねえ、これって……付き合ってるの?」

「「違う!!」」

 完璧なハモりで否定された。

「……でもなんか、楽しそうね」

 その一言に、梢永と碧季は一瞬だけ視線を合わせた。そこにあったのは、互いの手の中にしかない“収集”の熱。カテゴリーも目的も違うが、求めている“希少な共鳴”だけがぴたりと一致していた。

「で、今度の土曜。“黄昏市立図書倉庫”の古書放出会、行く?」

「もちろん行く。開場一時間前から並ぶつもり」

「私、徹夜で前乗りするつもりだったけど……じゃあ、駅で待ち合わせする?」

「了解。時刻は07:45。正面口、改札脇の自販機前」

「……やば、嬉しすぎて情報過多で鼻血出そう」

「出さないで。資料に飛んだら殺すわ」

 こうして、“分類と混沌”のコレクターコンビは誕生した。以降、学園では二人をこう呼ぶ者も現れた――

「異能整理収集女史コンビ」

 あるいはもっと俗っぽく、

「本棚デート常連組」

 だが二人にとって、そのどれもが問題ではなかった。ただ、自分の大切な“収集対象”を語り合える相手がいる。そのことが、何より心を満たしてくれるのだった。

 翌朝、教室に入るなり、俊輔が溜息をついた。

「……また教卓の上に謎の資料タワーが建ってる……。しかも“縦書きと横書きの親和性を検証する仮設展示”ってなんだよ」

「いいでしょ?」と、梢永が満面の笑みを浮かべた。

「何が?」

「異能ってさ、“すごい力”じゃなくて、“好き”を突き詰めた結果でもいいんだなって」

 俊輔は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに微笑んで、うんと頷いた。

 黄昏学園には今日もまた、一つの“好き”が暴走して生まれた奇跡が静かに転がっている。たとえそれが、誰にも理解されないカタログの話でも、古書の手触りでも。

 そして二人は、どこまでも楽しげに、今日も“未分類”の未来へ突き進んでいくのだった。

(第5話『梢永と碧季のオタク的邂逅』完)

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