第18話 糾問会 前編

「全てを否認する」


 将典の否定する言葉で、堂内にざわめきのうねりが生まれた。


「澤渡は糾問会に楯突くのか?」「澤渡の御曹司が宏徳寺の次期貫主に逆らったぞ」「没落貴族が世俗派の坊主に歯向かった」「貴族と坊主の戦だ」


 背後で囁かれる呟きを、将典は意に介さない。


 ――「華美を極め、贅沢を貪り」とは砂糖が入った甘い物を食べたことか。

 ――「困窮した隣人に手を差し伸べることなく」とは祥雲院への寄進を拒否したことか。

 ――「仏の教えを悪戯に曲解し、あまつさえ、無辜の隣人に偽りを囁いたゆえ」とはあんたの洗脳から抜け出したことか。

 ――けれど、口にしているのは抽象的なことだけ。具体的なことには何も触れていない。

 ――それでも、何も知らずに聞けば、悪しき貴族を体現したような中身だな。

 ――そんな悪を糾弾する「正義」。

 ――さぞや、気分が良かろう。


 下条の目を見据える。


 ――だが、違う。

 ――真実を白日の下にさらさなければならない。


 すぅ、とひとつ息を吸って、


「『華美を極め、贅沢を貪り』と仰られたが、誓って、贅沢に耽ったことはない。最近行った大きな投資は江都屋敷の厨房設備を20年ぶりに交換したことだ。その前となると、ひと月前の先代澤渡伯爵である我が母の葬儀費用になる」


「まさか」「澤渡伯爵家ともあろう家がその程度しか金を使っていないのか」「嘘だろう」「先代伯爵の葬儀は宏徳寺では行われていないぞ」「亡くなられてからまだ1か月だ。法要が行われるのはまだ先だろう」


「代を継承してからまだ日が浅く、年も若いゆえに、大人たちの目が厳しく、金を使わせてくれん。それ以前も、母の目と学生の身分ゆえに、使い所がなかった」


 背後から聞こえてくる囁きに合わせて、少し自虐的な言葉も使ってみた。


 けれど、それはここまで。次は胸を張って主張する。


「それなのに、どうして華美を極め、贅沢を貪ることが出来ようか」


「澤渡の当代が遊び歩いていた話は聞いたことがないな」「新聞でも取り上げられたのはここ最近だ」「澤渡の醜聞の話はよく聞いたがな」


 眉を顰めたくなる囁きも聞こえたが、無視する。


「それと『困窮した隣人に手を差し伸べることなく』とは、祥雲院への寄進を保留にしたことですかな」


「保留?」「けちくせえことしやがる」「貴族様にははした金だろ」


 後ろの囁き声の風向きが悪くなるが、ここは気にせず、続ける。


「流石の高僧下条玄悔殿の求めと言えども、当家の1年間の収入に相当する金額を求められれば、保留せざるを得ませぬ。後見人たる叔父と相談の上、返事をさせていただく。そう返答したはず」


「伯爵様の1年間の収入を求めるなんて」「ひでえ」「多すぎだろ」「強欲な世俗派だな」


 風向きがまた変わる。


「改めて、この場を借りて、返答いたす。今回の祥雲院への寄進はお断りする。今後、亡き母の法要を菩提寺として行わせていただく際には謹んで寄進をさせていただくが、先年は多額の寄進を行っており、さらなる寄進、それも用途が不明瞭な寄進の求めにはこれ以上お応えしかねる」


「はっ! ざまあねえな」「業突く張りにはいい気味だ」「流石は先々代の澤渡様のお孫様だ」「ご立派だ」


 こんな囁きは下条の耳にもはっきりと届いているだろうことが、将典の目にも見て取れた。


 その表情は最初と変わらず僧侶らしい柔和で落ち着いていたが、下条の目は苛立ちと怒りで満ちあふれていた。


 ――飼い犬に手を噛まれた、とでも思っているのか?

 ――私はお前の飼い犬に堕ちることは決してない。


 とはいえ、背後の囁きの全てが将典に好意的というわけではない。


「小僧のくせに生意気な」「お坊様に楯突く破戒者め」「けっ。涼しい顔をしてやがる。ムカつく」「どうせ、裏では俺たち下々の人間ことなんか蔑んでやがるんだろ」「当然だね。人を人と見ない冷たいヤツらばかりだよ」「お貴族様というのはな、家族の情も無視する血も涙もない情け容赦ないヤツラばかりだ」「人の皮を被った化け物さ」


 むしろ、このような敵意を持った囁きの方が多い。


 それでも、動揺することなく、冷静に、将典は下条と相対する。


 この態度も逆なでするのか、下条のこめかみが引きつり始めた。


 けれど、下条は何もなかったように平静を装って顎を引くと、再び口を開く。


「ならば、澤渡将典が民を虐げ、不正に手を染めている証を立てるとしよう」


 ――仏の教えの曲解と隣人への偽りの囁きについての私の反論はまだだぞ。

 ――焦ったな、下条。


「出てまいれ!」


 下条の顔が向いた方向に、将典も視線を送ると、一人の男が立ち上がって前に進み出ようとしていた。


「紹介しよ……」


 下条の言葉にかぶせるように、将典も口を開く。


「川上一夫だな。先日まで当家の江都屋敷で働いていた使用人だ」


 緊張を浮かべていた川上の顔がギョッとしたものに変わった。


 ――覚えられていない、とでも思っていたのか。


「別に、お前が屋敷の中で横領を働いてクビにしたから覚えているわけではないぞ。澤渡の家で働いてくれる使用人の顔と名前はすべて覚えている」


 「横領を働いてクビにした」のところで、堂内のざわめきがひときわ大きくなる。


「本当か?」「見ろよ、あの顔。図星を突かれた顔だぜ」「なぜ、そのような男がこの場にいる?」「そんな話聞いたことがないぞ」「温情をかけたのか。次の雇先が見つかるように内々で済ませたのだろ」「醜聞を表に出したくなくて、もみ消したんだろ」「どっちにしろ胡散臭いヤツだ」


 ――つい先日のことではないか。忘れるわけがない。

 ――それとも、自分が仕出かしたことを矮小化して、私を逆恨みしたか。


 川上が表情をとりつくろって、神妙な表情をした。


「確かに、私は罪を犯しました。取り返しがつかないことですが、私はお屋敷のお金に手を付けてしまいました」


 次いで、堂内の人々に訴えるように声を張り上げる。


「けれど、全ては病気の妹を医者に診せるためにお金が必要だったのです」


 顔を俯かせた。人々の同情を買うように。


 だが、そこに将典が言葉を挟む。


「ふむ。君の兄弟は幼い頃に死んだ弟一人だけ、と聞いていたが。病気の妹がいたとは初耳だ」


 再び川上の顔がギョッとしたものに変わった。


「おい。なんであいつはあんな顔をするんだ?」「知らねえよ」「嘘を吐いていたんだろ」「何の嘘を?」「病気の妹なんかいなかったってことだろ」「じゃあ、どうして金を盗んだんだ?」「大方、酒か賭博か遊郭かなんかで遊びたかったのだろう」「結局は嘘つき野郎だな」


 風向きが変わる。


「なぜ、下条和尚はあんな男を連れてきたんだ?」「それこそ、知らねえよ」「澤渡の坊ちゃんを陥れようとしたんだ」「あんなガキをはめて、なにするんだよ」「澤渡の家が持つ権力狙いだろ」「けっ。結局はあの坊主も生臭だったってわけか」「宏徳寺の次期貫主って持ち上げられていたのにさ」「世俗派なんだから、こんなもんだろ」「それでもさあ……」


 次第にざわめきが収まり、本堂が静寂に包まれた。


 下条のこめかみは先程よりもさらに強く引きつっていた。つうと彼の首筋を汗が一筋流れるのも将典には見えた。


 このように将典は注意の大半を下条に向けていたから、川上の様子にはあまり気を配っていない。


 下条よりも川上の方がもっと追い込まれていたことを見落としていた。

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