第14話 サポートキャラ

「さて、これで終わりだ。残りは叔父上への手紙だけだな」


 将典が仕事机から書斎の窓に目をやると、外は夜の帳が下りていた。とっくの昔に日は暮れて、時折、フクロウの鳴き声が聞こえる。


 夕飯は手紙を書きながら済ませた。左手で持った握り飯を頬張りながら、時に握り飯の中に忍ばされていた梅干しの酸っぱさで顔を歪ませ、あるいは椀に入った味噌汁をすすってホッとしながら、右手で筆を走らせ続けた。


 スーツのジャケットは書斎に入った時に脱いだ。シャツをまくり上げた右腕には、途中から薬を染みこませた湿布を貼ってある。


「お疲れ様でございました」


「礒橋も良く手助けしてくれた。助かった」


 日中、富士子が座っていたソファには康嗣が座り、将典を手伝っていた。手紙の送付先の選定、書く内容の確認に始まり、将典が書き終えれば、書き損じがないかの確認、折りたたんで、宛名を書いた封筒に入れ封蝋をする。


 そのおかげで、将典は手紙を書くことだけに専念できた。


 日中、ホットケーキが置かれたテーブルには、書きあがった手紙が山を作っている。


 手紙は、明朝、康嗣が郵便局へ持って行って、投函する。


 チリン


 両腕を上に上げて背伸びをした後、将典は仕事机の上に置かれた呼び鈴を鳴らした。


「お呼びでしょうか」


 ほとんど間を置かずに、書斎の扉が開く。現れたのは厨房服をまだ着たままの咲哉。


 ――今夜は板家が厨房の夜番か。


 屋敷の夜の警備をする宿直番に夜食を用意し、明朝の朝食の下準備をする役を、料理人たちが交代で担っている。


 本来なら1階の厨房にいるはずの咲哉が2階にいる理由は、


 ――宿直番が見回りに出ているからか、真宙の様子を見ているからか。


「紅茶のお代わりを頼む。それと……」


 ホットケーキを頼もうとした。日中に口にしたフワフワのホットケーキに、さらに蜂蜜をたっぷりかけたものを。


 右腕にズキリと痛みが走った。


 ――そうだ。まだ叔父上に手紙を書かなければならなかった。


「片手でつまめるよう、クッキーを頼む」


 ――洗脳が解けたら、真宙は私と一緒にホットケーキを食べるだろうか。

 ――……いいや! 先々のことは考えるな。今は目の前のことに集中する。


「かしこまりました」


 咲哉は状況を察した顔をすると、恭しく頭を下げた。彼の目には同情と憐れみを浮かんでいた。


 その様子を見てとっても、将典は気にとめない。それよりも、


「他に用件はございませんか」


「真宙の様子は聞いているか?」


「薬によって深く眠っていると伺っています」


「……そうか」


 張りつめていた肩から力が抜ける。でも、その安堵の気持ちが、別の感情も呼び起こす。


 ――私が愚かなせいで真宙を巻き込んでしまった。

 ――……情けない。


 また、右腕にズキリと痛みが走った。


 そのせいで、将典の眉間にしわが刻まれ、


「下がって良いぞ」


 とげとげしい言葉を発してしまう。


「……失礼します」


 咲哉の姿が、扉が閉まるのと同時に、その向こうへ消えた。


 ――八つ当たりをしてしまった。


 机に肘をついて、下を向いてしまう。


『使用人たちから慕われるようになりなさい』


 ――「良き貴族」にはほど遠い。


 しかし、後悔にひたり続ける余裕は将典にはなかった。


 気を取り直して、顔を上げ、


「礒橋。洗脳の治療に詳しい者の心当たりはないか」


 将典に心当たりはなかった。全くないわけではないが、


「もちろん、下条とつながりがある宏徳寺の者たち、それに世俗派の僧侶は除いて、だ」


「そうなると厳しゅうございます。洗脳する行為自体、昨今はあまり知られていないゆえ、禁忌としている宗教界を除くと皆無に近いのではないでしょうか」


「……そうか」


 ――真宙なら心当たりがあっただろうか。


 思わず、将典の口から落胆の溜息が漏れてしまう。


 そんな将典に康嗣が話しかける。


「全円和尚の洗脳行為すら、庶民の間では物語の脚色と思われている程ですからな」


 将典は少し首を傾げながら、康嗣に目を合わせて、


「かの和尚が行ったことは、そんなに荒唐無稽か?」


「一個大隊を全滅させた魔獣をたった1人で倒した話。魔獣の脅威から村人を逃がすために一晩で山に隧道トンネルを作った話。他にもいろいろありますな」


「僧侶として見れば本当かどうか疑ってしまうが、武士として見たら優れた気術の使い手だ」


 刀掛けに掛けられた刀へチラリと視線を送る。刀は将典の先祖が使ったと伝えられている澤渡家伝来の物。


「ご先祖様の偉業を振り返れば、一蹴りで山を砕いたり、星を落として湖を作った、そんな話も伝えられている。それらと比較して可笑しな事績ではない」


 将典の言葉に康嗣は肩をすくめた。


「魔獣の脅威が小さくなった今、とりわけ江都では魔獣はここ200年現れておりませぬゆえ、人々はどれも絵空事に思えるのでしょう」


 返ってきた言葉に、将典の眉間のしわが少し深くなる。


 ――礒橋も絵空事とまではいかなくとも、話半分で聞いているのか。

 ――武士の末裔に仕える者として情けない。

 ――全円和尚の事績が広く流布しているのが、将家の方々の意向であることを知らないのか。

 ――……だが、これも魔獣の脅威がない平和の証なのかもしれない。


 再び溜息を吐きたくなるのは我慢する。


「ところで、洗脳の専門家ですが、滄州で探せば見つかるかもしれませぬ。千里様に問い合わせますか」


「……いや。まずは江都で探したい」


 それは、叔父千里の手を煩わせてしまうことへのためらいよりも、


「真宙をできるだけ早く洗脳から解放させてやりたい」


 時間が経つほど、真宙の心が壊れていくような気がしてならなかった。


 ――もしも、取り返しのつかないことになったら……。


 だから、今、康嗣から向けられる視線の意味にまで、将典は意識が及ばない。


「屋敷の近くをうろついている新聞記者に聞くか。……いや、父の醜聞を散々書きたてたあの者たちに、新しい記事を書く材料を提供することになるか」


「もっと一般的なことならまだしも、洗脳のようなほとんど知られていないことでは、彼らも伝手を持っておりますまい」


「!……それもそうだな」


 独り言をこぼしたつもりで、康嗣から返ってきた言葉に思わず将典は驚きを顔に出してしまう。


 とはいえ、このままでは求めている手掛かりは得られないのだが……。


 カチリ


 頭の中で歯車がかみ合ったような音が立つと、1つの情報が浮かんできた。


 ――「愚者」の知識に「サポートキャラ」などと言うものがあった。

 ――「主人公」なる者を助け支える人物らしい。

 ――その中で、下条に立ち向かう際、力を貸す者がいた。


「……そう言えば、汐入横丁に寿慶院という小さな寺があるらしい。そこの住職『角井了成かどいりょうせい』なる者は医術に長じた優れた僧侶だという、そんな話を聞いたことがある。宗教界では洗脳の治癒に優れた者として密かに知られているともな」


 将典は口に出すことなくまたあれこれと考えてしまう。


 ――だが、これは「愚者」の知識だけでしか聞いたことがない。

 ――住職の名はもちろん、寺の名前すら耳にしたことがない。

 ――もしかすると偽りかもしれない。

 ――……期待してはいけない。


 書斎を照らす天井の照明がジリリと一瞬揺らめいた。


「汐入横丁でございますか。港人足たちがあつまる下町ですな。その中でも、なかなか貧しい者たちが集まる一角と聞いています」


 康嗣の顔が厳しいものになり、そして、考え込むように視線は下を向いた。


 そんな様子を目にした将典は、否定的な意見を言われるか、と心の中で身構えるが、


「ですが、そこなら世俗派はもちろんおらぬでしょうし、宏徳寺とつながりがある寺の中に寿慶院の名を耳にしたこともございませぬ」


 立ち上がった康嗣が力強い目で将典を見つめてくる。


「明朝、手紙を出した足で汐入横丁まで向かってみましょう」


 予想外の強い言葉に、将典は少しだけ気おされてしまう。


「……頼めるか」


「承りました」


 康嗣が将典へ向かって深々と頭を下げた。

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