25話 探偵の述懐
つみきさんは何も言わないまま車は発車した。しかし、特に怒っている様子はない。
運転も安全運転で、横顔にも余裕があった。
大人の余裕か、それともポーカーフェイスか。
「きみの功績を称えてささやかな祝賀会を開こうと思うんだけど、肉と魚、今夜はどっちを食べたい?」
赤信号に捕まったところでそんなことを言う。
「いつも通りの食事なんてつまらないことは言わないでくれよ。こんな日くらいは贅沢をしないと罰が当たる。なにより私の、きみを祝いたいと言う気持ちが蔑ろにされてしまうからね。人の善意は断るよりも受け取った方がお互いにとってプラスだ。断られる前提で善意をチラつかせるような人間とは仲良くなるべきじゃない。そんな非合理的なマナーは符牒以外の意味を持たないんだから」
「つみきさん」
「ああ、悪かったね。きみの質問に答えるのが先だったか」
信号が青に変わり、再び走り出した。
「その代わりきみも考えておくれよ。夕飯の答えをさ」
「それは別に構いませんけど、それよりも――」
「せっかちだねぇ」
つみきさんは口元を嬉しそうに歪ませる。
「優位に立とうと思ったら相手を焦らすことも時には大切だよ? 相手の感情をコントロールできればそれだけで相手を支配できる。もっとも、焦らし過ぎは事故の元だけどね。煽り運転の原因にもなりかねない。さて、事件の真相にいつから気付いていたかという話だったね。ふふふ、きみの言う『はじめから』がどの地点かはわからないけれど、きみの話を聞いた時点でおおよその顛末は推理していたよ。推理してただけで答えは知らないけどね」
「…………」
「ところでぱずる君は、どうしてその結論に至ったんだい? 質問口調の割にはやけに断定的だったけど」
「つみきさん、言わなかったじゃないですか」
「なにを?」
「殺人って言葉ですよ」
僕も正面に顔を向けたまま言う。
「つみきさんだけなんですよ。人殺しとも殺人とも、それに関連する言葉も、この事件に対しては一度も使ってないのは」
「言葉を選んでただけ、とは思わないのかい?」
「思いませんね。そもそもと言えばそもそもなんですけどね、僕でも真相に辿り着ける程度の事件を、つみきさんが解けないはずがないじゃないですか」
「ふふふ、随分と買ってくれるねえ。信頼されてるのかな」
「探偵としての才能だけですよ。他は信用できませんね、特に生活能力」
「そりゃあ残念だ」
そう言いながらも嬉しそうに笑い「けど、根拠が弱くないかい?」と続けた。
「推理推測というよりも予想の範疇だ。決定打に欠ける。それとも、何か決定的な証拠でもこれから披露しようってのかい? だとしたら焦らし方を心得ているね」
「残念ながら」
僕は両手を挙げる。
「おや、そうだったのかい。証拠まで突き付けられてたら私は感動のあまりにキスをしたというのに」
「未成年略取と強制わいせつ、どっちの刑が重いんでしたっけ」
「罪を判断するのは警察の役目だよ」
僕の脅しをつみきさんは苦笑で流す。
今日は本当に機嫌がいいのか終始笑顔だ。
「ということはあれかい、憶測だけでその解に至ったってことでいいのかな?」
「ええ。どんな目的があれば僕を――一介の中学生を事件の探偵役に仕立てるのか推理した結果、一切の証拠はありませんが、それ以外の可能性は無いと踏みました」
「なるほど。ホームズみたいなことを言うね。安全だと知ってるからぱずる君に探偵役をやらせたと、そう踏んだわけだ」
「いいえ?」
「おや?」
「探偵としての才能は信頼してますけど、それ以外の事は信用してません」
「二回も言わなくてもいいじゃないか」
「そんな探偵が、中学生なんかに調査依頼したことが今頃になって気になりましてね。つみきさん、やろうと思えば制服着て潜入調査も出来たんじゃないんですか?」
「三十路過ぎのおばさんのJCファッションなんて見たいかい?」
「女子高生の制服を着て高校に潜入してたんですから、可能でしょう?」
違和感なく制服を着こなす姿がありありと想像できてしまう。なんなら鼠ヶ関みたいにベールまで身に付けそうだ。想像するだけで背筋が凍る。
「こうしてひとつ気付くと他にも不思議なことがありましてね。つみきさんや警察が学校から追い出されたのに、僕らは鍵を借りても何も言われなかった。まるで初めから話が通っていたみたいに。だから考えたんですよ。中学生に探偵役をやらせること、それ自体に意味があったんじゃないんですか?」
車はスピードを緩め、やがて停車した。帰宅ラッシュに嵌ってしまったらしく、前方の車が頑として動かない。
この時季だ、事故渋滞もあり得るか。
「『中学生に探偵役をやらせる』ことの意味ねえ」
意味深に言葉を繰り返す。
「なるほど、面白い考えだ。それで、その意味とは?」
「探偵に焦がれる中学生の夢を潰すため――じゃないことくらいはわかりますよ。無意味ですからね。つみきさんは真相に肉薄していながら事件を解決することなく、引き続き中学生に調査をさせた――いえ、暴かせた。ですか」
ルームミラー越しにつみきさんの口元が一層歪むのが見えた。
「調査程度でなにかが変わるとは思えませんからね。そうですね……たぶんですけど『中学生でも解けた事件』、そのレッテルこそが重要だったんじゃないんですかね。中学生でも解けるような大したことのない事件だった。そう周知させることが目的だったんじゃないんですか?」
「『周知させることが目的だった』がきみの出した答えでいいのかな?」
「……違うんですか?」
「残念ながらハズレだ」
つみきさんは首を横に振った。
前方の車はまだ動きそうもない。
「途中まではよかったよ。実に惜しい、部分点をあげられるならあげたいくらいだ」
「…………」
「そしてもう一つ」
つみきさんはこちらを見て言った。
「答えは私も知らない」
「…………」
そんな答えありか。
「ありなんだよ」
つみきさんは前を向き直し、ブレーキを離してアクセルを軽く踏み込んだ。
「大人には建前で話さなきゃいけない時があるのさ。犯人である前提で機密情報を漏らす様にね」
「ロクでもねえ大人だ」
「探偵なんでね」
探偵じゃなくて詐欺師だ。
「さて、答えを知らない私の推理でよければ披露しようか? ただし、きみにとってはちっとも面白くない、ふざけるなと叫びたくなるような推理であることだけは保証しよう」
面白くないと言いながらどこまでも楽しそうなのはなんでだろうね。真正のサディストなんだろうか。
僕は皮肉るように、
「嫌な保証ですね」
と返した。
「それでも聞くかい?」
「……お願いします」
「ふふ、覚悟はあるようだね」
今以上に嫌な気分にさせる推理なんてそうは無いだろう。
死んだ人間の宗教的価値観を守るために犯罪に走った真夢先輩、という事実を超える推理なんて想像もつかない。
「まず、これは推理じゃなくてきみを巻き込んだ理由だけどね」
「はい」
「ひとことで言えば大人の都合だよ」
「…………」
「『中学生でも解けた事件』というレッテルが欲しかったのは、まあきみの推理通りだ。ただし、あった方がいい程度のレッテルで、目的にするほどのことじゃない。ここまでが確固たる事実、前提条件だ」
確定情報だけでもなかなか酷いことを言っている。
大人の都合で動かされること自体は大して珍しいことじゃないけれど、それを身内の、悲惨な事件のレッテル貼りのためだけに使うなんて。
悪意があると邪推せざるを得ない。
「ああ、忘れてた。色麻不忘学園には有力者の子どもが通っていることも前提だね」
思い出したように付け加えるつみきさん。
生徒なら当たり前に知ってる情報を改めて出されるだけで一気に不穏感が増す。
中学生でも解けた事件というレッテル。
大人の都合。
有力者の子ども。
「そしてここからはただの推理。事実かどうかの保証も無ければ真実も不明だ」
真実は存在しない――と、つみきさんは強調した。
「たとえば警察や学校に顔の利く有力者の子どもが事件に関与していたとしたらどうだろう。深く関与してなかったとしても、その事実――スキャンダルは、有力者としては揉み消したいと思うのは至極普通だ。このご時世、悪評が一度メディアに載ればそれを消すのはほぼ不可能だ。特に有力者の子どもという恵まれた立場なんて、世間のルサンチマンを刺激するには十分過ぎるからね」
嫉妬、劣等感、逆恨み。
SNSに手を出してなくともテレビを見ていればよくわかる。
それが大人の都合で、有力者の子どもか。
「しかし、学校で殺人なんてセンセーショナルな話題、マスコミや噂好きな中学生が見逃すはずもない。情報が漏れるのも時間の問題だ。事件を揉み消そうにも中学生が死んだ事実は決して消えないのだから。ならばどうする。簡単だ、偽の真相を用意すればいい」
一呼吸置いて、悍ましい台詞を続けた。
「被害者の死は自殺で、敬虔な信徒である被害者にとって自殺は最大のタブーで、それを隠し、最期の名誉を守るため、後輩が隠蔽を図って死体を損壊してみせたという、感動的な偽りのストーリーを」
あまりにも醜悪な真相――推理だった。
ふざけるな! と叫びたくなる。
だって、それがカバーストーリーだとしてしまうと――
「そもそもこの事件、きみは被害者を自殺だと決めたけど、その動機はなんだ? 確かに首吊りもメジャーだしドアノブを利用するのもメジャーだ。部室を選んだのだって人目に付かないから、で説明は付くだろう。けれど、お昼休みから死亡推定時刻までの空白の時間は? 顔を潰すだけでも自殺のイメージを十分払拭できるはずなのに、全身を隈なく叩き潰した理由は?」
「それは――」
「まさか、恋する先輩を擁護したい余りに考えてなかったのかい? やれやれ……お昼休みに首吊りに挑戦して、運悪く死ねませんでした。卯遠坂さんがドアノブを引いたことでようやく死ねました――なんて間抜けな推理を披露しなかったことだけが救いだよ」
呆れたような、意地の悪い口調でつみきさんは言う。
返す言葉もない。
「卯遠坂さんはこれから自首するだろう。警察よりも先に真相を突き止めた中学生のきみに促されたという体でね。世間は何と思うかな。お手柄の中学生? 無能な警察? いずれにしたって思うはずだ、その偽物のストーリーは本物なんだと。あっという間に真相は闇の中。有力者の都合の良いように警察は動き、加害者もそう証言し、自首を促した探偵も同じストーリーを語るのだから」
「…………」
「さて、被害者の鮫さんは本当に自殺だったのか。真犯人は卯遠坂さんだったのか。動機は先輩の名誉を守るためでいいのかな?」
「…………」
僕は……何も返せなかった。
そんなものただの推理で、決定的証拠は無くて、ただの揚げ足取りでしかない。
真実もへったくれもない。
僕の推理は間違っていた?
真夢先輩は嘘をついていた?
真実は何だ?
何も――分からない。
僕は、何を間違えた?
「以上が私の考える推理だけどね、感想はどうだい?」
「……最悪ですよ」
「ま、そうだろうね。だから探偵ってのは割に合わないんだ」
僕は溜息をつき、つみきさんは肩を竦めた。
「以上が私の推理だけど、質問はあるかい? 改めて実在の人物、団体等とは一切関係ないことは注釈を入れておこう。証拠なんてどこにも無いのだから」
「…………」
「無いなら食べたいものでも構わないよ?」
散々人を傷つけた後でもなお、明るい表情でそんなことを言う。
「どこまでが――」
「うん?」
「どこまでが、つみきさんの仕事なんですか?」
こんなこと無駄だと思いつつも、僕は尋ねずにはいられなかった。
「その推理、僕が探偵役を買って出なきゃ成り立たなくて、それを扇動したのはつみきさんだ。どこまでがつみきさんの仕事なんですか?」
「守秘義務――と言いたいところだけれど、きみの頑張りに敬意を表して答えようじゃないか」
そう言って笑って答えた。
「子供たちの将来を守るのが私の仕事さ」
「……聞かなきゃよかった」
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