21話 病院にて
救急車で搬送された僕はやたら仰々しい機械に通され、中学生の心をくすぐるSF体験をした後、車椅子で病室へと運ばれた。
大事を取っての一日入院だそうだ。頭殴られて気絶したのに『大事を取って』で済むなんて、僕の悪運も捨てたもんじゃない。襲われた時点でいいも悪いも無いけど。
「おや、もう起きてたのかい。おっとり刀で見舞いに来たのに心配して損した気分だ」
病室へ入ってくるなり、つみきさんは言った。どこで買ったのか見たことのない――そして身長のせいであまり似合わない――真新しいカーキ色のトレンチコートを着て、手にはスーパーの袋を下げている。
「生憎、救急車に乗る直前で目が覚めましてね。おかげで『知らない天上だ……』ってやれる貴重な機会を逃しましたよ」
「もうそれだけ強がりが言えるなら重畳だ」
つみきさんは軽く笑って、見舞客用の椅子に腰を下ろした。
実際強がりだ。殴られた頭の痛みも、倒れた際にぶつけた鼻の痛みもずっと残ってる。なんなら痛みを誤魔化すために暴れたいくらいだけど、残念ながらそれを選ばない程度には僕の理性は残ってたし、許されるような年齢でもなかった。
「ところでつみきさん」
読んでいた生徒手帳をベッド脇の棚に置き、改めてつみきさんへ身体を向ける。
「僕は救急車自体初めてなんですけど、こういう時って個室に入院するものなんですか?」
「私に常識を尋ねてるんだとしたらお門違いだよ。疑問に答えると個室なのは私がお金を出して移してもらっただけの話さ。知らない人がいたんじゃゆっくり話も出来ないだろう? ところでぱずる君、リンゴ買ってきたんだけど食べるかい?」
そう言ってスーパーの袋からリンゴと、未開封のリンゴスライサーを取り出した。
はて、おっとり刀と言ってたのは聞き違いだろうか。とても買い物途中で連絡が入った風には見えないが。
いやそもそも、そのスライサーでどうやってリンゴを切るつもりだ。考えなしに病室を汚すつもりか。
「夕食前なんで遠慮しますよ」
「そうかい? 看病といえばリンゴだと思ったんだけど、看病のしがいが無いねえ」
「つみきさんに看病されるくらいなら自力で治しますよ」
つみきさんは鼻で笑い、僕は肩を竦めた。
この人に看病されるなんて考えただけで胃が痛くなる。
「それで、きみを殴った犯人に心当たりは?」
「残念ながら」
予想していた唐突な質問に、僕は首を横に振る。
「背後から襲われて気絶したんで、特定できるような情報は何にもありませんよ」
「ひょっとして殴られた後遺症が残ってるのかな。心当たりを尋ねただけで、犯人を見たかどうかなんて聞いてないよ」
ふふふ、と嫌らしく笑う。
「その様子じゃ言いたくないだけで、確かな心当たりがあるようだね。言いにくいようなら言わなくても結構、きみのその反応が何よりも雄弁に語ってる」
「……ほんといい性格してますよね、つみきさんって。そういうところですよ、結婚できないのは」
「こんなところでも余計なことが言える
つみきさんは立ち上がると、リンゴの入った袋を僕の腹へ落とす様に置いた。布団のおかげ大してダメージは無かったけど、怪我人に対する態度じゃない。見舞に来た人に言う台詞でもないけど。
「ところでこれは大した話じゃないんだけど、救急車が到着した時には通報者がいなくなってたみたいでね」
椅子に座り直し、つみきさんは続ける。
「まあよくあるらしいよ、面倒事に巻き込まれるのが嫌で通報だけしてその場を去るっていうのは。その人がいなきゃ今頃きみは冷凍マグロになってたわけだから、足を向けては眠れないね。是非とも会ってお礼を言いたいよ」
「逮捕の間違いじゃなくてですか?」
「逮捕? なんの話だい?」
ニヤニヤとした顔で白々しいことを言う。
新雪だってここまで白くはない。
「とぼけないでください。この流れでつみきさんが全く関係ない話なんてするはずないことくらい、さすがにわかりますよ」
つみきさんの連絡先を伝えてから現れるまで、結構な時間が経っている。帰宅ラッシュに巻き込まれたにしたって、部屋からこの病院までは二十分とかからないはずだ。大方ここへ来る前に現場を見てきたんだろう。見舞いの品は差し詰め、遅れた理由にでもするつもりだったか。
「おいおい、まさかそんな理由だけで命の恩人を犯人呼ばわりかい? 濡れ衣着せるにしたってもうちょっとやりようがあるだろう」
言葉とは裏腹に声は子どもみたいに弾んでいた。完全に面白がっている。
「まったく、なんの根拠も無しに人を疑うなんて、人としてどうかしてるよ」
「探偵に言われちゃ形無しですよ」
僕は軽く溜息をついた。
「……根拠が無いわけじゃないんですよ。牽強付会だと言われたらその通りなんですけど」
「聞かせてくれるかい、その推理を」
つみきさんは目を細める。
「推理って言うほどのものじゃありませんよ。ただ、僕を襲った犯人が通報した人間だとした場合、その合理性の無さが学校の事件と似てるなと感じたんですよ」
「合理性の無さ」
「ええ。もっと言っちゃうと、連続殺人かもしれないなんて先輩が話してましてね――その話がありながら僕は被害に遭ったわけですが。ともあれ、本命と間違えて僕を襲った犯人が自責の念に囚われて通報した、なんてストーリーよりかは現実的です」
「偶然通り魔に襲われて、たまたま通りがかった善意の第三者が通報して立ち去ったよりも?」
「その場合はこの町の治安を疑いますよ。どれだけ悪いんですか」
「探偵のいるところは治安が悪いと相場は決まってるよ」
「それはフィクションだけです」
つみきさんの茶々に付き合いながら、僕は思考する。僕を襲いながらわざわざ救急車を呼んだ犯人の目的を。
僕を襲った時点で目的が達成されているのなら救急車を呼ぶなんて手間をかける必要はないわけで。それこそフィクションでよくあるパターンとしては、あえて罪を犯すことでアリバイを立証する方法だけれど、殺人未遂を犯してまで守る価値があるアリバイなんて現実的じゃない。犯人が思い付きだけで行動しているか、多重人格――つまりは考え無しの行動――だって方がまだ納得できる。
でないと犯人は無意味にリスクを冒してるだけになる。
リスクこそがリターン――スリルを味わってるだけの愉快犯とも思えない。
……うーん。
そもそもこの推理自体が的外れなのか?
「つみきさんの考える犯人の性格、教えてもらってもいいですか?」
僕は素直に言った。こういう時に頼るべきは大人だ。
「性格? 動機じゃなくて?」
「動機でもいいんですけど、なんていうか……スッキリしないんですよ。共通点があったから同一犯だって決めたまではいいんですけど、その共通点って矛盾した行動があるってところなんですよね。矛盾してるから同一人物だ、って決めつけるのもなんだか矛盾してるみたいで気持ち悪いっていうか、座りが悪い」
「むしゃくしゃしてやった。後悔してる――みたいな思春期特有の不安定な感情に起因するものじゃあ駄目かい?」
「不安定すぎでしょう。二重人格ですか」
「事件から性格診断するよりも、血液型占いを信じるかどうかで性格を診断した方が有益だよ」
つみきさんは笑う。
「動機にしたって必要だから行動に移したと考えるのが一番だ。ぱずる君、きみは複雑に捉えすぎだよ。もう少しシンプルに考えた方が良い」
「シンプルですか」
「シンプルに捉えればわかるものでもないけどね。少なくとも脳の負担が減るし、空いたリソースを別な部分に回せるのはメリットだ」
「考えるだけ無駄だと?」
「言っただろう? きみには情報収集をお願いしたいと」
「……推理は余計でしたね」
「そうへこむなよ。きみの能力に期待して情報収集を依頼したんだから」
「期待してたところ申し訳ないんですが、なんの報告も出来ません」
僕は両手を上げて言った。
「精々さっき言ったことぐらいで、それ以外に参考になりそうなものはありません」
「なるほど。そういうことか」つみきさんは楽しそうに言う。
「調査結果が芳しくないから推理で補填しようとしたわけだ。出来なくて当然のことを恥じるばかりか他の手段で補おうとするなんて、きみは素晴らしい努力家だよ。今まで便利だけど口うるさい家政婦だと思っていた自分を恥じるばかりだ」
「一生恥じてください」
居候ですらなかったのかよ僕の認識は。
中学生を家政婦扱いするな。
ヤングケアラーは深刻な社会問題なんだぞ。
「私もこんなところで社会問題なんて論じるつもりはないさ。それにきみの場合は自分を犠牲にしちゃいないだろう。私は毎日外食店屋物だって構わないんだよ」
「居候の身でそんな贅沢は出来ませんよ。掃除洗濯だってつみきさんがちゃんとしてないから僕がやってるだけで、まあ確かに、自己犠牲とは程遠いですね――掃除はともかく洗濯物くらいはちゃんと仕舞ってください。僕は家政婦じゃなくて思春期男子なんですからね!」
事のついでに言いたいことをぶちまけた。
つみきさんは「今度から気を付けるよ」と若干引き気味に言った。引いてるのは僕の方だということをこの人はいつになったら理解するんだろうか――
……うん?
あれって、そういうことなのか?
頭の中で事件の全容を、新しい視点を踏まえて組み直す。
矛盾だらけの行動。
道理に外れた暴力。
「……つみきさん」
「今度はどんな文句だい」
「事件当日。蛇平先輩って学校に来てたかどうかって調べられますか?」
「調べるまでもなく知ってるよ。彼はお昼に来てそのままお昼の時間に帰ってる。それがどうかしたのかい?」
「どうもしませんよ。精々犯人が特定できたくらいです」
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