第29話


 花南が泣き疲れて眠ったあと、光留は自分の実家に連絡を入れた。

 光留の父・勇希と母・朱鷺子は、花南との関係を応援してくれている。そのため結婚に関する不安はないが、今回の出来事はやはり報告が必要だ。

『そう……。私も、あとで鎮魂舞を送らせてもらうわ。それとは別に、ちゃんとお葬式には呼んでちょうだい』

 朱鷺子は凰鳴神社の筆頭巫女だ。巫女姫である蝶子には劣るものの、現在凰鳴神社に所属する巫女の中では最も霊力が高い。

 とても四十路を過ぎているとは思えない溌溂さに、息子である光留の方が辟易することもある。

 そんな朱鷺子が遠く離れた場所からでも鎮魂舞を捧げると言うのだから、きっと花南の両親の旅路は安らかなものになるだろう。

「うん、ありがとう」

『どういたしまして。光留、ちゃんと花南ちゃんを支えてあげなさいよ。叔父さんには帰りが遅くなるって私から伝えておくわ』

「助かる」

 人手不足の凰鳴神社において、次期跡取りの光留が長期間抜けるのは大きな痛手だ。だが、婚約者である花南の家族に不幸があったのなら、光留がそばにいるのは当然のことだし、何より光留自身が花南のそばにいたいと思っている。

 だから朱鷺子の申し出はすごくありがたいし、本当に頭が上がらない。

『あんたも、あまり無理しちゃだめよ。花南ちゃんのために頑張るのはいいけど、ほどほどにね』

「わかってるよ。……お袋、いつもありがとう」

『なぁに、急に。母の日には少し早いわよ?』

「別にいいだろ。花南が起きそうだから、もう切るよ」

『はいはい。帰ってきたら一度うちに寄りなさい、花南ちゃんと一緒にね』

「うん、わかった」

 通話が切れると、眠っていた花南がもぞもぞと身体を動かす。

「んぅ……、み、つるく……ん?」

 寝起きで舌足らずな声が、光留の名を呼ぶ。

「おはよう、花南」

 寝ぼけている花南が可愛くて、小さく微笑む。

 まだ少し腫れている目元を、光留はそっと指で撫でながら尋ねた。

「起きられそう?」

 花南は何度か瞬きをしてから、こくんと頷く。

「無理はしなくていいよ。今日も多分、いろいろ忙しくなるから」

 まずは、家に残されている母親の遺体をどうにかしなければならない。

 そして、姿を消した父親についても。

 おそらく警察沙汰になるだろう。だが、悪霊だとか落神だとか言っても普通の人は信じてもらえない。

 事実を伏せたうえで、辻褄の合う説明をするしかない。

 当事者である花南と光留は、厳しい目を向けられることになるだろう。

 花南の心情を思えば、もう少し寝かせてあげたいくらいだ。

「わたし、どれくらい寝てたの?」

「三時間くらいかな。まだ朝食には間に合うけど、この時間ならもう少し寝て昼食の方がいいかも」

「光留君は……?」

「俺は二撤くらいなら平気だから」

 蝶子と共に落神退治をしているうちに、夜間の行動は日常になった。徹夜にも慣れている。

 とはいえ、眠いことに変わりはないのだが。

「寝ないの?」

「うん。花南の寝顔が可愛いから、寝るのがもったいなくて」

 光留の言葉に花南は恥ずかしそうに枕に顔を埋める。

「……恥ずかしい」

 その仕草が愛おしくて、思わず笑みがこぼれる。

「そんな花南も好きだよ」

 光留の手が、優しく頭を撫でる。

「もう少し寝る?」

「……起きます」

「わかった。じゃあ俺、隣にいるから何かあったら呼んで?」

 光留の気遣いが嬉しくて、優しくて。甘く穏やかなこの時間は、まるで昨日のことが嘘のように思えた。

 ふたりは着替え、朝食をとりながら、今後の段取りについて話し合う。

「一応、救急車を呼ぶ。多分、警察も来ると思う」

「そうだよね……普通に変死体だもんね……」

「うん。蝶子の刀で斬ったから、外傷はあまりないと思うけど、落神に喰われてるから……」

 人間が落神に喰われる際、まず魂を奪われる。次に、一定まで侵蝕されると、内臓が食い荒らされていく。

 最終的には皮だけになり、その姿のまま新たな獲物を求めて彷徨う。

 それ故に、完全に喰われた父親は、遺体が残らなかった。

「お父さんは、行方不明扱いにするしか……ないのかな」

「うん。遺体が無いから、説明も出来ないし。……ごめん」

 法的なこととなれば、光留個人の力ではどうにもならない。

 葬儀を執り行うにも、父親が死亡しているという証拠が存在しないのだ。

「そんなっ! 光留君が謝ることじゃないよっ! それに、仕方ないことだってわかってるから」

 花南は、光留の手をぎゅっと握る。

「それよりも、光留くんが犯罪者みたいに扱われるのがイヤ。光留君と蝶子ちゃんは、お父さんとお母さんを救ってくれたんだもん。だから、そっちのほうが大事」

 花南が気丈に微笑んで見せる。

「ありがとう」

「ふふ、どういたしまして」

 食事を終えたふたりはホテルを出て、花南の実家へ向かった。

 周囲は昨日とは打って変わって静かで、まるで日常が戻ってきたかのようだった。

 家の中に入ると、惨状はそのままで、遺体も変わらずそこにあった。

 こみ上げてくるものがあったが、光留に手を握ってもらうと、不思議と気持ちが落ち着いた。

 光留が救急車を呼ぶと、十分ほどで到着した救急隊が遺体の異様な姿を目にして、顔色を失った。

 その後、病院へ搬送され、救急隊からの通報で警察もやって来た。

 そこからは、光留が予想していた通りの怒涛の展開となった。

 あの家の惨状。落神退治のために家具を蹴散らしたこともあり、強盗事件と見なされたのかもしれない。

 光留と花南は事情聴取を受け、事件は変死体発見としてテレビでも報道される事態に発展した。

 その余波は光留の実家にまで及ぶ。

 だが、勇希も朱鷺子も、落神に喰われた遺体がどうなるのかを理解しており、動じることなく、息子と婚約者の無実を訴え続けた。

 花南の母親の遺体は司法解剖され、その結果、人間の手によるものとは思えないと判断されるまで。

 ふたりは、数日間、拘束されることとなった。

「あー、やっと解放されたぁ!」

「おかえりなさい、光留君。お疲れ様」

「うん、ただいま、花南」

 花南も警察に事情聴取されていたが、光留のほうが拘束時間は長かった。

 花南の婚約者であることから、両親に結婚を反対されて揉めた末の凶行だと疑われたのだ。

 だが花南は、遺体の状況や家の様子からして女性一人の犯行とは考えにくいと判断され、比較的早い段階で解放された。そのことに光留は心から安堵した。

 だが、解放されたからといってすべてが終わったわけではない。

 今度は母親の葬儀を執り行わなければならなかった。

 先に解放された花南が、すでに手続きを進めてくれているという。

 光留は葬儀の日程を実家に伝えると同時に、喪服を持ってきてもらうよう頼むつもりだ。

 父親は依然として行方不明扱いとなっていた。

 遺体が見つからない以上、死亡と断定することはできないのだ。

 葬儀は近所の人たちも協力してくれた。

「花南ちゃん!」

「お義母さま、お義父さま」

 葬儀の日の朝、朱鷺子たちが駆けつけてくれた。

「辛かったわね。それと、よく頑張ったわね……」

 受付の準備をしていた花南を見るなり、朱鷺子は彼女をぎゅっと抱き締める。

「お袋、花南が苦しそうだからそろそろ放してやれ」

「嫌よ。こんなに可愛い花南ちゃんが辛い目に遭ったと思うと……これじゃ足りないくらいよ!」

 実の娘のように可愛がっている花南の身に起きた出来事だ。

 亡くなった彼女の母親の分まで甘やかしたいのだろう。

 両親と花南の仲が良いのはありがたいことだが、光留としては何とも言えない気持ちになる。

「なぁに、光留。羨ましいの?」

 朱鷺子は意地悪く笑う。

 そうだけど、と言ってやりたい。

「まあまあ、朱鷺子さんもその辺にしておいて。花南ちゃんも忙しいんだから」

 勇希が間に入ると、朱鷺子はようやく花南を解放した。

「花南ちゃん、私たちに手伝えることがあったら何でも言ってね。もちろん、光留はこき使っていいから。馬車馬のように働かせちゃって。花南ちゃんのためなら、きっと喜んで動くわ」

 朱鷺子の視線が光留に突き刺さる。

「言われなくても分かってるよ」

「ならいいわ。私たちは花南ちゃんのご親族にご挨拶してくるわね」

 そう言って、夫婦は会場の方へと向かっていった。

「悪いな、お袋が」

「ううん、とっても心強いよ」

 これから家族となる朱鷺子や勇希が、花南にとって心の支えになってくれているのは何よりだった。

 受付を近所の人に任せ、花南と光留は控室に行く。

「お母さんの魂は、もう旅立ってるんだよね」

「ああ、蝶子が送ったから今頃魂を癒す禊の期間か、転生の輪に戻っていると思う」

 最期に魂だけでも会いたかった、という花南の気持ちが痛いほどに伝わってくる。

 葬儀の喪主を務めるため、気を張っているだろう花南のそばにいることしかできない自分が、少しもどかしい。

「式まで少しあるから、花南、少し休もう」

「でも……」

「式の最中に花南が倒れたら、俺が泣くから」

 光留が真剣な顔で言うと、花南は小さく笑った。

「それは、困っちゃうね。……うん、ありがとう光留君。光留君がいてくれて、良かった」

 それから少しして葬儀が始まり、数時間後には式は恙なく終わった。

 

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