第22話
月夜や蝶子との会話で、花南の先祖が神職、或いは巫女の可能性が浮上した。
「え? ご先祖様?」
「うん。ほら、前にも言ったけど俺の両親の先祖は神様に仕える一族の家系だって話しただろ? だから俺も凰鳴神社の跡取りになったわけだけど」
「うーん、確かに実家の近くに神社があって、おばあちゃんはそこの氏子さんだったけど……」
花南にそれとなく聞いてみれば、やはりあの家の近くには神社があるらしい。
しかし、花南の歯切れの悪い様子に、光留は首を傾げた。
神職は血縁相続が多い。もちろん現代では後継者不足が問題になっているが、凰鳴神社は「巫女」と「守り人」という特殊な役割があるため、今も血縁での継承が続いていた。
現在の宮司は光留の大叔父である槻夜正司だが、数年後には光留が宮司になる予定だ。
だから遠慮しているのだろうか、或いは両親は信心深い祖母とは折り合いが悪かったのだろうか。と光留は考えたのだが。
「ご両親は氏子じゃなかったとか?」
「あの、そういうのじゃなくて……。もう、その神社無いの」
「無い?」
「そう。おばあちゃんが亡くなった後、お世話する人が減ったの。それで、わたしが上京する少し前かな? 後継者がいないって理由で廃神社になっちゃったの」
花南は携帯を手に取り、マップでその場所を検索する。
マップ上は駐車場だが、画像は更新されていないのか寂れた神社が写っている。
「ここ。今はもう駐車場だけど、明日行ってみる?」
「いいの?」
花南はこくりと頷く。
「光留君は、お父さんとお母さんを助けようとしてくれてるんでしょう? だったら、わたしも出来ることをしたい」
光留に助けられてばかりの自分ではいたくない。
光留みたいな力は無くても、彼の心を支えられる存在でありたい。
何より、光留に重い決断を任せ、自分が安全なところで彼を責めるような卑怯な女にはなりたくなかった。
(わたしは、光留君が好き。誰にも渡したくない……)
光留は花南に優しくて、たくさんの愛情を注いでくれる。霊感体質のせいで誰にも理解されなかった花南を唯一理解してくれる。
この心地良さを知ってしまったら、手放すのが怖い。
何よりも、光留のいない人生など考えたくない。
(お父さんも、お母さんも多分助からない。でも、その決断を光留君ひとりにさせたくない)
霊的なことはいまだによくわからないし、現実を直視するのも怖い。
光留は花南の負担になるなら大きな手で花南の目を覆って、見なくていいと優しく言ってくれる。
それに甘えてしまいたい自分と、それではダメだと思う自分がいる。
どちらも本当だけれど、これから先、光留を支えていくのであれば、彼の心に恥じない自分でありたい。
「それとも、駐車場じゃもう何も手がかりはないかな?」
「どうだろう……。土地に根付くものだったらもしかしたら神様の残滓くらいはあるかもしれないし。祠とかあればいいけど」
「祠……」
上京するまではかつてあったこの神社で、花南も厄除けのお守りを購入していた。
上京してからは凰鳴神社の、特に光留のお札にお世話になりっぱなしだったので、今どうなっているのかわからない。
「ごめんなさい、覚えてないの……」
「気にすることないよ。それに、今時廃神社になるのは珍しくないし。となると、ご神体もどこか移送されたかな……?」
光留が何気なく漏らした言葉に、花南はふと思い出した。
「そう言えば、あの神社のお掃除とかって、町内の当番制だったの。確か、無くなる直前の当番はうちだったから、もしかしたらお父さんかお母さんが……」
そこまで言って花南はまたしょんぼりと肩を落とす。
「あああ! ごめん、花南、嫌なこと思い出させて……っ!」
慌てる光留に花南はフルフルと首を振る。
「ち、違うの。その、もしご神体を確かめるなら、うちにも行かないとでしょう? お父さんもお母さんも今は普通の状態じゃないし、光留君にもしものことがあったら……」
両親のことは半ば諦めている。家族の情がないと言えば嘘だが、それ以上に光留が傷つく方が怖い。
「ありがとう、俺の心配してくれて。まぁ、さすがに俺一人であそこに行くつもりはないよ」
光留は、蝶子を連れて行こうと考えていた。巫女姫である蝶子の浄化の力なら、一時的にでも黒い靄を祓うことができる。
何より、落神の核となるものがある場合、蝶子の力は不可欠だった。
光留がひとりで対処することもできるが、それでは花南の両親は助からない。
ほんの少しでも希望があるなら、それに賭けてみたい。
(けど、もしもの時は俺が――)
花南の両親を殺す。
人間としての生存は無理でも、転生の可能性だけは諦めたくない。
「花南も、蝶子の力は知っているだろ? 素直に蝶子を頼るよ」
「うん。蝶子ちゃんにたくさんお礼考えないと」
「だな」
彼女なら、きっと文句を言いながらも助けてくれる。
光留は、花南の肩の力が抜けたのを確かめるように、そっと彼女を抱き締めた。
翌朝、光留と花南はさっそく件の駐車場へとやって来た。
「あー、いったん全部更地にしたのか……」
駐車場なので当たり前ではあるが、片隅に祠くらいは残っているかと期待していたため、少し肩透かしを食らった。
二十台ほど車が止められるスペースは見通しが良く、反対側の道路までよく見えた。
「おや、花南ちゃん? あんた宮島さんちの花南ちゃんじゃないかい?」
ふいに声をかけられ、光留と花南は振り向く。
声をかけてきたのは、七十代くらいの老婆だった。
「
花南の知り合いらしく、光留もぺこりと頭を下げる。
「いやぁ、久しぶりねえ! 偉く男前を連れて来て……彼氏さん? それとも旦那さん?」
揶揄うような剣崎の言葉に、花南はもじもじと答える。
「え!? えっと、彼氏、です……」
「初めまして、槻夜光留です」
光留は営業スマイルで挨拶すると、頭のてっぺんからつま先までじっくりと眺められる。
神社の境内で接客しているとそういう視線はよく向けられるので、もう慣れっこだ。
「綺麗な顔のお兄ちゃんだねえ。芸能人かい?」
「いえ、地元の神社で神主をしています」
「はええ。若いのに立派なこった!」
年配の方によく言われる類いの言葉に、光留は苦笑した。
「いえ、たまたまそう言う家系に生まれただけなので」
「けど、今時の若い子が、神社なんてパワースポットくらいにしか思ってないだろうに」
「確かに、そう言う側面はあります。けど、地域の歴史を守るという意味では価値があると思っています」
神社の後継者と聞かれれば、多くは「親から継いだから」と答えるだろう。実際、親が子に跡を継がせたいと願う例は少なくないことを光留も知っている。
けれど光留自身の場合、両親はむしろ、神職の道から遠ざけようとしていた。それでも彼がこの道を選んだ理由を知る者は、ほとんどいなかった。
その言葉に込められた重みに気づいたのか、剣崎は驚いたように目を丸くしたが、それ以上は何も言わなかった。
「そうかい。てことは、ここには観光じゃないんだろう? こんな何にもないところに何しに来たんだい?」
「はい。その、花南さんのご実家に挨拶に行こうと思いまして」
「あらぁ、てことは花南ちゃん、結婚するのかい?」
今度は花南を見て目を丸くする。
「は、はい! まだ先だけど……」
「まぁまぁ! よかったじゃないか! これで神奈さんも安心だねえ」
知らない名前に光留が首を傾げると、花南が小さな声で教えてくれる。
「おばあちゃんの名前、“神奈”っていうの」
光留が納得していると、剣崎は少しだけ寂しそうな顔をした。
「神奈さん、最期まで花南ちゃんのこと心配してたからねえ。霊感体質なんて、なかなか理解されないもんだし」
「剣崎さんは、信じるんですか?」
「そうだねえ。あたしも小さい頃はちょっとだけ視えてたんだよ。まぁ、大人になる頃にはすっかり視えなくなったけどねえ」
子どもの頃に幽霊が見えたという話は珍しくない。そして多くは、成長とともに「子どもの空想だった」と片付けられてしまう。
けれど中には、それを大切な思い出として胸にしまう人もいる。剣崎も、きっとその一人なのだろう。
「あんたも神主さんなら視えるんだろう?」
「……そう、ですね」
光留は一瞬だけ迷ったが、正直に答えた。
「ここは数年前まで神社があったんだ。花南ちゃんから聞いたかもしれないけど」
「はい、思い出のある場所だって」
「何か視えるかい?」
促されて光留はもう一度駐車場を見る。
しかし何もない。いっそ不自然なほどに。
「……何も。神様の残滓すら感じません。ご神体は別の神社に移されたのでしょうか? 花南さんのおばあさまがその神社の氏子さんだったと聞きましたし、彼女と婚姻するにあたって、土地神様にご挨拶できればと思っていたのですが……」
光留が視たまま、感じたままを剣崎に伝えれば、老婆は重い溜息を吐いた。
「そうかい。やっぱり、ここの神様はこの土地を見放したのかねえ」
神様が自分の土地を離れる理由は様々だ。寿命だったり、信仰を得られなかったり、落神に堕ちたり……。この地域の土地神がどこに行ったのか、光留にはわからない。
(何らかの痕跡があれば追うことくらいは出来たかもしれないけど……)
光留が受け継ぐ凰鳴神社の主祭神は鳳凰神だ。さらに守り人であることから、巫女姫を守る為に彼の神の力を行使する権利を与えられている。
土地神の中には、外から来た神を嫌う者も多く、神に深く関わる光留のような存在を疎んじ、機嫌を損ねることもある。
(まぁ、俺は巫女姫じゃないから神様と直接会話するなんて出来ないんだけど)
それでも、神々のいざこざに巻き込まれるのはごめんだ。
せめて、最低限の礼儀だけは尽くしたい――そう思っていたのだが、肝心の神様がいないのではどうしようもない。
「神様が土地を離れた理由をご存じなのですか?」
「さあねぇ。あたしが小さい頃は、それなりに賑わってたもんだけど……時代の流れかねぇ。今じゃ年寄りばかりで、世話するのもひと苦労さ。熱心だったのは、神奈さんくらいだったよ」
過疎化で世話をする者がいないというのは、地域にとって切実な問題だ。
しかし、光留にはどうすることもできない。
「神主さんは?」
「ああ、ここの神主さんは兼務だったのよ。でも、街の大きな神社の方が忙しかったみたいで、こっちまでは手が回らなかったんだろうねぇ」
神職が減少し、複数の神社を兼務する神主は今や珍しくない。
放置してしまった神主にも責任はあるだろうが、それ以上に時代の変化が大きい。
(寿命で去っているならいいけど、最悪、落神になってるかもしれない……)
写真で見た限り神社の規模はそれほど大きくない。元の神格もあまり高くは無かったのかもしれない。
「では、ご神体もその大きな神社へ移された可能性があるのですね」
光留が言うと、剣崎は首を横に振った。
「それがねぇ、ご神体をどうするか、まだ決まっていないんだよ」
「……え?」
意外な状況に、光留は目を見開く。
「ご神体を、奉納していないのですか?」
「うーん、どこの神社に移すかって話で揉めちゃってねぇ」
隣町や、兼務していた神社で引き取る案も出たそうだが、移送しようとすると関係者に不幸が相次いだのだという。
「運ぶ途中で、運転手が事故死したり、神主が怪我したり……こりゃ祟りだって話になって、結局手がつけられなくなっちゃってさ」
「それは……」
花南も初めて聞いたのか、顔を青くしている。
(落神になってるな……)
しかし、幸か不幸かこの駐車場に留まっているわけではなさそうだ。
「だもんだから、当時の町内会長だった宮島さんが預かることになって、それ以降は誰もどうなったか知らん。けど、一年くらい前からか、どうにも様子がおかしくてねえ。最初は、花南ちゃんが一人暮らしを始めたっていうんで、寂しくなったのかと思ったんだけど……」
「1年前……」
ちょうど、花南が落神達に襲われた頃だ。
「……つまり、ご神体は花南さんのご実家にある、ということですね」
光留が低く、重い声で確認する。
「売り飛ばしたりしてなけりゃ、そうだろうねぇ。あたしも確かめたわけじゃないけど」
花南の足元がふらついた。
「っ、花南!?」
とっさに支え、顔を覗き込むと、その顔は真っ青だった。
光留が至った結論に、花南もたどり着いたのだろう。
剣崎は花南が両親に会ったことを察したのか、憐れむ様に花南を見る。
「心を病んでるっていうより、ありゃあ何かに取り憑かれているみたいに人が変わっちまって。やっぱり神様を雑に扱うもんじゃないねえ」
「ええ……本当に、そう思います」
光留は花南を支えながら、深く頭を下げた。
「貴重なお話を、ありがとうございました」
「こんなばあさんの与太話に付き合ってくれてありがとねぇ。花南ちゃん、ご両親のことは大変だろうけど、もし辛くなったら、うちにおいで。頼りにはならないかもしれないけど、話し相手くらいにはなれるからさ」
「はい。ありがとうございます」
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