第二章

第17話


 光留が花南へプロポーズし、受け入れられてから早くも一か月が経過した。

 光留の大学卒業を機に、ふたりはK大近くのアパートへ引っ越して同棲を開始したものの、光留の実家は最寄駅からふたつ先。

 さらに、勤務先である凰鳴神社も同じ最寄り駅にあるため、光留は頻繁に実家に顔を出すことになっていた。

「そう言えば光留、あんた花南ちゃんへのご両親に挨拶済ませたの?」

 母、朱鷺子の言葉に光留は眉を寄せる。

「まだ。本当は早く行きたいんだけど、花南が渋るんだよ」

 ふたりが結婚を考えているのは、花南が大学を卒業してすぐの予定だ。光留は社会人として働き始めたが、花南はまだ学生。経済的に余裕は無いが、ふたりで話し合った結果、光留の勤務先である凰鳴神社で神前式を挙げるつもりでいる。

 現在の宮司である大叔父の正司にも了承を得ているし、オプション扱いである巫女舞も蝶子が格安で引き受けてくれたので、贅沢をしなければ光留の貯金をはたいても十分賄える額に収められている。

 最悪、勇希や朱鷺子が援助してくれるとも話を付けているため、金銭的な問題は一応クリアしている。

 だが、結婚とはそれだけで済ませられるわけではない。

 結婚は他家と繋がることだ。

 花南と結婚すれば光留は花南の両親にとって義理の息子になる。可愛い妻になる人の家族には出来るだけ悪い印象を与えたくないと思うのは普通だろう。

 光留は花南にプロポーズして、受け入れられてからできるだけ早い段階で花南の両親に挨拶しておきたいと思って、同棲を始めて間もない頃にそう話した。しかし――。

 

 両親に会うのは、ちょっと待ってほしいの……。あ、あの! 光留君との結婚がイヤ、とかじゃなくて、その……光留君にイヤな思いさせちゃうかもしれないから……。

 

 花南が実家の近くの大学ではなく、遠く離れたK大を選んだ理由は、実家から離れたいという思いがあったからだ。

 花南は霊感体質で、異常なほど霊的なモノを引き寄せやすい性質を持っていた。

 光留はそれを、かつて光留の前世だった月夜のさらに昔の前世の力を使って引き寄せ体質との縁切りを果たした今、霊感は残っても花南が興味を持たなければ寄ってくることは無い、程度に抑えられている。

 更に光留が作ったお守りを持たせているため、花南の霊的な守りはかなり強い状態だ。落神でも元の神格が相当高くない限り花南に手を出すことはほぼ不可能だろう。

 光留の両親は光留がサポートしているから大丈夫であることを知っているが、花南の両親は霊感などほぼない普通の人たちだ。

 花南の体質を受け入れられず、距離を置いていたという話も聞いている。

(まぁ、一般的に見て「霊的なものからは俺が守るから大丈夫です」なんて言って信じてもらえるわけないし)

 むしろ怪しい男だと思われるし、光留自身十六歳まで霊的なモノとは無縁だった過去があるだけに、その気持ちもわからなくはないのだ。

 とはいえ、光留にとって花南は何よりもかけがえのない人だ。

 自分の手で幸せにしたい、大切な女の子。

 花南の両親に認めてもらえないことは、光留にとっても辛いが、それ以上に花南が傷つくのが耐えられない。

「花南ちゃんが優しいのはわかるけど、少し心配ね」

「うん。少し強引かもだけど、次の連休にでも行ってみるよ」

「そうしなさい」

 朱鷺子に背中を押され、光留は帰宅後、花南にその話をする。

「そう、だよね……」

「花南が嫌なら無理はしなくていい。でも、やっぱり俺は、花南の両親に挨拶しておくべきだと思うんだ」

 花南とてわかっているのだ。

 花南のために心を砕いてくれる光留の気持ちは嬉しいし、花南のために危険な橋をいっぱい渡らせてしまった。

 それでも花南を愛して、大切にしてくれる光留のことが好きでたまらない。

 だからこそ、これ以上光留に傷ついてほしくない――。

 そう思うがゆえに、両親に会わせることを躊躇ってしまう。

 けれど、やはり両親に義理は通すべきだろう。

「わかった。うちに電話するからちょっと待ってて」

 光留が見守る中、花南は携帯を手に取る。

 大学に入ってからも月に一度ほど連絡はしていたが、話す内容は他愛のない近況報告ばかりだった。

 「元気だったか」とか、「ちゃんと食べているか」とか。

 そんな当たり障りのない会話を一言二言交わして、すぐに切る――それだけの関係。

 彼氏ができたなんて話は一度もしたことがないし、両親も、花南には無理だろうと思っていたに違いない。

 通話ボタンを押す前に、花南はもう一度、光留を見た。

「あの、ね。何を言われても光留君が気にする必要はないからね?」

「? うん。俺は花南を信じるよ」

 光留は、彼女の両親にとって大事な娘さんをもらい受ける側だ。

 何を言われても、ある程度の暴言は覚悟している。

 大事なのは、花南が光留との結婚に希望を抱いてくれているということ。

 その思いを、絶対に諦めないことだ。

 光留は震える花南の手をそっと握る。

 その温かさに勇気をもらい、花南は通話ボタンを押した。

『花南? どうしたの?』

 数コールの後、出たのは母親だろうと思われる女性の声。

「あ、お母さん。あのね、今度の休みの日に一度帰ろうと思って」

 花南がそう言うと、電話の向こうで一瞬沈黙があった。

「もしかして、何か予定がある?」

 連休なのだから彼女の両親にも予定があるだろう。ならそれは仕方ないし、別の日にすればいいだけだ。

 光留はそう思っていたのだが、ふと電話越しに何か変な気配を感じた。

『何しに?』

 母親の声はどこかそっけない。槻夜の家系は愛情深い人が多いからか、光留は僅かに違和感を覚える。

「あ、えっと、紹介したい人が、いるの……」

 花南は光留を見て頬を染めている。花南が違和感と思っていないのなら光留の勘違いかもしれない。

 けれどぞわぞわと嫌な気配がするのは何なのだろう。

『彼氏が出来たの?』

「う、うん……。そ、それでね、わたし、その人と、結婚しようと思って……」

『代わって頂戴』

「へ?」

 唐突に強い口調で言われ、花南は戸惑う。

 光留がこの場にいると、どうしてわかったのだろう?

『早くしなさいっ!』

 母親が急かすのに花南は困惑し、光留に視線を向ける。

「いいよ」

 光留は花南を安心させるように微笑んで手を差し出す。

 花南は光留に携帯を手渡す。

「こんばんは。花南さんとお付き合いさせて頂いてます、槻夜光留です」

 光留が電話に出て挨拶すると、母親の口からは女とは思えないほど低い声で何かを呟いた。

 その瞬間、ゾワリと光留の背筋を悪寒が走った。

「っ! 呪詛!?」

『呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやるお前だけが幸せになるなんて許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない』

 とっさに結界を張って、携帯を放りだすと守るように花南を抱き締めて携帯から離れた。

「な、なに?」

「わからない……けど、電話越しに呪詛なんて普通じゃない……」

 言葉の内容も異常だが、それ以上に、悪意しか感じられない。

 光留は警戒を強めた。

『ケ……ケケケケケケッ! 貴様ら家族は皆不幸に落ちろ!!』

 突然笑ったかと思えば物騒なことを吐き捨てて、通話が切れた。

 花南は可哀想なくらい腕の中で震えていた。

「ご、ごめん、なさい……」

「花南が謝ることじゃない。けど、これは早いうちに行った方がいいかもな」

 実際の状況を見ているわけではないから、光留が今この場で判断するのは難しい。

 だが、恐らく花南の母親、あるいは家族に何かが起きているのは確かだった。

 この町は、千年前に比べれば弱っているとはいえ、鳳凰神の守護が効いている。

 蝶子や凰鳴神社の巫女たちが定期的に結界を張り直しているため、比較的霊的なものに対する守りが強い。

 しかし、地域によっては、その土地に根付く神様の力が弱っているところもある。

 そういう場所では、霊的な影響を受けやすくなり、自殺や事故が多発し、取り憑かれやすくなるのだ。

 知らずに自宅に持ち帰り、自身や家族に影響を及ぼす――。

 そうして悪霊や落神を寄せつけ、土地神の力をさらに弱める悪循環が生まれる。

 光留は鳳凰神の番である巫女姫・鳥飼蝶子の守り人だ。

 間接的に鳳凰神の眷属であるため、よその土地の神様とは相性が悪いこともある。

 もし相性が悪ければ、花南の両親を助けることはできないかもしれない。

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