二十一、

 






「げ。味噌って、こんなに種類があるのか」


 スーパーの味噌売り場に辿り着いた薫は、棚一面に並ぶ味噌を前にそう言って固まった。


「薫?どうした?」


「いや。うちが何の、どの味噌を使っているのか、さっぱり分からん」


 赤なのか、白なのか、はたまた麦なのかも分からないと、薫は小百合に聞くしかないかと、スマホを取り出す。


「ああ。薫の家は、これとこれとこれ。その時によって、色々合わせて使うって小百合母さんが言っていた」


 そんな薫の隣で、将梧は当たり前のように三種の味噌を手に取った。


「へえ・・・って。なんで、うちのことなのに、将梧が知ってんの?」


 将梧が手にしたそれらの味噌を渡されるのだろうと、予測して手を差し出した薫だが、将梧は薫に渡すことなく、さっさとレジへと歩き出す。


「だって。知っていれば、何処に住んでも薫の好きな味で、味噌汁とか作れるだろう?小百合母さん、味噌田楽とかも上手だから、きっと薫、食べたくなる」


 そして、将梧が薫の家の味噌の種類を知っている理由を聞き、薫はふむと考え込んだ。


「それでいくと。俺は、紗枝ママに将梧好みの味付けを習っておくべきか?」


「お、いいな、それ。でも。薫も俺も、互いに結構行き来して食べているから、どっちの味も覚えておくといいかもしれない」


「だよな」


 確かにと頷く薫に、将梧が嬉しそうな笑みを向ける。


「でも。それで自分の家の味じゃなくて、相手の家の味を覚えるっていうの、凄くいい」


「自分のためでもあるけど、相手のためでもある。よし、俺も頑張ろう」


 そんな奇妙な・・またも無意識に将梧を喜ばせる決意表明をして、薫は将梧と共にレジへ向かい、無事、味噌を手に入れた。








「舞岡・・・お前、偉いな。先生、尊敬するよ」


「うわっ、びっくりした!・・って、いっちゃんセンセ、どうした!?何があった!?」


 授業終わり。


 何も無い日はさっさと帰るに限ると、将梧と共に校門へ向かっていた薫は、物陰から幽鬼のように突如現れた担任の市谷いちがやにそう言われ、驚きに仰け反りながらも、そのどんよりとした表情を心配する。


「体育祭・・なんか、藤崎・・理事長が張り切っていて。教師陣も、チームを組んで競技に参戦するとかずっと言い張ってたんだけど・・保護者の賛同も得たとかで、遂に、それが通った」


「へえ!いっちゃんセンセ、運動得意じゃん。なんたって、本業。よっ、保健体育の星!・・・あれ?でも、それならなんで、そんな暗い顔してんの?」


 揶揄い半分、本気半分で言った薫が首を捻れば、市谷は大きなため息を吐いた。


「それが・・・。俺の出場競技は、チアと人間バトンだ」


「え・・ああ、なるほど・・でも、もったない」


 市谷は運動神経がいい。


 ただ、身長は高くないし、童顔である。


 なので、他の教師からチアと人間バトンを押し付けられる意味は分かる。


 それでも、もったいない、もっと違う場面でチームに貢献できそうなのにと、薫は高速で思考した。


「そんなに嫌なら、違う教師を推薦してみればいいんじゃないですか?通るかどうかはともかく」


 言いながら将梧が、薫の肩に頭を乗せる。


「ああ。藤崎・・じゃなかった、理事長にごり押しされた時は、色々抵抗したし、断ろうと思ったんだけど。ほら、舞岡だって、あんなに嫌がっていたのに、結局はクラスのために受け入れただろう?それなのに、教師の俺が逃げちゃいけない気がしてさ」


「・・・ねえ、いっちゃんセンセ。もしかして、理事長と前からの知り合いなの?」


 さっきから、藤崎と言ってしまってから理事長と言い直している市谷に、薫がそう尋ねれば、市谷がまたもため息を吐いた。


「ああ。実は、同級生なんだよ。で、藤崎は、ここの創設者の子孫」


「へえ。確か、いっちゃんセンセって、ここの卒業生だよね?」


「そうだよ。俺、この学校好きなんだよね。それに、待遇が物凄くいいんだ」


 少し照れたように言う市谷に、将梧がもしやと声をかける。


「・・・もしかして『教師になるなら、母校がいいっていうよ』とか、理事長に言われたりしました?」


「ああ、した。よく分かるな、秋庭」


「はあ。俺も同じなんで・・・さ、帰ろう薫」


 そうか、同類項かと呟く将梧に、薫が不思議そうな目を向けるより早く、将梧はそう言うと薫の背をそっと押した。


「あ、じゃあ。いっちゃんセンセ、また明日。体育祭では、お互い、頑張ろうな!」


 ぐっと片手で拳を作ってみせる薫に、市谷が力なく頷く。


「舞岡。当日は、なるべく一緒にいような」


「あ、それは駄目です。薫は、俺と居る予定なんで。それに、市谷先生だって、離してもらえないと思いますよ」


 にやりとした笑みを市谷に残し、将梧は『今のどういう意味?』と薫が聞く前に、コーヒーのブレンドの話を振り、市谷に見せたのとは違う、優しさ溢れる笑みを薫へと向けた。



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