九、
「薫。ほら。『将梧、おかえり』って言って」
「なっ。なんだよ、一体。今までも『おかえり』なんて、言ったことないだろ?」
確かに薫と将梧は親しく、家の前で互いに帰って来たときに行き会えば『おかえり』と言うけれど、流石に薫の家に将梧が来て『おかえり』というのは違うのではないかと、薫は思う。
「今だから。その格好の薫だから、言ってほしい」
「ふふふ。新婚さんみたいだものね」
薫と将梧が玄関先で言い合っていると、小百合が笑いながら現れた。
「はい!小百合母さん。薫を俺にください。絶対苦労させないし、一生涯、滅茶苦茶大切にするんで」
「かおちゃんが、それを望んだらね。あ、しょうくん。今台所に来ると、いい物があるわよ」
「母さん!」
折角なら、卵焼きだけではない弁当をいきなり見せて、将梧を驚かせるのもいいかと思っていた薫は、小百合の言葉に大きく反応してしまう。
「いいもの・・・お邪魔します」
「しょ、将梧。何か、用事があって来たんじゃないのか?」
いいものとは何だろうと、うきうきした様子で靴を脱ぐ将梧に、薫は焦って声を掛けた。
そして小百合は、そんな薫を面白そうに見つめている。
「用事、っていうか。薫の部屋。いつまでたっても、灯りが点かないから。具合でも悪くなったかと思って」
「ああ、そうか。わりぃ。具合悪くなったわけじゃなくってさ、ちょっと母さんにりょ・・」
「りょ?」
心配させてしまったかと、いつまでも部屋に戻らなかった理由をあっさり言いかけて、薫は慌てて口を噤む。
「りょ・・旅行!旅行に行きたいな、なんて」
「いいな。旅行。海外とか」
「そんな金は無い」
「大丈夫。俺、投資して、利益大分出ているから、ふたりくらい余裕で行ける」
「そこまで甘えるのいや。自分の分は、自分で出す」
普通に旅行のことを話しながら歩いてしまった薫は、無意識に作りかけの唐揚げの続きをするべく台所へ行ってしまった。
「あら、来たわね」
そこでは、さっきまで薫を楽しそうに見つめていた小百合が、既に唐揚げを揚げ始めていて、笑顔で薫と将梧を迎える。
「唐揚げ。今から?」
そんな小百合を見て、将梧が不思議そうな声を出した。
「ふふ。これが、いいもの、よ。しょうくん。ヒントは、かおちゃんの格好」
薫を近くに呼び寄せ、揚げ方を教えながら、小百合が楽しそうに笑う。
「薫が世界で一番可愛いエプロン姿でいることがヒント?で、唐揚げがいいもの・・・っ!。もしかして、その唐揚げ、薫が作ったんですか?」
「正解です・・・って。かおちゃんは、しょうくんに内緒にしたかったみたいだけど」
小百合の言葉に、将梧が、つつつと薫の傍に寄った。
「薫。なんで、俺には内緒にしたかったんだ?」
「はあ。びっくりさせようと思ったんだよ。卵焼きしかない弁当だって思って開けたら、唐揚げもありましたって。嬉しいかと思ったんだよ」
自分で言っていて、何か気恥ずかしくなってしまった薫は、油のなかを漂う唐揚げを、菜箸でつつく。
「そうか。それも嬉しいけど。俺は、薫が初めて作った唐揚げを食べたい」
つまり、今これを食べさせろと、将梧は、きらきらと輝く瞳で言った。
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