甘い檻~貞操逆転世界で逃げられない

ほけきょー

第1話 目覚めの朝

石野悟は、大学の講義に向かうためにいつものように家を出た。朝の光はまだ柔らかく、街路樹の影がゆらゆらとアスファルトに落ちている。澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだが、それが心地よく感じられることはなかった。

 しかし、この世界は少し「違っていた」。  ――女性が、絶対的に強い。

 彼の周囲を歩く女性たちの姿勢や視線には、自信と支配の色が濃く漂っていた。誰もが堂々と胸を張り、男たちは一様に下を向いて早足で通り過ぎる。悟もその一人だった。

 公共の場での男女の扱いには、明確な「差」があった。駅のホームでは女性優先の座席が圧倒的に多く、エスカレーターの右側は常に女性の専用レーンと化している。男性はその隙間を縫うように、目立たぬように、ただただ迷惑をかけないように動いていた。

 男性の貞操が厳重に管理され、女性たちは自由に選び、求める。男に選択権はない。与えられるか、奪われるか。それだけだった。

 内向的な悟は、そんな世界でなるべく目立たず静かに生きてきた。友人も少なく、余計な関係は極力避けていた。日常の一挙手一投足に気を遣い、隙を見せぬよう暮らしてきた。

 だが、悟の内には複雑な感情が渦巻いていた。女性に迫られることに嫌悪感があるわけではない。ただ、彼の中でそれを「当たり前」として受け入れてしまうことが、どこか怖かったのだ。

 そして彼には、自分だけが甘えられる存在がいた。

 妹の沙耶――  彼女は純粋な瞳で、時折悟に甘えてくる。学校の話や友達とのこと、ささいな悩みを打ち明けては、兄の胸に顔をうずめて


「お兄ちゃん、好き」


と無邪気に囁いてくる。

 その小さな体から伝わる温もりと、屈託のない笑顔だけは、この世界の異常性から悟を一時的に解放してくれた。

 そして、姉の舞香――  家では穏やかな口調で悟を迎え、まるで小さな子供にするように頭を撫でたり、肩を抱いたりして甘えてくる。


「悟~、今日もがんばったね。ほら、姉ちゃんの膝、空いてるよ?」


 その甘え方は、どこか演技が混じっているようで、だが同時に真実味があった。悟はいつも心のどこかで警戒しながらも、その誘惑を完全に断つことはできなかった。

 ――彼は、迫られることに嫌悪はない。  ただ、自分がどうなっていくのかが怖かった。

 けれども最近、その「静けさ」が徐々に破られつつあることを、悟は肌で感じていた。視線、言葉、接触。じわじわと近づく『何か』が、悟の平穏を侵そうとしていた。

 そして彼はまだ、その流れから逃れる術を知らなかった。

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