金の足環と菫の少女 ~追放令嬢は蛮族の戦士に恋をする~
SIS
第一話 追放令嬢
一般的な馬車というのは、これほどに揺れるものなのだなと、テリア・フラメルはしみじみと思った。
かれこれ馬車に揺られる事一両日。路面の細かな凹凸も反映して激しく揺れる馬車の座席に殴打され続け、足腰が痛くなってきていた。
ふかふかのソファを敷いた、屋敷の馬車が早くも恋しい。
だが、それに乗る事はもう二度とないのだと、テリアはよく理解していた。菫のような紫の髪にお気に入りの櫛を通す事も、白い肌にお化粧をする事も、緑の瞳にテオリアの秘薬を差す事も、もうない。袖を通す服も可愛らしいフリルをあしらったそれではなく、貧民が纏うような麻の布。
彼女は追放の身であった。
罪人ではないにしろ、かつてのような生活は望むべきもない。
その現実から目を逸らすように、テリアは道行へと思いを馳せた。
「……今、どの辺かしら」
曇った丸ガラスから、外を覗く。品質の悪いガラス窓から見る景色は霧がかっているようであったが、それに加えて雲行きが怪しい。今にも一雨降ってきそうで、自らの心情を空模様に重ね、テリアはかすかに苦笑した。
そんな曇り空の下に広がっているのは、見渡す限りの大樹海だ。それを一望できる山道を、馬車はゆっくりと昇っているらしかった。
頭の中で地図と重ねる。
テリアが送られる子爵領は、王都から遥か南。辺境伯を中心に大きな勢力を築いている一帯だが、同時に王国に従わない独自勢力が数多く、征服される事なく領土を維持している。何故そのような勢力が今に至るまで統合されず生き延びているかは高度な政治的判断が絡んでいるという話だが、とにかく、領土の広さに対して虫食い状態なのが南方の特徴だ。今はその南方に差し掛かったあたりで、異民族の勢力圏を掠めるように通りがかっているところだろう。
眼下に広がる大樹海が恐らく、それだ。
王国に従わない蛮族達。その様相については遠く王都へも伝わっているが、その内容は多分に装飾されたものだ。
曰く、鉄を知らない未開の者達である。
曰く、旅人を取って食らう者達である。
曰く、言葉を喋らず、雄たけびで意思疎通する者達である。
とまあ、様々な真偽も定かではない噂ばかり。かつては、テリアも恐ろしい噂話に、肩を竦めながらも遠い世界の話だと一笑に付し、談笑に興じたものだ。
それが今や、すぐ目の前にある。
人生というのはどう転ぶものか、つくづくわからない者だと彼女は嘆息した。
と。
「あれ……」
見渡す景色の流れが、緩やかになっている気がしてテリアは首を傾げた。
坂を上がるので速度が落ちた……という訳ではない。山道の最中で、ゆっくりと速度を落とした馬車が、とうとうその場で立ち止まる。
何かのトラブルだろうか。
しかし今のテリアは賓客ではなく、護送される立場だ。状況を把握しようにも、車掌とやり取りする為の窓は固く閉ざされている。
一体何ごとかと気を揉んでいると、ふいに外からくぐもった男の声がした。
「降りろ、テリア・フラメル」
声は、護送車の警備を務める兵士のものだ。
続けてがちゃり、と扉の鍵を外す音がする。
テリアは首を傾げながらも、扉を押し開いた。
油の足りていない蝶番が、ぎぃ、と耳に響く音を立てる。開いた扉の向こうから、鼻をつんとつく青い草木の匂いが強く香った。
顔を出すと、馬車の周囲を数名の兵士が取り囲んでいた。兜を深くかぶり、その表情は陰になっていて見えない。
顎で降りるように指示されて、テリアは山道を見下ろした。馬車の床は子女の乗り降りを考えていないのでは、と思う程に高く、テリアの背丈では足を延ばしてもぎりぎり届くかどうか。恐る恐る足を延ばす彼女に、兵士達が冷たく催促する。
「早く降りろ」
「も、申し訳ありません」
びくっ、と肩を震わせて、テリアは息を飲んだ。年上の男に怒られた事などない彼女にとって、表情の見えない兵士はただひたすらに恐ろしい相手でしかなかった。平坦に抑えられた口調の裏に、強い苛立ちを感じ取って、彼女は慌てて飛び降りた。
びちゃり、と地面の泥が飛び散る。
貧相なブーツだけでなく、粗末なワンピースの裾も茶色く汚れてしまい、テリアは哀しそうに目を細めた。それでも気を取り直し、取り囲む兵士達に伺いを立てる。
「降りました……。その。何かトラブルが?」
「こっちへ来い」
兵士の一人が先導し、馬車の先へと歩く。その背中を見送っていると、後ろに別の兵士が回り込んできた。彼が腰の剣に手をやっているのをみて、テリアは小さく震えながら兵士を追った。
「ここに立て」
「え……」
おいついた先で、兵士は山道の横に立つようにテリアに命じた。そう、山道だ。道から一歩でもはみ出せば、その下は断崖絶壁。見下ろせば、遥かに広がる大樹海を一望できる。
足を踏み外せば命はない。
兵士の意図がわからずテリアが茫然としていると、苛立ったように兵士が再度彼女に声を上げた。
「立て、と言っている」
「は、はいっ」
怯えも露にテリアは崖へと向かい、そこで足が竦んで立ちすくんだ。びゅおおお、と風が下から吹き上げてきて慌てて服のすそを抑える。地面はしっとりと濡れていて不安定で、注意していないと風にあおられて足を踏み外してしまいそうだ。
一体どういうつもりで、とテリアが顔を上げると、四名の兵士が彼女を取り囲むように、崖に追いやるように佇んでいた。
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