第1章

第1話 墓地

 丘を越えた向こうに、例の墓地は在った。 

 黒々とした柵に囲まれた広大な土地には、見渡す限り色褪せた墓標が並んでいる。夏の日差しを受けて芝生は青々と瑞々しく、点在する木々は風に揺れてさわさわと心地良い音を奏でていた。 

 明るい場所だ、とノアは思う。

 しかしやけに湿っている。 

 太陽の光を浴びた白茶けた墓標は明るく眩しいほどだ。しかしどこにも花などの供物が置かれてはおらず、ただ石だけが整然と並んでいる。それが明るい場所に対してやけにアンバランスに思えて、思わず身震いした。

「大丈夫か、新人くん」

「あ、えっと」

「まさか教会に来るのが初めてってわけじゃあないよな」 

 すぐ隣で肩をすくめている茶髪の男——グレイ・テイラーは、どこか馬鹿にしたような顔をした。白っぽいシャツの袖を捲っているせいで、軽薄そうな印象を受ける。

「ここ、教会なんですか」

「教会墓地なんだよ。墓を守らなきゃならないもんだから、魔除けの意味もあるんだろうが、それだけじゃない。これから会いに行く奴の居住空間も兼ねてるはずだぜ」

「テイラー捜査官は、何度か来てるんですか」

「いーや初めてだよ」 

 それにしてはやけに偉そうな態度だな、と思いながら、ノアは黙って大人しく従うことにした。捜査官としては先輩なのだ。逆らう理由もない。

 グレイはやれやれとため息をついて、厳重に鍵がかけられている門に近づいた。大きな錠前がついている。ところどころ傷がついていて、随分と古ぼけて見えた。

「ここ、結構前からあるんですよね」

「らしいな。っと、痛っ」

 金属片がむき出しになっていたせいだろうか、グレイは指を切ったらしい。顔を歪めて血の浮かんだ指先を舐めとりながら、「嫌ンなるな」とぼやく。

「対策課の皆さんは、あまりここには来ないんですか」

「来ないね。ここにあるのは死体だけだ。俺たちにできることなんてほとんどない。神に祈りを捧げたところで事件は解決しないだろ」

「——まあ、そうですけど」

 しばらくガチャガチャと動かしていたグレイは、やがて「お、開いた」とつぶやいた。

 ぎい、と重たく軋んだ音がして、ようやく堅牢な門が開く。

「でも、こんなに厳重だと、被害者の家族はなかなか墓参りに来られないですね」

「そもそも禁止してるよ。俺たちの許可がないとここには入れない」

「え、でも」 

 なんの遠慮もなく門を潜って、芝生の上をさくさく歩くグレイの後を追いながら、ノアはあたりを見回した。 

 門の外で見た時と印象は変わらない。ただ整然と、等間隔に墓標が並んでいる。それらすべてに名前と生年月日、没日が掘り込まれ、その下には不可思議なマークのような、文字のようなものが刻まれていた。アルファベットを捩ったような、読めるようで読めない言葉だ。

 ——なんだ、これ。 

 すぐ隣の墓標にも、同じような文字が刻まれている。何かのまじないだろうか。

「お墓参りに来られないのは、悲しいですね」

「そうか? 死んだら魂は神様のところに行くんだろ。残された肉の塊に祈りを捧げたところで意味はない。どうせ何百年もすれば朽ち果てて土と同化しちまうしな」

「——テイラー捜査官、肉親を亡くされたことは」

「んー、ねえな」

 乾いた笑いを漏らす先輩捜査官を横目で見て、ノアは小さくため息をついた。

「俺は、三ヶ月ほど前に祖母を亡くしたんです。ずっと一緒に住んでたから、亡くなったときは本当に——食事も喉を通らないくらいで」

「へェ」

 優しい祖母だった。小さな頃はよくノアに勉強を教えてくれたものだ。聡明な祖母の影響で、ノアは推理小説を読むようになったのだ。二人で同じ本を読みながら、犯人を想像するのが楽しかった。その経験から、ノアはFBIを目指して勉学に励んだ。 

 アカデミーはトップの成績で卒業し、さてどこに配属になるかと思いきや——。

「お、見えてきた」 

 墓標を縫うようにして歩いて、少し。木々の合間からわずかに見えている三階建てほどの建物を、グレイは指さした。

「さて新人くん。覚悟はいいか」

「覚悟、って」

「ここからはあっちの領分——FBI化物対策課ですら手を焼くほどの、曲者を相手に

しなくちゃならないからな」

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