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    僕がこの作品の中で注目した点は二つです。「祝福なき世界に祝福を」、という表現。これが、祝福が、人と人の関係の中で初めて形成される概念であることを確認し、味わう表現ですね。
    また次に、小説の中で「愛」という表現も接続する形で現れます。さながら「愛」にかしずく「祝福」という構図は、かなり根本的な祝福を洗い出しています。

    実は、企画前段階で「祝福とは祈ることで成されるのか、伝えることで成されるのか」という座談会テーマがあり、それに関連、肉薄するような側面がある作品だったので、個人的な話ではございますが非常に興味深い。
    技巧的には綺麗かつ簡潔にまとまっている印象がありながら、読み応えもありますね。


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     偽教授さん、ご参加ありがとうございます!

     現実とのリンクと、現実との乖離感の両立が美しい作品でした。
    「複数の巨大国家同士がいがみ合い、火花を散らし、そして核兵器の使用をほのめかす」核戦争と言うと真っ先に思い出すのはSFや冷戦ですが、同時に今日の世界情勢のことも思い浮かべてしまいます。
    「世界はやはり滅びていた」という切り出しがすごく強いですよね。「やはり」という語のたった一つがあることによって語り手の諦念が滲み出している。日本語の上手さに感嘆させられるだけでなく、時代背景を確定させない作品でありながら、今日的な感覚を覚えさせられました。
     でも決して剥き出しの現実を皿の上に乗せているタイプの作品ではないんですよね。多分何らかの仕組みが込められている。
     まず興味を抱いたのは文体でした。どこかいつもの偽教授さん作品と違う……!(わたしが読んだことのある偽教授さん作品は莫大な全体のほんの一部でしかありませんが)。例を挙げるとすれば、文章の区切り方ですね。ときおり非散文的な、自由詩めいた文型を採用しているんです。普段の整然とした言葉遣いを保ちながら、揺らぎのリズムがあるように感じました。非小説的な雰囲気も担保されているんです。
     また描写のリアルさも意味を持って制御されているのだろうと感じました。二人が科学者・技師であることがある種万能であるかのように作中で扱われているんですね。たった二人でコールドスリープ装置を作るとか、妊娠が分かった理由がわざわざ「科学者であるので、その程度のことは自分で調べることができた」と書き加えられているとか。これはケイトとエドワード、たった二人の世界を実現するための技法なのだろうなと思いました。「祈りの文句などはうろ覚え」なのも、やはり二人独自の式をする必要があるからこそこうなったのでしょう。
     祝福の言葉を贈るのが石板という筋立ても、二人以外の他者を抽象化する効果があるように感じられます。たぶん人類が滅んでも残るのは電子データじゃなくて石板の方が確実、みたいな必然性も込められていると思うのですが。ビデオやホログラムから知らないおじさんおばさんが出てきてメッセージを語り始める、みたいなパターンだと、たった二人の世界という魔法が解けてしまう、という要因もあるのではないかと睨んでいます。
     こうしたリアルと非リアルの融合が生み出すものはなんでしょうか。
     タイトル、または最後の一文が答えになっているんじゃないかなと思っています。
    「結婚おめでとう。そして、永遠にさようなら」
    「さようなら」なんです。我々がいた(そして今は崩壊した)リアルとの訣別がこの作品では行われている、という風に読みました。冒頭の「世界はやはり滅びていた」の諦観にも繋がりますが、この作品において、多分今日のリアルの世界では必要な祝福ができないんですよね(象徴的に、寓意的にという但し書きはつきますが)。救済された世界か、完全に破局した世界でしか成し得ない。作品の舞台がリアルの今日とは異なる世界である、というのは時間的隔たりをもっても示されますが、二人は百年を待たなければならなかった。(この時間的隔たりは、教会の建築年などが明確に表記されていることによっても巧みに齎されています。それは過去を「歴史」に押し込め得る書き方でした) 
     ある種ペシミスティックな「祝福としての文学」だと感じました。感じたんですが、この作品が一作目に来てくれたことに対して、勝手にぶおんぶおんと首を頷かせています。きょうじゅさんが自主企画に一番槍で出してくる作品はクリティカルなことが多い。鋭い作品を食らう側になって改めて実感させられました。めちゃくちゃすごかったー! ってやつです。
     感想を〆るにあたって、自由の女神が滅びの象徴となっているところとか、「僅かに百年あれば足りる」と過去作の読者へのファンサをしてくれるところとか、細かいここすきを挙げるとキリがないので、ここまでにさせていただきます。
     ともかく、素敵な作品を書いてくださったことに感謝させてください。ありがとうございましたー!!!

  • 本文への応援コメント

     誤解を恐れずに言うのであれば、「祝福」という言葉に対して正統な印象を受けました。普段私は日常会話で「祝福」を使うことは少ないですが、この言葉はまず「出生」を、そして次に「結婚」をイメージさせます。
     核戦争で荒廃したアメリカを舞台に、コールドスリープから目覚めた男女が結婚する。そこには、死者からの祝福が書かれ、胸に迫るものがありました。そしてその先に待つ終焉に対して、複雑な気持ちも残ります。
     祝福をくれた死者を思うと、救いや、絶望諦めといったさまざまな感情があったのか、はたまたなかったのではないかと想像します。そんな過酷な状況で、顔も知らない、存在すら定かでない相手に対して、さらには「こんな状況で何の意味があるのか」と疑問を抱く人もいるかもしれない行為に対して、なお祝福を捧げる。その姿勢に、人間性と信仰を感じました。