第9話 リオール③
その街では、夜な夜な辻斬りの被害があり、住民を恐怖に陥れていた。
今宵もまた、仕事でどうしても遅くなり人気のない家路を急ぐこととなった町娘が、その毒牙にかかった。
月は真上にある。
黒々と流れる川にかかる橋の上には、恐怖で腰が抜けしゃがみこむ娘、そして刀身を舌で舐めちゃうヤバい男がいた。
「血だ。僕の剣は血を求めている。光栄に思うといいよ。君は選ばれたんだ」
娘は自分を壊し得る凶器を前に震える声で、
「な、なんでこんな非道なことを――」
そう抗議をするが、そんなものは人格破綻者を喜ばせるだけだ。
辻斬りは恍惚としたような笑みを深める。
「非道? いいや違うね。強者が弱者を喰らうのは当然のことだろう。無警戒な兎を狩る獅子は悪者かい? 夜道をなんの備えもなく一人で出歩いた君の、つまりは自業自得なんだよ。恨むなら、己自身の弱さと考えのなさを恨みなさい」
自己正当化を終えた男が振り上げる刀身が、月明かりにきらりと光る。
間もなく刃は振り下ろされる。もはやこれまでとばかりに町娘は目を瞑り頭を抱える。
私はその間にぬるっと割って入り、とりあえず腕を合わせた。硬質なキンッという音が鳴り、凶器は弾かれる。
突然の闖入者にポカンとして固まる辻斬りをよそに、私は無造作に刀身を掴みにいった。
男の手から剣を没収し、何か言う前に胸の前で包んで丸める。ぎゅっぎゅっと人力で圧縮成形すれば金属球のできあがりだ。今の私にとっては粗製乱造の刀剣など紙粘土のようなものだった。我ながらずいぶんと化け物じみてきたものだ、と正直思う。
いまだ茫然と立ち尽くす男に、私は金属球を片手でお手玉しながら問いかけた。
「さて、もう一度聞きたいね。強者が弱者を――なんだっけ?」
私が笑みを向けると、男もぎこちなく口角を上げた。
そのまま男はじりじりと距離を取るように後退りし――
脱兎のごとく逃げ出した。
なかなか堂に入った逃げっぷりである。
私は金属球を握りしめ、投球フォームに入った。片足を高々と振り上げて、腕を振るう。
「なーにが兎を狩る獅子じゃいッ!」
投げ放たれたボールは、過たず逃げ去る男の背中に命中した。
「ラビッ!」
鈍い音とともに短い悲鳴を上げた男は前のめりに倒れる。そしてそのまま動かなくなった。
残心をする。
闇の中からぬっと現れたニコが、道端に転がる辻斬りにちらりと視線をやってから、呆れ気味に言った。
「ガードは呼んでおいたけど……殺してないでしょうね」
「もち。手加減はした」
全力で投げていたら今頃辻斬りは爆発四散していることだろう。
「――さて」
事態の急変化に何がなんだかわからない様子の町娘に、私は身体を向けた。
いまだ腰が抜けている様子の女の子に手を差し伸べて、
「家までお送りしますよ、お嬢さん」
そう言って、私は女の子の手を取り、支えるようにして立ち上がらせた。
月明かりしかない暗い夜の闇の中でも、至近距離の女の子の顔が赤く染まっているのがわかる。
頭上の月を見上げてしみじみと思う。
――くぅーこれこれ。このぐらいの役得がねえとやってられないよなぁ。
私は邪念を察知したニコにどつかれながらも、しっかりと女の子を家まで送り届けるのだった。
◇
そんなこんなで辻斬りに襲われた町娘を助け出した。
またあるときには、行商人を襲う盗賊の群れを丸太を振り回して薙ぎ払った。
そしてまた、魔法師の手が届かない辺境の小さな村に棲みついたバカでかい熊みたいな魔獣を、ニコとのクロスラリアットで断頭したりもした。
そのたびに、助けた人々からは感謝の言葉を向けられた。
「ありがとうございます……! あなたたちは命の恩人です!」「この御恩は忘れません……! ありがとうございます旅のお方!」「僕も村を守れるくらい強くなりたい! いつかあなたみたいになれますか?」
最初はそれを単純にヒーロー気分で気持ちええ……! ぐらいのテンションで受け止めていた。
しかし、さすがに制限時間が三年を切ると、だんだんと気が沈むようになってきた。
人助けは、ロスだからだ。
彼らを助けることは、滅び回避のための攻略チャートとは無関係の、言ってしまえば単純な時間の浪費なのだ。非効率な寄り道だった。自己満足のために助けたところで、世界が滅んでしまっては本末転倒。本気で世界を救いたいのならば、非情に徹して目標だけに邁進しなければならなかった。
しかし、私はそこまで心が強くなかった。身体を鍛えて力を持てば持つほど、助けを求める人の声を無視することは難しくなった。できないからやらないことと、できるのにやらないことの間には、罪悪感において大きな違いがあった。
それで結局、トラブルに首を突っこむことはやめられず、必然的に浪費した時間は別のところで埋め合わせる必要が出てくる。
近頃、うまく眠ることができなくなっていた。
朝。野営地のテント脇。
「……ゲロまず」
作り置きしておいた保存食のバーを口にし、私はぼやいた。
せいマギでは食事も重要な要素だった。
筋肉を作るためにはタンパク質が必要になってくるように、ステータス値を効率よく上げるにはできるだけ食事効果の高い料理を口にする必要があった。
私が今口にしている固形食は、『ババンバー』。小麦粉とバターと砂糖と牛乳と蠢く肉とナッツとスライム胆汁とマンドラゴラと各種ハーブを調合した完全栄養食で、そのステータス補正値はゲーム内でも指折りの高さだった。ゆえに私は保存食として、ババンバーを大量に生産していたのだが、そこに大きな誤算があった。
ゲームでは味への言及はなかった。
実際に食べると、これがめっちゃまずいのだ。
口の中の水分を根こそぎ持って行くレベルのパサつき加減に、ほのかな酸味が吐き気を誘う。言葉を選ばずに言ってしまえば、嘔吐物の味がするスコーンのような物体だった。ひと口食べるだけでも気力ががりがりと削られて行く感覚のあるあまりのまずさに、口に近づけようとすると身体が拒否反応を起こして指先が震えるまであった。
ゲーム中では、精神的負荷なんてバッドステータスは設定されていなかったのだ。
「ねえ……無理に食べるのやめない? そんなまずいなら」
隣の切り株に腰を下ろすニコは、鍋に湧いたお茶を二つのコップに分け入れながらそう言った。その声音には、シンプルにこちらを心配する色が混じっている。
しかし、私は首を振った。
「強くなるためには、必要なことだから」
自分に言い聞かせるようにそう言って、つとめて無心を維持しつつ、もしゃもしゃと口の中へと詰め込む。これ以上のチャート崩壊は避けねばならなかった。
ニコは処置なしとばかりに肩をすくめて、やがてお茶入りのコップを一つ差し向けてきた。
礼を言って受け取り、お茶で口の中身を押し流せば、ババンバーのまずさも少しはマシになる。
「豊かな食生活は豊かな心を育むって言うけど、リオは今積極的に貧しくなりに行ってるじゃない。そんなんじゃそのうち病むわよ」
「……いや、大丈夫だよ。ほら、健康目的で毎日好き好んで苦汁を飲んでるお爺ちゃんとかいるだろ? あれと同じだよ。人間は情報を食べる生き物なんだ。例え味がひどいものでも身体に良いっていう情報さえあれば案外美味しく感じるものなんだよ」
「で、美味しいと思って食べてるわけ?」
「……」
言葉に詰まって、誤魔化すようにババンバーを口に運ぶ。
ぐうの音も出ないとはこのことか。
ニコはお茶を一気に飲み干すと、真剣な表情でこちらに向き直る。
「リオ……あたしこれでも真面目に心配してるのよ? クマ、ひどいよ。最近よく眠れてないんじゃないの?」
「……ちゃんと横にはなってる」
「それって、満足に寝れてないってことじゃない。――正直、リオが天啓とか言い出したときは信じてなかったけどさ。今では、世界を救おうって気持ちも冗談じゃないってわかってる。だけど、自分で心身ともに面倒を見れないようじゃ、救世なんて土台無理でしょ? 少しは自分の身体を労わりなさいよバカ」
「でも、止まるわけにはいかないから。こうしている間にも時間が――」
いきなり、ニコは肩をいからせて立ち上がり、
「うっさいわね! 黙って言うこと聞きなさい! 辛気臭い顔をずっと見せられるあたしの身にもなりなさいよね!」
そう叫ぶと、驚くほど機敏な動きで火の始末とテントを片づけ、あっという間もなく私の荷物ごと旅支度を整えた。
ちょっと事態の急展開についていけていない私をよそに、ニコは下手すると私より強い力で腕を引っ張ってきた。
前方につんのめる形で、私は立ち上がる。
ニコは、遠方を指差して、
「さっき聞いたんだけど近くの街に、美味しいご飯を出す食堂があるらしいのよね。そこに行くわよ。今日は救世稼業はお休み。これは決定事項です」
半ば強引に歩き始めた。私とともにトレーニングに励んできたニコは、下手すると私よりも力が強い。
抵抗は無意味と悟り、私は尋ねた。
「……それで、その近くの街って?」
ぎゅっと手を握り直すと、ニコは答えた。
「旅人相手に商売する、宿場町みたいよ。ソルソーキって名前の」
ほとんど引きずられる形であったが、私は自分の足で歩き始めた。
時間はなかった。
しかし、これまで付き合ってくれた幼馴染の善意を無下にすることも、私には難しかった。
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