製菓魔法の転生者~妹がなにかの拍子にハジケて裏ボスになることをおれはまだ知らない~

さんゼン

第1話 甘党、転生済み

 人の味覚は、必要に応じて存在している。


 毒物や食中毒を前もって避けるために働くのが、苦味と酸味。


 身体を作るもとやエネルギー源を見極めるために働くのが、うま味、塩味、甘味。


 そして、過酷な自然環境を生き延びるための武器――魔力を体内に取り込むために存在するのが、マナ味。


 これらを感じ取る能力がなかったなら、人類は毒物を見分けられず腐った食べ物で腹を壊し、栄養失調で身体を動かすこともできず、ましてや凶暴な魔獣と対峙することすら、ままならなかっただろう。


 というわけで、食道楽とは言ってしまえば、必要から得た味覚を十全に活用することであり、ある意味では、最も合理的な趣味とも――


 読んでいた本を閉じ、傍らに積み上げ、小さくため息をついた。


 もはや、認めざるを得なかった。


 一体どういう原理で、どのような力学が働けばそうなるのか。それはさっぱりわからない。


 だが、ファンタジーな世界に転生したということだけは、どうやら確かなようだった。



 この世界に生まれ落ちて、十年の月日が経つ。


「ってて……あのクソ親父。世が世なら児童虐待だぞ……」


 魔法師の名門だかなんだかで、子どもに対して苛烈な英才教育を施す今世の父親に毒づきながら、おれは無駄に広い廊下をおぼつかない足取りで歩いていた。


 マナ味という味覚が存在することからもわかるとおり、この世界には魔力が――ひいては魔法が存在する。


 魔法とはつまり、手を使わずに物を動かしたり、火種もなしに火をつけたりと、なんとも便利でいかにもファンタジーな力のことだ。


 誰だって幼い頃は、魔法や超能力みたいな異能に憧れるものだ。おれだってそうだった。この世界で魔法の実在を知ったときなどは、子ども心を思い出して、空を自由に飛ぶ自分の姿を夢想し、興奮すらしていた。


 だが、夢はいつか覚めるものだ。


 どうもおれには、その手の才能がないらしかった。


 鉄をも焼き切る炎を生み出す父親の横で薪に火をつけるのにも苦労し、水の刃で丸太が切断される横で小便小僧以下の勢いでしか水を出せず、人の身体を癒す治癒魔法は、そもそも発動すらしなかった。全体的に出力がしょぼいのである。


 あまりの出来の悪さに、魔法至上主義者の父親はキレた。


 「なぜこんなこともできないのだ」から始まり、「甘ったれた性根が魔力に滲み出ているのだ」と叱責を受ける。なおもしょぼい魔法しか発動できずにいれば、ついには暴力に訴えられる。それで結局、チカチカする視界の中で、父親の背中をぼんやりと見送ることになる。


 そんな日々が、このところ続いていた。


 いい加減諦めればいいのに、よほど己の息子に才能がないことが信じられないのだろう。壊れたテレビも何度も叩けば直ると信じているかのように、父親の虐待じみた訓練は日を追うごとに過酷さを増していった。


 頬は赤く腫れている。長時間にわたる訓練で、足は小鹿のようにプルプルと震えていた。


 腹が鳴り、一瞬だけ視界がくらりと暗くなる。疲弊しきった身体は、即時の栄養補給を求めていた。


「糖分、糖分はどこだ……?」


 なんでもいい、甘いものが食べたかった。身体を癒すには、甘いものがなければダメなのだ。


 前世では下戸だった。そして、下戸の人間がおおむねそうであるように、おれは甘党だった。夕食後のデザートは欠かさなかったし、ときには自分で菓子作りをすることもあった。評判の良いスイーツを食べに遠出することもあったし、精神的にしんどいときは、ケーキやアイス、どら焼きなどを手当たり次第に買い込んでドカ食いし、幸福感に包まれて気絶することさえあった。


 今世のおれも、当然甘党だ。もう魂に砂糖がこびりついているのだ。


 我が家では「スイーツなどという甘ったれたものを食べていては、立派な魔法師にはなれん!」という鶴の一声で、おやつ禁止の謎ルールが制定されていた。


 が、そんなものは無視するに限る。


 甘味を口にしたいという欲求は、何者にも抑えられない。原始時代から人類が顔を腫らしてでもハチミツを手に入れていたことからも、それは明らかである。


 痛む身体を引きずりながら、人目を盗んで厨房へと忍び込む。棚や、魔力を利用した巨大な冷蔵庫には食材が無駄に溜め込まれていた。小麦粉、バター、牛乳、卵、果物、香辛料――そして、なにより白く輝く砂糖。お菓子作りに必要な材料は一通り揃っていた。


 ドメスティックバイオレンスの風吹きすさぶこの家からは、とっとと逃げ出してしまいたい――そんな思いは常にあった。が、同時に「この家は裕福ではあるんだよな」とも思う。親の目さえかいくぐれば、甘いお菓子を作りたい放題という環境は、なかなか捨てがたい魅力があった。


 周囲をもう一度見回す。父親や、その影響を色濃く受けた兄弟たちに見つかれば、折檻は避けられない。誰もいないことを慎重に確認し、砂糖と牛乳、卵、いくつかの食器を手に取って厨房を抜け出す。自室に戻り、材料を机の上に並べた。


 おれには、魔法の才能はない。


 だが、まったくのゼロというわけではなく、魔法が便利な代物であることに変わりはなかった。


 遠くの的を粉砕したり、鉄塊を焼き尽くしたり、湖を氷漬けにしたり、一瞬で堅牢な土壁を作り出したりすることはできない。だが、混ぜたり、焼いたり、冷やしたり、成型したり――その程度のことなら充分に可能だ。


 つまり、お菓子作りにはものすごく役に立つのである。


 ボウルに材料をぶちまけて、体内の回路に魔力を流す。魔力反応によって生じる淡い光が、目の前に舞う。


 ボウルの中で渦が発生し、卵と牛乳と砂糖が乳白色の液体となって混ざり合う。


 魔法を行使する。


 透明な砂糖水が、黄金色を経て徐々に変化し、カラメルソースになる。


 魔法を行使する。


 器に流し込んだ液を、卵が熱変性を起こす80度を目安に熱して固める。さらに、より安定させて滑らかな食感にするために十分に冷やす。


 要した時間は、およそ三分。


 円筒型の器を裏返して平皿へと重ねる。


 器をぐるりと回してから取り去ると、皿の上に、ぷるんと乳白色のボディが躍り出た。卵と牛乳と砂糖というシンプルな材料から生まれる、てっぺんをカラメルソースで染めたそれは、もはや説明不要のおやつの王様だった。


 そのなめらかな口当たりを想像して、早くも口の中によだれが溢れる。父の拳によって切った口の中が一瞬痛んだが、甘味を前にしたドーパミンが、その痛みを打ち消した。


「何これ?」


 そのひと言に、おれは即座に答えた。


「もちろん、プリンだ」


「プリン?」


「ああ、カスタードプディングとも言って、もとは船乗りが考案した蒸し料理が――」


 得意げに口を開いて、それでようやく気づいた。


 さっきまで誰にも見つからないようにと神経を尖らせていたというのに、驚くほど真後ろから声が聞こえていた。相手が暗殺者だったら、すでに頭と胴体は泣き別れしているほどの至近距離に、誰かがいる。


 おれはプリンを持ったまま、ゆっくりと振り返る。


 誰もいない、と一瞬思った。しかし、視界の隅でぴょこんと跳ねるアホ毛が、その考えをすぐに否定してきた。


 視線を落とせば、こちらをじっと見上げる大きな瞳と、目があった。


 たくさんのフリルがついた水色のワンピースを着ている。肩まで下ろした黒髪は、癖がありウェーブがかっている。自分より頭ふたつ分は背が小さい。顔は全体的に丸っこく、おでこが広かった。


 つまり、幼女である。


「――プリンプリンプリーン!」


 語感が楽しかったのか、節をつけてプリンの名が繰り返される。締めにプルルルと唇を震わせては、こちらを置いてけぼりにしてひとりで笑う。


 おれには、兄が三人、弟がひとり、そして末っ子にひとり、五歳下の妹がいる。


「……マリィ」


「なぁに、カレルにぃ」


 妹の名は、マリアベル。目の前の幼女は、つまりその妹だった。


「音もなく後ろに立つな。怖いから」


「だって、全然気づかないんだもん――これも甘いやつ?」


 マリィはぐいっとそばに寄ってきて、机の縁につかまってプリンをしげしげと眺めている。


 折檻を避けるために、おれはいつも人目を盗んでおやつを作っている。しかし、この妹に関しては、お菓子作りの気配を感じ取りでもしているのか、毎度毎度どこからともなく姿を現すので、もうあきらめていた。


 それに、この子は話が分かるヤツでもある。


「父上には内緒だぞ」


 念のためにそう言えば、妹は口もとに指をバッテンにして、楽し気な笑みを浮かべている。


 五歳にして口の堅い奴なのだ。


「これ、どーやって食べるの?」


 おれはスプーンを手に取りプリンへと差しこんだ。黄と黒の境界線を掬い取って口へと運べば、卵の風味と香ばしいカラメルソースが溶け合った、脳に直接幸福感を届けるタイプの甘さが広がった。


 目を閉じ、何度か咀嚼して、その甘さを十分に味わってからのち、嚥下する。瞬間的に糖分が全身へと充填され、クソ親父にボコられた身体がどんどん軽くなっていくのを感じる。


「どんな薬よりも効くなこれは」


 堪らずもう二、三口と手を動かして、その都度脳に染み渡る甘さに身震いし、表情筋はだらしなく緩んでいく。そのまま四口目にも手をつけようとしたとき、袖口を引っ張られた。


 見ると妹は、餌を待つひな鳥のように口を開けていた。


 わたしにも食べさせろ。そう指示しているのだ。


 齢五歳にして兄をあごで使うその姿勢に末恐ろしいものを感じつつも、これが口止め料でもあるために、大人しくスプーンで掬い取ったプリンを口に含ませた。


 スプーンを抜き取れば、妹はしばらくもにゅもにゅと唇を動して、黙り込んだ。


 無言のまま、賢しら気にあごに手を当て、うろちょろと目の前を往復する。ふいに動きを止め、ごくりと口の中のものをのみ込み、しゃがみこんだかと思うと、その反動を利用するかのようにその場にぴょんぴょんと跳ね始めた。四、五回飛んだのち、ひと呼吸おいて大きな声で叫ぶ。


「おいしい!」


 その顔には、笑みが浮かんでいた。


 ひと口で、こんなに派手な反応を返すヤツは、グルメリポーターにだっていないことだろう。


「大げさな奴だな」


 とはいえ、自分が作ったものでこうまで喜んでもらえれば悪い気はしない。


 愉快な気持ちになりながら、プリンをもう一口、口にした。


「ってて」


 口の中で一瞬、刺すような痛みがあり、無意識にそう言っていた。


 その声がきっかけとなって、妹が、今気づいたかのように、おれの赤く腫れた頬をじっと見つめ出した。


「痛いの?」


 おれは軽く手を振った。


「――そうでもないよ。いつものことだし」


 実際は、殴られた側の視界がふさがる程度には腫れていて、それなりに痛いっちゃ痛かった。が、なんとなくここでめっちゃ痛いと五歳児相手に返すのは、さすがに大人げない気がする。というわけで、やせ我慢をしていた。


 ふいに、妹の小さな手が、おれの頬に触れた。


 祈るような小さな声が、耳に届く。


「――痛いの痛いの、とんでけ」


 前世ではただのおまじない。しかし、ここは魔法が存在する異世界だった。


 瞬間的に淡い緑色の光が、頬を包む。


 じんわりと温もりがしみ込んできて、これまでずっと続いていたジンジンとした痛みが、すっと遠のいていくのがわかった。


 マリィの手がそっと離れる。


 すかさず頬に触れてみれば、腫れは完全に引いている。


 ――完璧な、治癒魔法だった。


 おれが発動すら叶わないそれを成した妹は、満足げな顔をして、鼻息をついていた。


「マリィ、おまえ――」


「ん!」


 妹は、またも口を開いて眼を閉じた。


 お礼なら現物で。そう言っているのだ。


 そのことを理解して、おれは苦笑いをした。プリンを掬って、妹へと差し出す。


 幸せそうに舌鼓を打つ妹を眺めながら、ほんとに末恐ろしい奴だ、とおれは思った。


 おれの魔法の技能は、どうやら五歳児にすら負けているようだった。



 王国歴九八八年。私は恐るべき事実に気づいた。


「このままでは人類は滅亡する!」


 思わず叫び、パコンと頭をはたかれる。


 涙目で振り返れば、エプロン姿の今世の母親が、呆れたような顔を浮かべていた。


「何バカなこと言ってるのこの子は。暇なら外行って水汲んできて」


「……はーい」


 私はしぶしぶ外に出て井戸から水を汲みながら、前世の記憶を思い返した。


 あと十三年だ。


 これから十三年後、建国千周年を祝う式典の日に、この世界は滅びる。


 ――裏ボス『神喰らいマリアベル』によって。


 私はそのことを、ゲームの知識でよく知っていた。


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