2 天才少女科学者
第20話 疑念――ラウ伯爵
――あいつは嫌いだ。
十五歳の少女アイリは、たったいま出てきた立派な建物を背に足を速めた。建物の入り口の横には「
「さすがはカトマールの誇る英才ですね。きみの研究はすばらしいに尽きます。後見人として非常に誇らしく思いますよ」
にこやかにそう切り出した副理事長のラウ伯爵は、あたしに座るよう促した。四十代半ばくらいか。つややかな黒髪で、端正な顔立ちにスキはない。豪華なランチの後、テーブルにセットされた紅茶を口にするときも優雅この上ない。
「今度の研究は、超小型の通信ロボットと聞いていますが、どんなものを考えているのですか?」
言葉の丁寧さと物腰の優雅さに騙されてはいけない。まだ検討中ですとそっけなく言って、あたしはズズッと紅茶をすすった。
この管理棟の最上階には、ラウ伯爵傘下のホテルグループが経営する超高級ホテルの会員制レストランが入っている。そこからデリバリーされた食事だ。副理事長の顔は見たくもなかったが、高級ランチの誘惑には勝てない。やっぱりデザートまで優雅で上品で美味だった。もちろん遠慮する気はない。パクリとそれを食べた。
アカデメイア副理事長をつとめるラウ・ソジンは、ミン王国の王家につながる名門伯爵家の総帥だ。ラウ財団を率いる辣腕のビジネスマンとしても知られる。世界有数の資産家で、博識。経済学の博士号をもつと聞く。このアカデメイアの卒業生であり、各界に人的ネットワークを持つアカデメイア同窓会の会長も務める。
ミン王国は大陸から突き出た半島にある国だ。東方圏で最も経済発展がめざましい国の一つで、国民は豊かだ。ミン国の近代化と経済発展を推進した中心勢力が、ラウ伯爵家とラウ財団である。ラウ伯爵家は、現当主の祖父母にあたる世代からミン王国で王家をもしのぐ大財閥にのし上がった。現当主の祖母は商才に優れ、ラウ財団を結成した。祖父は宰相を務め、政界に強い影響力を持った。
祖父母の遺産を受け継いだ現当主のラウ伯爵は、財団を多様な分野の企業を傘下に収める世界的な財閥企業へと成長させた。ミン国を襲った通貨危機の影響をほとんど受けなかったのは、財団がすでにアカデメイアに拠点を移し、グローバル企業に成長していたからだった。
ラウ伯爵は、今は財団の会長を務めるものの、財団傘下のすべての企業経営を部下に任せ、自分はアカデメイア副理事長として文化振興に意を注いでいる。数年後には、理事長としてアカデメイアに君臨すると目されている。それは事実上、アカデメイア自治国の政財界のトップになることを意味した。
凡庸な経営者とは異なり、ラウ伯爵は環境と文化の保護者を自認し、学術や芸術のパトロンとしても名を馳せる。原発立地には反対して再生可能エネルギー開発に取り組み、戦争にはすぐに反対声明を出して和平のための資金援助を惜しまず、難民保護にも熱心だ。自然を守るためにも積極的に投資し、自然の一部を観光にあてて採算をとり、持続可能なサイクルを回している。「ビジネスと人権」の推進を実践し、ジェンダー平等や格差是正、LGBT権利保障、障害者雇用には非常に熱心で、スローガンだけでなく、傘下企業にこの方針を徹底させている。
一方、学術と芸術には金を出すが、口は出さない。大学教授会の自治を尊重し、学者の見識を見下さない。芸術的感性にも優れ、若手音楽家を抜擢するために毎年開催されるルナ音楽祭は、ラウ伯爵の寄付によって成り立っている。来年は、四年に一度のルナ大祭典も開かれる。それもラウ伯爵の資金援助と人脈がなければ成立しないらしい。
アイリもそうしたラウ伯爵の評判は聞き及んでいる。だが、ラウは慈善家ではない。利益を追求する部分と営利を度外視する部分とを使い分けている。アイリに対しては利益になると踏んでいるようだ。ラウはそれを隠しはしない。そして、アイリにも必ず相応の見返りを約束する。その点で、ラウは
政治的センスも抜群だ。アカデメイア自治国は教育・研究機関であるアカデメイア学園を核とする都市国家のような共和政的自治国家である。
古来、アカデメイアは、同じ
だが、アイリにとって、ラウの経済力と政治力は恨みの的以外の何物でもない。
祖国カトマール共和国では、十年前に軍事独裁政権が倒され、民主化が実現した。しかし、二十年間に及んだ軍事独裁の
開発計画のあおりで、十年前にアイリの村は大きな被害を受けた。政府関係者は、村が古来、神域として守ってきた山にレアメタル鉱脈を見つけようと調査団を送りつけ、抵抗した村人を制圧しようとした。村が焼かれ、村人が縄で縛られて連れて行かれるさまを幼いアイリは
たしかにラウ伯爵が直接命令を下したわけではない。後で事情を知ったラウは激怒し、いったんカトマールから開発計画を完全に引き上げたほどだ。レアメタル鉱脈の話も根拠がないとされ、村人には手厚い補償がラウ財団から提供された。しかし、村は元通りには戻らない。亡くなったイヌは生き返らない。開発計画からもカトマール政府からも放置されたまま、無残な焼け野原だけが残った。
代替地の新しい村を断り、村の人びとは、焼け野原の村に留まり、細々と暮らしを続けた。村は今も貧しい。それでも、代々の先祖が暮らし、なじんだ山と谷を棄てることは村人にはできない。
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