1 眠れる美少年

第16話 悪夢

 うっすらとあいた少年の目に薄汚れた天井が映った。天井のあちこちにシミがある。少年の額にじっとりと汗がにじんだ。もう忘れていたはずなのに、久しぶりの悪夢。

 ツーンとした消毒剤の臭い。簡素な部屋。白に近い淡いピンクの服を着た男性がそばにいる。だが、金縛かなしばりにあったように、身体が動かない。

 少年がわずかに挙げた手を看護師は見逃さなかった。

「キュ……キュロスは?」

 きれいな輪郭の口びるはまだ紫色がかっている。あえぐような声に、看護師は答えた。

「連れのひとかな? 隣の部屋で眠ってますよ」

――よかった。生きていた。彼は生きていたんだ。

 長いまつげに覆われた大きなうす紫色の瞳に安堵あんどの光が宿る。少年の青ざめた頬にほんの少し紅がさした。


 三十代半ばの男性看護師は思わず見とれてしまった。大人になる少し前の少年だけがもつ特有の妖しい魅力に満ちている。少女とも見まがうほどのはかなげな面差し。華奢な手足。細い指はまるで労働と縁がない。プラチナ・ブロンドの髪はほつれたままで、ゆるやかにカーブを描きながら、半分の額にかかる。

 看護師はハッとした。

 起き上がろうとしているのか、少年が腕をモゾモゾさせている。あわててとどめた。

「まだ動いちゃダメです。すぐにドクターが来ます。それまで待ってください」

 

 まもなく、無精髭ぶしょうひげをはやしたむさ苦しい男がやってきて、少年のそばに座った。アオミと名乗ったその医師は、少年の状態をチェックしはじめた。黒い画面上には、いくつかの波が現れては消えていく。彼はじっと画面を見ては、ときどき手を止める。やがて、向き直った。

「シュウくんだね。いまは何の異常もない。きみが意識を失っていた原因は不明だ。二、三日調べてみるが、いいかな?」

 シュウは頷いた。医師の胸の名札には、こうあった。Dr.Kyosuke・AOMI――碧海恭介あおみきょうすけ。 


「……キュロスは? 彼は大丈夫なのですか?」

 恭介は手を止めずに言った。

「手術は成功だ。安心しなさい」

 シュウはほうっと息を吐いた。ちらりとシュウを見て、恭介は言った。

「あの大事故できみをかばって全身打撲。頭に大ケガを負ったが、ほかの骨や内臓にはダメージがない。すさまじい肉体だな」

「彼のそばに行きたいんですが……」

「この検査が終わったら、動けるようにしよう」

 シュウは素直に頷いた。


 恭介が尋ねた。

「これまでも何度か発作があったらしいね」

 驚くシュウに、恭介は付け加えた。

「昨日、きみのおばあさんの秘書と名乗る人物がここに来たよ」

「おばあさまの秘書? ……ああ、ザロモン」

「彼は、きみたちのためにこの特別フロアを借り切り、あの二人を置いていった。目障りでかなわんがね」

 向こうのSPを目でさした。場違いな屈強な男が二人、ドアの外に立っている。

「すみません……」

 シュウが頭をたれた。大金持ちの御曹司なのだろうが、ふるまいに傲慢さがなく、やけに素直だ。恭介は、しばし手をとめた。

「ほら、もう動けるよ。彼のところに行くがいい」

 シュウはうれしそうに奥の部屋へと急いだ。恭介もついていく。


 シュウは、包帯からわずかにのぞく手をとり、心配そうにキュロスの顔をのぞき込んだ。恭介は言った。

「秘書氏は、わたしに彼のことは一言も頼まなかったが、きみにとっては単なるSPではなさそうだな」

 大男をじっと見つめるシュウに、さらに恭介はたずねる。

「意識を失ったあとは、いつも猛烈な頭痛がするはずだと秘書氏が言っていたが、今回はそれがないのかい?」

 シュウは怪訝そうな顔をした。


 そういえば、今日はいつもと違う。悪夢から目覚めたにもかかわらず、気分がいい。丸三日は続く頭痛がまったくない。

 妙にリアルな夢もかぶさっている。意識を失っていたはずなのに、あの医師がしていることがはっきり見えた。彼は小さな瓶から液体を注射針で吸いだし、シュウの腕に静脈注射した。腕を見ると、 たしかに注射のあとがある。うっすらと血がにじむ絆創膏ばんそうこう

 そして、どこかのドアの外で中をうかがっていた黒い髪のやせっぽちの少女。ボクの手をとってくれた。そのとたん、スッと気分がよくなった。あれは、いったいだれだったのだろう。

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